2009年11月15日 「富む時と乏しい時の礼拝者」 神の国と富シリーズ その4

2009年11月15日の礼拝メッセージは「神の国と富」のシリーズとしてヨブ記1:1-22から「富む時と乏しい時の礼拝者」と題して話されました。富はひじょうに一時的なものなのでそれに執着してはなりません。礼拝者として神との関係を堅く守る為に、富を考えなければなりません。ヨブ記の課題は神が世界を収められるのならどうして聖徒が苦しみを経験するのかということです。ヨブの場合、サタンが神の許しを得て苦しめた理由は3つあります(5-10)。① ヨブが積み上げた富。② ヨブの道徳的な性格。③ ヨブの霊的な性質。ヨブの富は現代の商業界から考えると7000の服製造工場と食品供給会社、3000旅行会社、500家分の木材供給会社、500の輸送会社、そして多くのスタッフをもったので、その時代に、一番裕福な人でした。その財産を築く為に自分が働き、又その上に神の祝福がありました。ヨブの道徳的な特質は潔白で、ただしい、神を恐れて、悪から遠ざかり、純粋な目的をもって神を敬い、誠実な人でした。参考にエゼ14:14、ヤコ5:10,11.ヨブの霊的な特質は、彼が富む時にも乏しい時にも礼拝者でした。その礼拝には次のものがあります。① とりなしと身代わりの礼拝(1:5)。② 聖別する礼拝(1:5)。祭司としての礼拝(42:8)。④ 初穂の礼拝(42:8)。⑤ 神に受け入れられる礼拝(42:8,9)。⑥ 解放する礼拝(42:10)。ここに「もとのようにする」とは言語では、「囚われの身から帰らせる」という意味。ヨブはサタンの攻撃によって貧乏の奴隷となりました。しかし礼拝を通してその状態から自由になりました。ヤコ5章を見ますとヨブの忍耐が例になっています。忍耐と信仰は表と裏のようです。ヨブは信仰によって、富む時と乏しい時に自分と神に対して自分の誠実を守り、悲劇がやってきた時に、自分を神にゆだねて、良い結果が出るように期待しました(1:20-22)。これは「主の結末」と呼ばれている(ヤコ5:11)。その詳細は42:7-17です。ヨブは礼拝者として、神のことを聞くだけの者から更に神を見る者になりました。