2010年10月3日 「子どもたちのパン」

2010年10月3日の礼拝メッセージはマタイ15:21-28から「子どもたちのパン」と題して話されました。クリスチャン生活は霊的と実際的なレベルで行っています(2ペテロ1:2,3)。主の食卓にきて敬虔のため、そして命のために信仰を通して恵みと力の豊富を頂きます。主の食卓のパンは子どもたちのパンです。ツロの女が恵みと力を受ける教訓を教えています。① 機会を捕まえる。女は隠れられないイエスが近くにいると聞いて、機会を生かして、「出てきた」。②贈り物にではなく与える人に目を注ぐ。女はイエスの預言的使命を認めて、イエスの御前にひれ伏した。英語では、「worship ] は価値と言う意味です。③謝絶に諦めなかった。女の信仰がますます強くなった道を調べましょう。問題をいい出したところから、叫び、拝み、願い、信仰告白、立派な信仰に進んだ。④豊富に通じる入口は狭い。イエスが言われた諺を垣間見て、その機会を捕まえた。⑤他人のために恵みをいただく。女は悪霊に取りつかれた娘のためにきた。これは「身代わりの信仰」とよばれている。人が患者の立場に立って自分自身のためであるように願うこと。(イエスが行われた24の奇跡の中で7つは身代わりの信仰によるものでした)。ただ、この恵みは救いに至る恵みではない。⑥恵みと力は十字架を通していただく。マルコ7:29によると「そうまでいうのですか」と言われたイエスの言葉は、女がユダヤ人じゃない異邦人の自分でさえも、十字架によって神の恵みに預からせていただくことができることを理解したと考えられています。食卓の上に置いてあるパンと、床に落ちたパンくずは同じパンです。