2009年11月8日 「鳥よりもっとすぐれた生活」 神の国と富シリーズ その3
2009年11月8日の礼拝メッセージは「神の国と富」シリーズとして、マタイ6:24-34から「鳥よりもっとすぐれた生活」と題して話されました。以前のはなしでは富を積み上げる原理を学びました。そのためにかなりの信仰が必要です。もしその程度の信仰がなければ生活では必要なものがいつも足りないと言う意味でしょうか。いえそうではないのです。今日のメッセージではたとえば信仰は薄いものであっても神には私達の必要を満たす力があると信じ(30)、神の国と神との関係を第一にすることができると言うことを学びます(33)。この真理は24節の結果です。ここに自然界から鳥、ゆり、草、そして人間の中からソロモン王を例にしています。自然界のものは人間がするようなことをまねすることがあるでしょうがかれらは非道徳的、非霊的なもので、信仰がなく、生まれつきの本能に従って、神の供給に頼るだけです。人間は信頼と言う能力を与えられていますがキリストを受ける時に、はじめて神を信じる信仰が与えられるのです。この聖書に重要なことばは「心配」です。「ぱい」の成り立ちは「おのれ」と「さかずき」とでできています。すなわち、人がひざまずいて、さかずきにくっついている姿をしめします。ようするに、人が生活の事柄で困っていて、酔っているような状態に落ち込んで、理性的な考えはできなくなる。もう一つ、「西」とは日読みのとりで、十二支の十番目のしるしです。ようするに、心を運命と迷信に明け渡すと言う意味でしょう。ところが、神が生活の事柄において愛情深いこころを示してくださいます。① わたしたちを鳥よりもっと価値あるものとして考えてくださっています(26)。② この価値と言うことは神の国の価値です(33)。③ 神はわたしたちが何を必要としているか知って、それをわたしたちに加えに加えてくださる(33)。ゆりとソロモン王の例は、ゆりの栄華がソロモンの栄華にまさっている。神がわたしたちに与える栄華はソロモンとゆりの栄華にまさっている。ソロモン王がマタ6:33の真理を例えている(2歴1:7-12;1列4:7、22、27;マタ12:42)。次の例を参考に。ルカ15:14、17;ルカ22:35;ピリ4:6、7、19;申2:7;士18:10;ネヘ9:21:詩23:1;34:9、10;37:25;マラ3:10:11。なぜあなたは心配していますか。もし神がわたしことを心配してくださるなら(1ペテ5:7)二人で心配する必要がないでしょう。ですから心配するのをやめましょう。