2008年11月9日 魂に対する戦いシリーズ その2 「くびきにはくびきで」
2008年11月9日の礼拝メッセージは「魂に対する戦い」シリーズとしてマタイ11:16-30から「くびきにはくびきで」と題して話されました。生活の中の事柄は精神(聖書では魂と言う意味)に影響を及ぼします(マタイ13:7、22)。心の首にくびきを掛けられるように感じるようになります。開放はもう一つ、しかも違うくびきを掛けることにあるのです(マタイ11:29)。この言葉に二種類の安らぎがあります。28節にイエス様が改めて、信じて来る罪人に下さる救いの恵みとしての安らぎがあります。29節に救いを得た後にイエス様に従って行く決心をする人にくる安らぎがあります。この従うと言うのは、くびきをイエス様の手から取って自分に掛けることで、イエス様を学ぶと言うのは弟子訓練を受けると言う意味です。クリスチャンになる時、信仰生活に以前の生活からたくさんの影響(くびき)を持ってきます。これは聖書の中で「くびき」という言葉にたとえられています。たとえば、このくびきエレ28:13.不真の礼拝です。鉄のくびき申28:48.霊的な飢え渇き、裸、欠乏です。束縛のくびきレビ26:13.エジプトは世、肉、悪魔による奴隷生活のことです。悲しみのくびき1列12:4.残酷、無駄正しい経験のことです。苛酷のくびき1列12:4.苛められ、圧性、自由を抑えられることです。むちとさそりのくびき1列12:4.傷と毒のことです。悪のくびきイザ58:6.心を砕くことです。伝統のくびき使15:10.古い生活の行いです。宗教的行事のくびきガラ5:1.祝いより儀式のことです。両立しない人間関係のくびき2コリ6:14.無信者に制いせられること。言い訳と遅延のくびきルカ14:19.キリストより上に別なものを選ぶことです。このようなくびきをキリストのくびきと交換する。キリストのくびきには次の祝福があります。正義レビ26:13.これは神様が主権的にされる恵みの働きです。主を知ることエゼ34:27.キリストの十字架と復活に預かることによって経験する祝福です。主の道を知ることエレ5:5.信仰の指導者に倣う祝福です。精神的と霊的な糧ホセ11:4.キリストの愛に大塔することによって受ける祝福です。自由ガラ5:1.キリストの側に立つことによって受ける祝福です。成功ある奉仕ピリ4:3.強力者、動労者とは原語ではわたしとくびき付けられるという意味、同信者と共に福音宣教に預かる祝福です。キリストのくびきを負うとは十字架を負うことですマタ16:24.そこに魂の安らぎが来るのです。