2009年12月13 日 「ナザレのイエス、汚名に打ち勝つ恵み」
2009年12月13 日の礼拝メッセージは2009年クリスマスシリーズとして、マタイ2:19-23から「ナザレのイエス、汚名に打ち勝つ恵み」と題して話されました。聖書の中でイエスの幼い時にかかわった街はベツレヘムとナザレです。ナザレの町はイエスの御降誕に直接に関係はありませんが、ナザレのイエスと聞くと、普通、イエスの誕生と同じ嬉しい感情を持つようになります。しかし、聖書が示しているナザレはこれとちがいます。ナザレは汚名の町でした。粗野な方言で話す居住者はユダの人々に軽蔑された。「ナザレから何の良いものが出るだろう」と(ヨハ1:45,46)。ユダヤ人でありながらモーセの律法を守らない(ヨハ7:49)。神の永遠の計画に何の役割をしないと信じられた(ヨハ7:40-45)。悪霊に制せられた結果として身体障害者が多い(ルカ4:23;マルコ1:24)。後に、イエスのことばと奇跡を拒否して、イエスを暗殺しようとした(マタ13:54-48;ルカ4:29)。イエスはこのような街で育ちました。イザヤ53:1-3は十字架の経験を語っていると考えられていますが、故郷の町ナザレで経験したことでもあるかもしれません。そして、最後に、死刑判決の理由として、「ユダヤの王、ナザレのイエス」と書いた罪状書きは十字架に釘つけられました(ヨハ19:19)。ところが、イエス様はこの汚名に束縛されるどころか、これは人間に神の祝福をもたらした名前として、誇りにかえられました(ヘブ4:14-16;使4:10-12)。そして、この名は信者としての信仰生活の基準を示している(使24:5、14;26:9)。あなたはどんな汚名がありますか。生まれ故郷、家名、個人名、夫妻が呼ぶ名、先輩同輩に呼ばれる名、または、人格、身体の様子、不足した能力などを示す名、そして、すべての人が持つ「罪人」という名があります。汚名に打ち勝つためにどうすればよいでしょうか。①自分の人生に神の訪れを迎える(ルカ1:26-38)。②自分に対して神の計画を抱きしめる(ルカ2:49)。③あなたの汚名を十字架掛けつける(ヨハ19:19;ガラ2:20)。④自分に対して神の好意を受ける(ルカ1:28;エペ1;6)。⑤ナザレのイエスという名前を誇りにする(使9:15)。⑥やがて神がくださる新しい名前を期待する)黙2:17;3:12)。