2010年1月3日 「方向転換の時になったか」
2010年1月3日の新年メッセージは申命記2:1-3から「方向転換の時になったか」と題して話されました。3節に口語訳では「あなた方は既に久しくこの山を行きめぐっているが、身をめぐらして北に進みなさい」。ここには、時間、場所、行いについて書かれています。キーワードは「既に久しく」です。言語では、時間が経過した、期限の収支、限界、満期、もう沢山、十分という意味です。神が始められる変換ならば私達にさらに大きい祝福を与えるためです。方向転換の時になったことは何でわかるでしょうか。① 創33:8-11.神の祝福を得る欲求を失った時。神は普通、人を通して祝福してくださいます。神の祝福を得る飢え渇きがなく、または、祝福を認めていない、また拒んでいるなら方向転換の時です。② 創45:25-28.方向転換の時になったという証拠が示された時。神が私達を先へ運ぶものを備えて下さいます。その証拠を認めず、乗っていく自信と決意がないなら方向転換の時です。③ 出9:27-29.現状にこれ以上我慢できない時。変換が起こるために私達を制している事情から解放される必要があります。自分にとって、方向転換の時期は周りの事情、人との関わりに限界を感じた時です。④ マラ3:9-12.神の祝福を得る収容力が限界になった時。神にささげると神が私達にさらに大きいものを与えてくださる。その祝福をうける収容力(信仰)が足りないならある部分はもれてしまい、損します。⑤ ルカ12:16-21.神と霊的なことについて自己満足になった時。最も重要な霊の養いを怠って、生活、物、知性、感情のことだけに気を配っているなら方向転換の時です。⑥ 黙3:14-20.神と霊的なことについて自己満足になった時。自己満足の具体的な結果を生じている可能性がありますが、これは神と御霊に対する熱心からくるものではありません。どのようしたらに変わることができるのか。① 申1:7、8.神がしめされた、はっきりした計画を持つ。ある人は向きを変えるが出発しない。ある人は出発するが進まないで目的に達しない。② 申2:4、5.邪魔するものを避ける。変換を実行している内に気にいって、良いと見えるものがたくさん出て来ます。しかし目的に目を注いで、そこを通っていかなければなりません。③ 申2:7.過去に神がくださった恩恵に基づいて、神に対して確信を持つ。変換を実行するのには十分な能力と資料があるかどうか当然心配しますが、過去に、神がなさった技を感謝しながら確信と信仰が保たれます。④ 申2:8、8、24.戦う価値があるものか注意ぶかく選ぶ。神が下さらなかったものを所有しようと無駄な努力をしない。⑤ 申2:13 はっきりした行動を取る。方向転換の時に素早く行動して、祝福を得る機会を見逃してしまわないように注意する。⑥ 申2:25.自分について神の目的をはっきりと知る。目的は刺激です。神は祝福を広げるために私たちを用いてくださいます。あなたはもう十分じゃないでしょうか。