2010年2月28日 「イエスの御名による力」

2010年2月28日の礼拝メッセージは、使徒の働き3:1-11から「イエスの御名による力」と題して話されました。イエスの御名において集まる信者がその場所にイエスの御名に有る力を運んで来るのです。(使徒9:15)。初代教会はまだまだ後の時代に有るような組織ができず、信者が復活されたイエス・キリストは自分の内に住んでいて下さっていることを信じていました。その「わたしにあるもの」とは、その名とその名を信じる信仰(3:16)の力です。その名に有る力をすべての状況の中へ持ってきました。御名による力を運ぶ者はどんな人でしょうか。① イエスの祝福を施す機会を望んでいる。この出来事は「美しの門」で起こりました。現在、エルサレムの城壁にある金の門、あわれみの門にあたります。美しいと訳された言語には「熟している、青春の時、収穫の時」との意味もあります。足なえの癒される時となりました。② 自分の内にイエス・キリストが生きておられるのを示しています(3:5)。物乞いをする者は人から何かを貰えるかどうかを上手に判断できます。エルサレムで起こったイエスの十字架、復活、そして、ペンテコステ(聖霊降臨)をよく知っていたでしょう。彼はペテロとヨハネがそれらのことの経験者であることを見分けたに違いありません。③ 受ける人より与える人です(3:6)。持っている信仰の値打ちはそれをどれほど分かち合いたいかによって示しているのです。④ 他人に信仰を生じさせる(3:7)。ペテロはまず彼を立たせました。それで、自分が立てると信じられようになると同時に、奇跡が起り、くるぶしに力を受けました。(先週の説教の中の、天が私たちの後についてきた状況)。⑤ 礼拝の経験に導く(3:8)。この物語の中で物を運ぶ過程が3つあります。①足なえを宮に運んだ人。彼らは足なえの状態を変えることができませんでした。②イエスの御名の力を持ったペテロとヨハネ。足なえの人生にイエスの名による力を持ってきました。③足なえの人。彼はイエスの力を経験したことを通して多くの人に影響を及ぼしました。