2009年12月27日 「感謝の心」
2009年12月27日の礼拝メッセージはルカ17:11-19から「感謝の心」と題して話されました。15、16節に「ひとりは、引き返して来て、感謝した」とあります。年末に一年間に神が与えてくださった祝福を覚えて感謝すべきです。そうすれば、「引き戻しは前進」という言葉があるように感謝することによって、さらに大きい祝福を得るところに進むようになります。この聖書に幾つかの重要なことがあります。このことばは、感謝することについて教訓を教えています。① 「途中で」、祝福を得る時点と進歩を示しています(11、14)。ものごとを行っている内に神との出会いが可能です。② 「いやされた」、ここに、いやしの段階を示す3つの言葉があります。14節に、いやしとは、きよくなったという意味、外面から見える様子を示しています。15節にいやしとは、医学用語で肉体的な状態を示して、具体的な証拠があるという意味です。19節に、いやしとは、肉体、道徳、そして霊的な意味があって、完全を示しています。③ 「神をあがめる」、いやしてくださったものを認めている。この聖書に、幾つかの対句があります。エルサレムとサマリヤは、神と2つの違う関係を、祭司とイエスは、2つの違う道徳的制度を、10人のライ病人は神のわざに対する2つの違う反応を、神の主権的めぐみと信仰は2つの違う霊的動力を、9人と1人のライ病人は肉体的と霊的な2つの違う祝福を示していることです。それでは、なぜ感謝することは力あることでしょうか。なぜ、引き戻しは前進でしょうか。それは、神の道徳的、そして、霊的な律法を成就するからです。マタイ8:1-4はレビ記13、14章によるライ病人のいやしについての要求を要約しています。① 自分自身を公に出す。これで、自分の過去と現在の状態を示す。② あかし。これで、自分に働いた神の力を認めて、他人にも神の祝福を認めてもらう。そして、他人が神を信じるように励む。③ そなえものをささげる。レビ記3、4章によると3つ種類のそなえものが必要です。「罪のためのいけにえ」、これは自分の罪と神の恵みを意味する。「全焼のいけにえ」、これは、その恵みが十字架上のキリストを通して私たちに来ることを意味する。「穀物のいけにえ」、これは神とキリストの体なる教会にある兄弟姉妹たちとの交わりをする。感謝の心にはこのようなものがあります。引き返して来て、感謝することによってさらに大きい祝福を得ようではありませんか。