2009年2月1日 「望みを運ぶ人」 神の祝福を運ぶ人シリーズ その4
2009年2月1日の礼拝メッセージは「神の祝福を運ぶ人」シリーズとして、創世記50章22-26から「望みを運ぶ人」と題して話されました。25節を中心にして、ヨセフの骨(死体)は自分の将来に対する望みを象徴しています。この出来事は出エジプト13:19;ヨシュア記24:32;ヘブ11:22に記されて、信仰生活に関係があります。ヨセフは「奴隷の国にわたしを葬らないで、父アブラハムに与えられた約束の国に私の骨を運んで、そこに葬りなさい」と言ったのです。このことを通して次のことを学びます。①あなたの将来はあなたの過去にある。24節、この地から誓われた地へ。その過去とはあなた自身の罪人であった過去ではなく、あなたに対する神の永遠の計画という過去です(エペソ1:4;コロ1:13;1ペテ2:9;2ペテ1:11;使徒26:28)。②望みがあなたの人生に生じるのは神の訪れによりものです。24節、神は必ずあなた方を顧みられる。この訪れは、歴史的にルカ1:68、76-79;経験的に詩106:4;時間的にルカ19:44;未来的に1ペテ2:12.③この望みは信仰によって保存されています(ヘブ11:22)。ミイラと言う防腐処置はヨセフの死体を保存したが信仰が望みを保存しました。その同じ信仰がすぐれた復活をわたしたちに保証してくれるのです。(ヘブ11:32、33;ピリ3:7-14.④ 望みは代々的、(遺産の一部)です。33節、アブラハム、イサク、ヤコブ(創47:29-31;使7:15、16)。この遺産としての望みの詳細は1ペテ3-9に、望みの発見は10-12に;望みの経験と実行は13-19にあります。ヨセフは若い時にエジプトに入った時から100歳で死んだ時まで、望みを抱いて、自分の骨をカナンの地に運ぶ命令をすることによって、子孫にこの同じ望みを抱かせました。数百年間、イスラエル人は奴隷生活をして、毎日の辛い中で、ヨセフの死体が納めてある棺を見ながら決してその望みを失いませんでした。あなたはどうでしょか。骨を運ぶ人でしょうか。