2008年6月8日 その8 信者の祭司の務めと夕べのささげ物

2008年6月8日の礼拝メッセージは「昇天と信仰生活の関連性」シリーズとして詩篇141編:1、2から「信者の祭司の務めと夕べのささげ物」と題して話されました。前回の話の続きで、信者の祭司の努めは唇の果実を(ヘブル13:15)霊的なささげ物として、歌、楽器を共に賛美、祈りをもって、神の素晴しい御業を延べ伝え(ほめる)と言うことです(黙5:6-9)。祈ると言うことはただ願うと言う意味だけではなく、一般的に「あがめる、礼拝する」と言う意味です。このような祈りは香と言う言葉に象徴されています。詩篇141:2に祈りと手を上げることはヘブライ語で礼拝すると言う婉曲な表現で、「夕べのささげ物」と一致しています。夕べのささげ物は(出29:38-42、レビ2を参照)朝夕にささげて、神が一切の命を与えて、支え、守ってくださるのに対する感謝を意味し、キリストによってのみ人は神に受け入れられると象徴しています。したがって、午後3時から始まったこの夕べのささげ物はキリストの十字架をさしています(2コリ2:14-16;エペ5:2)。次の聖句では夕べのささげ物、神を礼拝して、さんびする意義などを教えています。①1列王18:19-39.生活に神の主権と献身を再確認する。②1歴代23:26-32.神に奉仕をしながら礼拝者でなければならない(ヨハ4:23,24)。③エズラ9:2-5.精神的、霊的な回復を受ける。④ダニエル9:16-23.神の御心をさとり、ビジョンを受ける。動物、穀物をもう捧げなくても良いわたしたちキリスト信者は神のために祭司とせられ、賛美と礼拝そして証を夕べのささげ物のように神様をあがめ、ほめたたえる義務と特権が与えられています。イエスキリストを通して、ますます、一生懸命そうしようではありませんか。これでこのシリーズが終わります。