2009年5月10日 お母さんの役割とキリストの体
2009年5月10日は母の日で、礼拝メッセージはヘブルの手紙10:1-7から「お母さんの役割とキリストの体」と題して話されました。女の人の役割は母となって、満足されるのです。漢字辞書を調べると母を含めた字はあまりありません。それほどお母さんは唯一の存在を示しています。例えば、母:正座をして、胸に二つの乳房がある女の人をえがいた字。毎:頭にかんざしをつけた母を描いた字。母親は次々と子供を産むことから「ふえる」ことと言う意味を表し、ふえたもの一つ一つをさす言葉に使われるようになりました。毒:芽を出した草と母を合わせた字。薬草をぐたぐたにつぶして、しぼったもので、子供をうむ女の人が使います。創3:20に 「人は、その妻の名をエバと呼んだ。それは、彼女がすべて生きているものの母であったからである」。聖書の中で母という言葉が365回、出ています(一年の日数)。ある母は目立っています。リベカ、創24:60。モーセの母、無名で、出2章。ナオミ、ルツ記。ハンナ、1サムエル記。敬虔な母、箴言31章。イエスの母マリヤとバプテズマのヨハネの母エリザベツ、4つ福音書。テモテの母ユニケ、2テモ1:5。ここで、イエスの母マリヤを見ましょう。マリヤの生涯に7つの意義あるできことがあって、その一つ一つは母と言うものの役割と心を示しています。① 夫ヨセフと婚約者になったこと(マタ1:18-25)。結婚生活と母親になるのを期待していました。でも無経験なので心配したでしょう。② 天使の現れと自分の運命に出会うこと(ルカ1:26-38)。次々と彼女の生涯は引っくり返されました。飼い葉桶でのお産とイエスの誕生、賢い人と羊飼いたちの訪れ、エリザベツとシメオンの予言、エジプトへの避難。③ イエスが12歳の時に宮詣のこと(ルカ:41-52)。マリヤは自分の子供に対して神の運命に直面して、それに子供を委ねるようになります。④ カナンの婚礼のこと(ヨハネ2:1-11)。息子に対して、誇りをもった母マリヤは神の計画を無理に成就させようとしましたがイエスが「私の時はまだです」といわれました。⑤ 故郷カペナウムでのこと(ヨハ2:12)。一人親となったマリヤが家族の一致を保ちながら、なくなった夫ヨセフがした大工の商売を続けたでしょう。⑥ 十字架のこと(ヨハ19:25-27)。母マリヤは仕方のないまま息子が死んでいくのを見なくてはなりませんでした。でも、今は、イエスを救い主として信じていたでしょう。(イエス様が復活してから母マリヤに個人的に現れた記録はありません)。⑦ ペンテコステの時のこと(使1:14)。マリヤは聖霊による信仰生活を送っている信者の型です。第2部。ヘブル10:5に「わたしのためにからだを造ってくださいました」とあります。ここにある「からだ」とは、① 御子なる神がこの世に入るために利用したマリヤのからだ。② 旧約聖書の中で見える、動物のからだによるいけにえの意義を成就したイエスご自身のからだ。③ 信者個人個人のからだ(マタ12:46;ガラ4:19;ロ12:1、2)。④ からだなる教会(ガラ4;26;エペ1:16-23)。注意、地上に偽るからだがある(黙17:5、14)。私たちの母の愛に感謝しながら、マリヤの母としての模範にならいましょう。そして、個人的にと合同的に内住のキリストを迎えましょう。