2009年10月25日 「救いが来た家」 救いと富シリーズ その1

2009年10月25日の礼拝メッセージはルカ19:1-27から、「救いが来た家」と題して話されました。ここにザーカイという人の話と身分の高い人という話がありますが一貫した話です。そのテーマは「救いと富」です。一部には、ザーカイは救いを得るには三つの段階があるということが示されるのです。①イエスを求める段階(3,4)、②イエスを人生の中に入れる段階(5-7)、③罪を認め、具体的にその罪を悔い改めて、イエスを心の中に受ける段階(8-10)です。ザーカイが持った富は救いを得るのに邪魔だったので捨てなければならなかったのです。二部には、ザーカイの救いの体験談に関連して、イエスは、身分の高い人のたとえ話をされました。このたとえ話の意味の一つは、救われて後、神の国の霊的、道徳的、物理的な富をどのように取り扱うべきか示しています。イエス様が信者に御国の富を預けて、それを商売するように命令されました(13)。(原語では実用的な方法で、没頭して増やすと言う意味。参考。ルカ1:1;マタ18:19;使5:4;ロマ16:2)。預けられた富をどうするかによって報いが決まります。その報いは更に大きい富と名誉です(15-19)。ところが僕が主人の富を増やさなかった理由は、①自分と自分に対しての主人の信頼を疑った。②主人が富を増やすためにどんな方法を使ったか知っていながら自分でそうしなかった。③21節はどんな経済原理を語っているでしょうか。それは、「哀れみによる資本主義」という聖書的原理です。その中に、報いが必ず伴ってくる、労苦の尊厳、哀れみによる奉仕、御言葉の約束を信じる行為とういことがあります。④王なるキリストに服従すれば王らしい生活が伴ってきます(14、27)。キリストによる救いは霊的、道徳的、そして、御国を発展するための物理的な救いです。あなたは商売をしていますか。