2009年5月24日 「キリストの昇天と聖所の意義」 キリストの昇天シリーズ その2
2009年5月24日の礼拝メッセージはキリストの昇天シリーズとして、ヘブル10:11-23から「キリストの昇天と聖所の意義」と題して話されました。ヘブル書の記者は始めて、その書の課題を信仰生活に当てはめています。聖所にはいることができます(ので)、神に近づこうではありませんかとチャレンジをしています。この記者は読者が旧約聖書時代のモーセの幕屋をよく知っていると見ています。私たちならどうでしょうか。わからないのなら、ここに出ている「聖所に入る」とはどういう意味なのかわからないのです。幕屋の仕組みは出25-30章に詳しく書いてあります。庭と聖所と至聖所とでできています。この地上の幕屋が天にある幕屋の雛形です。イエス様が天に昇られた時に天の幕屋、しかも、聖所ではなくて、至聖所に入っておられます。ヘブル書の8,9,10章では地上の幕屋と天上の幕屋が語られています。ただし、日本語訳では、まことの聖所、真実な聖所とは、原語からいえば、「至聖所」を意味していることに注意していただきたいのです。9:6-8は重大な聖書です。前の幕屋とは、「聖所」で、まことの聖所とは「至聖所」です。イエス様がまだ地上にいる間、至聖所への道はあきらかにされていない、(開かれていない)。しかし、天に昇られてから至聖所は私たちのために開かれました。ここに、はじめて、礼拝者と言う言葉を取り入れました。これは、私たちが至聖所で何をするのか、また、至聖所になぜ入っていかなければならないか示しています。礼拝するためです(13:15)。今、天の幕屋に聖所はなくなって、至聖所だけが残っていると思います。至聖所に入るためにイエス様が十字架の完了したはたらきと、血潮と、復活と、昇天という自分の役を果たされました(10:19、20)。私たちのなすべきことは、信仰と信仰の実際をしめす事柄(19、22節にありこと)をして、神にまことの礼拝をささげて、至聖所に入っていくだけです。そのほかの礼拝は天井にぶつかって、もどってしまうのです。イエス様は父がまことの礼拝者を求めておられるとおっしゃいました(ヨハ4:23、24)。このまことの礼拝はまことの礼拝者がまことの聖所、すなわち、至聖所の中でしかできないのです。神と親しさ(知識的に知っている立場)ではなくて、神と密接な立場から礼拝するために、至聖所の中で、神に近づこうではありませんか。