2010年3月21日 「イエスの威光を拝見する者」

2010年3月21日の礼拝メッセージはマタ17:1-9から「イエスの威光を拝見する者」と題して、「イエスの変貌」について話されました。イースターに近づいてイエス様の生涯の最後の数週間に起こった出来事を見てみたいと思います。聖書の記録としてはマタ16:21-;マコ:1-;ルカ9:28-;ヨハ10:40-に記されています。2ペテ1:16で弟子たちは変貌山でイエスの威光の目撃者ですと言いました。神、キリストの栄光を見るとは霊的な礼拝の重大な一部です。「六日たって」(1節)とは、何があってから六日たったのでしょう。16:13から見ると、①心の中に受けた啓示。 キリストはいける神の御子です。②教会の誕生と権威の知らせ。 教会は攻撃を受けるが勝利する。③地上にある教会の中での信者の務め。 天の力と権威を地上に放つ。これらのことがらは信者の生活と並行していて、キリストの威光を見て礼拝する基礎となります。イエスの威光を拝見する礼拝は、①(1,2節)そのような礼拝にイエスが導こうとしている。あなたはそのような礼拝に導かれやすい人でしょうか。②(3-5節)そのような礼拝はイエスのほかにだれにもささげない。「子」は「王」の意味です。民主主義に支配された現世では王に完全に降参して服従する考えはないが、これはクリスチャンがキリストに対して示すべき態度です。③(6-8)そのような礼拝の中でキリストの触れ合いを受ける。神聖の前で当然恐れるが、イエスに触れられると立ち上がって、真の礼拝、奉仕をする。④(9節)そのような礼拝はキリストの復活を通して私達の生活に影響する。山からおりなければならない。(2ペテ1:11-19を参考)とペテロが言いました。「先生。わたしたちがここにいることは、すばらしいことです。」イエスの威光を見ることのできる礼拝はこのようなものとなります。