2009年6月14日 「満ちるようになる為に空っぽになる」

2009年6月14日の礼拝メッセージはルツ記1:21、22から「満ちるようになる為に空っぽになる」と題して話されました。聖書的生活原理は一般的世界のものと違います。この書はルツの名前が付いていますがナオミのことから始まり、そして、ナオミのことで終わります。ナオミは満ちていて出かけましたが素手で帰ってきました(1:21)。しかし、これはナオミの最後ではありません。最後は4:14に、以前より満たされていて、その満ちることはダビデ王、そして、肉によって、キリストの先祖の一人にまで及ぶのです。ナオミが満ちることから空っぽになって、そして、また満ちるようになったという教訓は私たちも学ぶべきものです。この霊的な旅に解決しなければならない問題が4つあります。①霊的な飢え渇きの問題(1:6、19、22.)夫と一緒に神の祝福のしたから(レビ26章)出たナオミはその時の被害者になりました(士21:22)。過去を埋めて(5)祝福がある場所に戻りました(6)。神はいつもわきに祝福を用意してくださっています(22)。わたしたちは祝福を受けるために適当な位置に立っていなければなりません(創13:3、4)。②自己価値の問題(1:20、21.)。ナオミ(気持ちよい)はモアブでした悲惨な経験の故、見分けのつかない様子、絶望の思いで(11-13)名前をマラ(苦い)に変えるまで、自分には何の値打もないと考えていました。ところが、神が彼女に目を留めて下さいました(ロマ8:35-39参)。③神についての理性の問題(1;13、21、22;4:14)。ナオミの考えでは神が見方ではなく、敵となりました。積極的ではなく、消極的な結果だけを見ていました。自分の言葉でさえ「主が私を帰されました、神は見方であることを語っています。(ロマ8:31-34;ヘブ12;5-13参)④買戻しの権利ある親類の問題(2:1;3:2、12、13)。この買戻しの権利のある親類の立法はレビ25、民35、申16,25参。ナオミはこの親戚と関係を再生する必要がありました。この親類のものは贖い主、キリストを意味しています(ヨブ19:25、26)。ナオミはルツの将来を考えていましたが、主はナオミのことでした(4:14-17)。ナオミの系図はキリストにまで及びました。わたしたちは満ち満ちたところに達する為にイエス様がご自分を飽きてくださいました(ピリ2:5-11)。自分を飽きて(ピリ3:7-11)キリストの満ち満ちた恵みに信仰をもって入ろうではありませんか。(ピリ4:12、13;ヨハ1:14、16;エペ3:14-21参)