2008年8月17日の礼拝のメッセージは「信仰の度合い」シリーズとしてマタイ17:14-21から「からし種ほどの信仰」と題して話されました。からし種の信仰を信仰の度合いの目録の中に含むのは正しくないかもしれない。このたとえは信仰の量じゃなく、質のことを示しています。また、その信仰によって何を生じるか、なんの祝福をもたらすかと言うことです。からし種のたとえ話は3つの箇所で話されています。そしてルカの福音書では「主よ、私たちの信仰を増してください」と言う弟子達の願いに、イエス様がからし種の信仰をはなして、答えられました。①マタ13:31,32.からし種は神の御国を例えています。神ご自身の命と性質が入ったイエス様は地にまかれ、福音に応答することによって教会が世界中に広がり、おおくのひとが魂に安らぎを得ています。教訓は、神の命の持った者に力があり、大いなる運命を持ち、人々を祝福する可能性があります。
②マルコ11:23-26.からし種は祈りの力を例えています。神を信じるとは、別訳では神の信仰を持つとあります。祈る時、願い求める、そしてすでに受けたと信じる、そうすれば現実に受けるようになる。要するに現実になる前から信仰の次元に受ける必要があります。その信仰の原理は土にまかれた種のように人を許してあげることによって己に死ななければなりません。③ルカ17:5,6.からし種は僕たることを例えています。つまずきを起こさせるものを一日七度まで許して上げないといけないとのに対して、弟子達は「やーそれはむずかしい、我々の信仰がまだそんな信仰じゃない、信仰を増してください」と。そこでイエス様はからし種の例えの一部として役に立たない僕の話を語られました。しもべは、言われたとおりにする、自分が先と考えない、感謝されることを求めない。これはからし種の信仰の質です。この信仰は御こころなら山を移すことができるのです。