2008年6月1日 その7 大祭司イエスが与えられる報い

2008年6月1日の礼拝のメッセージは「昇天と信仰生活の関連性」シリーズとして黙示録1:1-7から「大祭司イエスが与えられる報い」と題して話されました。黙1:5,6節を中心にして私たちは血によって購われた信者として神の子供である祝福を受けるために召されただけではなく、王と祭司になって神に仕えるために高くて、聖なる召しを与えられています。この王なる祭司と言う二重役目の努めはキリストにあって結合されて、そしてキリストがご自分と共に私たちを神のために祭司となるように引き寄せてくださいます。この祭司という聖職はー①キリストによる購いの結果です(1:5-14)ここに祭司の勤めの内閣が詳しく示されています。②その職は霊的なものです(1ペテ2:5,9)これは信者の世の中と神の御前での家柄です。申7:6-9にこれはどのようになったか記されています。③その職は個人的なものであり、共同的なものでもあります(イザヤ61:6)代名詞は複数で、動詞は集合的です。出エジプト19:5,6に「祭司の王国」とはこれを表現しています。④その活躍は霊的なささげ物をする事です(1ペテ2:9)参ヘブル13:15,16;ホセア14:2。ペンテコステの日に屋上で弟子たちは神に向かって賛美と礼拝、そして神の素晴しいわざを異言で語ったと同じようにわたしたちの祭司として捧げる霊的なささげ物の対象も神です。