2009年2月7日 「人に対して不当な行いを運ぶ人」 神の祝福を運ぶ人 シリーズ その5
2009年2月7日の礼拝メッセージは「神の祝福を運ぶ人」シリーズとして、2歴代誌28:8-15から、「人に対して不当な行いを運ぶ人」Carriers of injusticeと題して話されました。15節の「足の弱い者をろばに乗せて運び、兄弟たちのもと、なつめやしの町エリコに連れて行った」と言う言葉が中心です。イスラエルがユダを不法的に(11:4)攻撃して、彼らを捕虜に取った上、自分の奴隷にするつもりでした。ところが、ある人が預言者を通して警告を受けて、立ち上がり、その不正な行為をひっくり返して正当にするために、このうえなく不条理を肩代わりする人となる決心をしました。ろばに人を乗せると同時にその人が受けた不当をも運ぶ者となりました。この出来事はルカ10章に記された「よきサマリア人」の物語に似ています。では、不当を肩代わりする人になるためにどうすればよいでしょうか。①自分が受けた不当を解決しないとならない。イエス様が肩代わりする人となった(ルカ4:18;イゼヤ53:3-7)。不当の行為によって受けた傷を癒す資料がある(黙3:18)。十字架を抱きしめる(マタイ11:28)。②受けた不当を肩代わりする人には次の特徴があります。動機は2コリン1:3-6。わたしたちはみな、神様に対して不法、不正、罪を犯したしまったことをわすれてはなりません。これはわたしたちにある負債ですローマ1:14-16。2歴代誌28章15節から、ア)不当を見分けること9-11。自分の判断力によるのではなく、神によって不当を見分けること。イ)不当に対して立ち上がること12,13。ウ)実際的行動を取ること15。着る物を着せるとは救いの一部として受けるものですイザヤ61:3-10。くつを履かせるとは過去を忘れ、将来に対して希望を与えることです雅歌7:1;ルカ15:22。エリコの町とは、なつめが御霊による実ガラ5:22;そして、兄弟たちの教会による新しい人間関係を意味しています。受けた不当を肩代わりする人となることを通して、神の祝福を運ぶ者となります。