2009年1月25日 苦々しい思いを克服する 神の祝福を運ぶ人シリーズ その3

2009年1月25日の礼拝メッセージは「神の祝福を運ぶ人」シリーズとして、2列王記4:9-37から「苦々しい思いを克服する」と題して話されました。神の祝福を人々に運び、施すことができるようになる為には、自分の心の中で持ち運んでいる邪魔するものを片付けなければなりません。この物語の中の女は子供がない為に自分、夫、神、に対して苦々しい思いを持っていたと感じます。エリシャに彼女が答えた言葉でそう分かると思います。(27、28、)。原語では「苦しんでいる」とは苦いと言う意味。息子の死んだ体はその苦さを象徴しています。苦々しい思いを持つということは一つの選択です。自分を傷つけるものに対する反応の選択です。苦さは心に影響します(エレ4:18);心の中のコブラの毒のようで、神の祝福を得る期待を奪います(ヨブ20:14、17)哀歌の書ではこの問題が取り上げられています。では、苦々しい思いの原因を考えましょう。① 人に不当なことが要求されること(出1:4);② 偽宗教と神々を求めること(申 29:9、18);③ 神の懲らしめに不適当に反応すること(ヘブ12:15);④ 他人に対する恨み(1サム6-10)⑤ 罪を悔い改めないで、神の恵みを受けようと思うこと(使徒8:18-23);⑥ 神が要求される奉仕をしたくないこと(エゼ3:14)。では、苦さを負かせる方法を考えましょう。①勝利の約束がある(ヨブ3:20)② 打ち勝ったものの証がある(イザ38:17);③苦々しい思いをもつのは選択のよるものと同じように負かせるのも選択によるのです(コロ3:19);④ 思い切った行動を取ること(エペ4:31、32);キリストの十字架を抱きしめること(出15;22-25 ここにある木は十字架を意味しています)女は息子の死体(自分の苦々しい思いを二階のエリシャのベッドの上に運んで寝かせたように私達も心の苦さをイエス様のところに運んでいったら癒されます。そうしたら、「苦い死体」は生き返らされて「甘くて、喜びと希望に満ちた「生きた体」になります。