2010年6月6日 「聖餐と十字架による祝福の祝い」

2010年6月6日の礼拝メッセージはヘブル9:12-15から「聖餐と十字架による祝福の祝い」と題して話されました。聖餐(聖餐の中で無記録)は主の食卓、主の晩餐、パンを裂くこと、愛餐会の一部と知られ、主を十字架による死を記念して、あかしする儀式です。しかし、聖餐を通して祝福を再確認して、信仰によってその恵みが授けられます。そのために聖餐は敬虔な儀式でありながら、祭り的な祝いです。今日の聖書中で次のその祝福が見えます。① 購い。イエスが罪の要求を満たしたと同時に、自由を得るために代価(身代金)を払われた(マコ10:45; 1テモ2:6)。② 召し。したがって、神が恵みの腕を差し伸べてキリストの内に召してくださる(1コリ1:26-31)。③ 新契約。愛の負債による関係に入る(エペ5:23-27)。④ 清い良心。良心は人に中で'神のあかしとして考えられ。2サム24:10;ヨブ27:6。未信者の良心は死んだものです(1テモ4:2;ヘブ10:22)。良心は罪ある生活によって死んだ行いで詰まってしまう。これらのものを清める。⑤ 奉仕。原語では礼拝とは献身と言う意味です。ワーシップは日曜日に教会に行くことだけではありません。全生涯を神にささげて、世と違う生活をするという意味です(ロマ12:1,2)。⑥ 遺産。放蕩のむすこのたとえ話に遺産について二つの違う考えが見られる。弟は自分の分だけ(3分の1)を考えて、一時的には満足したがそれでも利口に用いなくて、失ってしまいました。兄は自分にあるものの遺産は認めないので、満足しなかった(ルカ15章)。聖餐は十字架を通して与えられるこの祝福を祭りの雰囲気の中で祝う場です(1コリ11:24,25)。