2010年2月21日 「イエスの御名において集まる力」
2010年2月21日の礼拝メッセージはマタイ18:18-20から「イエスの御名において集まる力」と題して話されました。先週のメッセージの中で信仰生活に前進するために奉仕ではなく、礼拝が一番大切であることを話しました。その礼拝はイエスの御名においての礼拝でなければなりません。礼拝集会はキリストのクラブ活動のようなものではありません。しかも合同礼拝での力は他の活動にないほど偉大です。合同礼拝の成り立ち、力、信仰生活に持ち出す影響は何でしょうか。イエスの御名においての「において」とは、そこに関わるという意味です。したがって、イエスの御名において集まるというのは、イエスご自身がそこにおられて、彼の中に、彼との密接な関わりに入るという意味です。イエス様がその所の中におられる。そのような現状の中の礼拝にはどんな動力が働いているでしょうか。1.天と地が集合します。2.地上でする行動はそれにあたって、天上でも同じ行動があります。3.そのような雰囲気の中で信者に天にあるような権威の油注ぎがあります。4.イエスがそのところの中におられる合同集会の最も少数の人数は2人です。ここに上げられた4つの点を信じて、毎週、教会で行う礼拝集会に集まるなら、その礼拝集会は今までかつてないほどイエスの臨在を経験できるようになります。主の祈りの中で「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」と唱和します。というのは、地が天の後についていくようになります。でもイエスの御名においての礼拝の中では、天が地の後についていくようになります。なぜなら、そのような礼拝者の心がイエスの心と等しいからです。