2010年7月4日 「聖餐といやし」
2010年7月4日の礼拝メッセージはイザヤ53:3,4から「聖餐といやし」と題して話されました。聖餐(主の食卓)ではイエスの十字架を感謝するだけではなく、イエスに触れ合って、祝福をいただく機会でもあります。十字架によって罪の許されることを知っています。しかし聖書では同じ十字架を通して肉体の癒しもあると教えられています。次の聖書の重要点を見ましょう。イザ53:4に「病を負い」は持ち去るという意味。マタ8:14-16に熱や病を直すことはイザ53:5の成就です。1ペテ2:24,25にイエスの打ち傷の身のゆえにいやされた(過去形)、そして、罪も許され、健康を持って義による生活をおくるよういになります。1コリ11:27-30に聖餐にふさわしくないままで(イエスの体を正しく見分けない)弱い者や病人や、しかも、死んだものが出るとすれば、イエスの体を正しく見分けて、聖餐にふさわしく預かる者は健康をいただくことができます。医療の国際的シンボルマークはさおにからみついた蛇と鷲の翼でできています。この象徴は聖書の中から取っています。① 民数21:8,9.ここでさおは十字架、蛇は病を象徴しています(ヨハ3:14)。② マラ4:2.この義の太陽は神の御子なるイエスを意味しています。マラキ書に見られる罪は祭壇(主の食卓)に健康でない獣のいけにえをささげた(マラ1:6-13)。主の食卓にかかわるもののすべては神性の健康を示しています。1コリ10:16は聖餐の意味を語っています。それは、イエスの血と体に預かることです。イエス血に預からせている同じ杯は、その血による祝福に預からせています。すなわち、罪の許しです。そして、イエスの体に預からせている同じパンはその体による祝福に預からせています。すなわち、肉体的な癒しです。聖餐の杯とパンは同時に神のキリストによるめぐみと祝福、そして、私たちの信仰によるキリストとの一体の目で見えるかたちの象徴です(ガラ2:20)。聖餐のところで罪をあけ渡して、許しを、そして、病をあけ渡して、健康に交換しましょう。