2008年9月21日 神の国と子供たち

2008年9月21日の礼拝メッセージはマタイ18:1-10から「神の国と子供たち」と題して話されました。先週の献児式に対でこのトピックはかなり興味があると思います。子供が神の御国にどんなかかわりがあるでしょうか。聖書の中で子供と言うものは年齢だけのことではなく、境遇、他のものとのかかわりを意味することです。たとえば、身重、体内の子、流産の子、えい児、生まればかりの子、乳飲み子、幼子、乳離れた子、幼児子供、少年、青年 とあります。使徒10章にコルネリヤという人の家族の救いが記録されています。この人たちはペテロの話を聞いて、理解し、そして心の中に信仰が与えられ、聖霊によって満たされ、洗礼まで受けました。そこに子供たちがいたとは書いてありませんがいるにしても、そのこどもたちが旧約時代のイスラエル民族社会制度にしたがって、父親の主権の元で祝福を得たでしょう。使徒11:14;16:31参考。1コリント7:12-14に一人の信者によってもう一人の無信者の配偶者と子供が神と特別なかかわりに入っているとわかります。聖別されて、汚れたものではなく、聖いのです。これらの言葉も神とイスラエル民族の間に結ばれた契約関係を元に意味を表現しています。異邦人はイスラエル人の中に住んでいる間に、イスラエル人の祝福に預かっているように無信者の配偶者と子供たちは信者の祝福に預かっています。そして自分もそのかかわりの中で個人的に信仰に至る可能性があるのです。神の国はこどものものです(マルコ10:13-16)神の国に入る条件はマタイ18:1-10によると、子供のように悔い改めて、自分を低くすること、人をつまずかせないこと、人を見下げないこと、です。こどもは神の祝福が受けられます(ルカ1:15、41、44)神に反応できる(マタイ11:25)神を賛美できる(マタイ21:16)、詩篇8:2参考。親は子供がキリストを容易に信じることができるために家の中で最も適切な環境を作る義務があります。