2010年6月27日 「知られない神の祭壇」

2010年6月27日の礼拝メッセージは使徒17:16-23から「知られない神の祭壇」と題して話されました。神をどれほど知っているかによってクリスチャン生活の高度が決まります。ウェストミンスターカテキズムによると人間生存の終局の目的は、神を知って、永久に仕えることです。処理、信仰、祝福、礼拝、平和、交わりなどのあらゆる点において神を親しく知る必要があります。その知らない部分は「知られない神」となるでしょうが、でも、知りうるのです。まず無知を考えましょう。① 無知識だけではなく自ら選択し、かたくなな心のゆえに不信仰となる。② 中立の状態ではない。いける神のほかにささげものをする時、悪霊にささげているのです。③ 無知から出る道はもっと知識を得ることではなく悔い改めです。神の啓示を考えましょう。神は自然的創造、イスラエル民族の歴史、旧約時代の預言者、イエス様、聖書、聖霊を通して自分を示してくださっています。神を見い出す出発点は神に対する熱心、知りたいという志、出会いたい希望、真剣に探し求める、結果を期待することです。知られない神との出会いは聖書が神がどのような方か、何ができるか教えることを知ることによるのです。このメッセージでは次のことを学びました。① 神は私の弱さを自分の強さに交換してくださる方です。② 安全で守ってくださる方です。③ 力づけてくださる方です。④ 死の力に打ちかたらせてくださる方です。知られない神の祭壇を築くためにどうすればよいでしょうか。① 神の忠実さを再確認する。② 信仰を具体的に示す。③ 神を知っている証をする。神の最も明確な啓示はイエス・キリストによるものです。(上記の点についての聖句が知りたい方は牧師に申し出てください。)