2009年8月16日 「人間が存在する最高の目的は神を喜ぶことです」 手で造られない別な神殿―神の受肉 シリーズ その2

2009年8月16日の礼拝メッセージは、「手で造られない別な神殿―神の受肉」のシリーズとして、2コリント6:13-18から「人間が存在する最高の目的は神を喜ぶことです」と題して話されました。この題の言葉は1647年に出版されたウエストミンスターカテキズム(キリスト教教理問答書)の第一問の答えの一部です。信者が信仰生活を確りとおくる為に、これらの問答をよく勉強した後に堅信礼に預かりました。神を喜ぶと言うことは、黙4:11から取っています。人間が神の御心のゆえに客観的に創造されただけではなく、同じ御心の為に主観的に存在して、お互いに、お互いを喜ぶ為に生きています。と言うのは、人間が天地創造主なる神をもっと親しい関係の中で、すなわち、神を父と知って、父なる神に息子、娘として知られていると言う意味です(2コリン6:18)。新約聖書の中でイエス様は父なる神を人間にもっと明確に紹介してくださいましたが旧約聖書の中に父なる神、そして、人間との関わりがイスラエル人の歴史的な出来事の中で示されました。エレ書30と31章はその例です。この2章は私達の救いを描いています。次の点を注目してください。① 神の民を造る目的があります(30:1、22)。② 家族に組織されています(31:1、31)。③ 恵みを受けました(31:2)。④ 休みに導かれました(31:2)。⑤ 過去は処分され、おとめのように明るい将来が目の前にあります(31:4)。⑥ 神の前で楽しんで、喜ぶびます(31:4)。⑦ 神と新しい契約に入ります(31:32)。⑧ 神を主(夫)としてではなく、これは救いの経験ですが、父として知るようになります(31:32)。⑨ 心の中に神の立法があると言う新しい権威によって生活をします(31:33)。