2010年4月4日 桜台恵み平安教会の松山美穂子師 「世に勝つ信仰」

2010年4月4日の礼拝メッセージは、I ヨハネ5:1~5から「世に勝つ信仰」と題して、東京練馬区の桜台恵み平安教会の松山美穂子師にお証しをして頂きました。創世記16章からアブラムとサライには子供がなく、サライの女奴隷のハガルによって子供を得ようとしハガルは妊娠した。妊娠したことによって、ハガルは女主人を見下げるようになった。それが原因でハガルはサライのもとから逃げ去ったが、主の使いによって見つけ出され、見ておられる方がおいでになることを見出し、身を低くしてサライの元に戻ったという箇所を糸口に話をされました。『第二次世界大戦で、私共一家は住んでいた北九州市から愛媛県の山奥に移りました。母がクリスチャンで私も小さい時から日曜学校に行っていたが、山奥のことで教会に行くチャンスもなかった。その頃は15,6歳になっていたが、月に1度2kmぐらい離れたところで家庭集会があることを聞いて、それに集うようになった。反対した父に母が迫害されたが、母は「あなたはあなたの人生を歩みなさい。迫害は関係ない」と家庭集会に集えるようにちょうちん等を用意してくれた。その後私は紡績工場に就職するも体を壊し、就職を反対された実家に戻って静養することを余儀なくされた。実家の生業である農業を手伝って日を過ごすうちに、ロシアに抑留されていたおじが戻ってきて、隠居所に住むことになった。ある日、このおじのお金2万円が紛失すると言う事件が起こった。疑われた私は警察で事情聴取を3回受けた。「盗っていないものは盗っていないとしか言いようがない」と無実を主張するが誰も信じてくれない。3回目の時、朝から取調べを受け署長室にまで呼ばれて、何を話せばいいかもわからず、罪を悔い改めたときの証しをした。その所長さんはじっと聞いて「キリスト教の話を聞いたのは初めてでした。」と言い、その日はそのまま帰してくれたが、夕暮れでこれから6kmの冬道を歩いて帰らなければならない。道すがら、「自分は、あの人はそんなことをする人じゃないとかばってくれる人もなく、帰れば今日は白状したかという父やおじの責め苦が待っている、何の価値もない人間だ、八方塞でもう死ぬしかない」と思って、死ぬのを覚悟し、車に轢かれるのがいいと車のわだちの中に座り込んだ。舗装されてない道路で凍りつき始めたわだちの中から天を仰いだら、冬空にはダイヤモンドのように輝く一面の星があった。「八方塞でも上は空いていた、神様は見ておられる、全部わかっておられる」と思ったら、感謝が沸いてきて感謝した。そしたら平安がスーッと心に入ってきて、「こんなものですが、あなたが用いてくださるならあなたのためにこの身を捧げます」と献身した。まもなく、後ろからトラックが来たがそのわだちから飛びのき、警察に頼まれたと言うそのトラックに乗って、家に帰った。8年ほど前、この警察署を訪ねる機会があり、この時の事情を話すことになり話しをしたら、署長さんが「知らないとは言え、私どもの先輩が失礼なことをしました」と言われたがそれに対し、「そのとき献身し私の人生は上向きです。感謝したいぐらいです」と答えた。私たちクリスチャンは、世に生きている。世とは神を信じようとしないイエスを認めようとしない所であり、流され、欲に満ちているところである。キリストにあってとか倣ってというのは、キリストに起こったことはすべて私たちに起こるという意味である。生まれてきた良かったと価値のある人生を送るために、信仰生活を送っていきましょう。世に勝ってイエス様はよみがえられた、この信仰は世に勝つものです。』