2008年6月22日 「神の栄光を現す生涯」 ヨハネ第9章と信仰への進路シリーズ その1

2008年6月22日の礼拝メッセージは「ヨハネ第9章と信仰への進路」シリーズとして、ヨハネ9:1-12から「神の栄光を現す生涯」と題して話されました。クリスチャンはイエス様にならって生活をする者です。その生活は神の業を行うと言うことです。この物語は道徳的、霊的な意味があるとイエス様が言われた(39-41).盲人は奇跡を経験したところから救いを得させる信仰を告白するところに進んだ。救いと信仰生活は神の栄光を現すものです。このシリーズの最初の話ではイエス様に目を注がなくてはなりません。イエス様が行った奇跡のほとんどすべてが自分の栄光を現して、人を救いを得させる信仰に導く為でした。(参ヨハ2:11;11:4,14,15)イエス様は弟子たちの質問に答えて、この盲人がどういう原因で生まれついて盲目だったか問題ではなく、彼に神の栄光ある業を行う機会があると言うことはもっと大切ですと言われました。では神の栄光を現す生涯はどんなものでしょうか。①その者には地上でなすべきはっきりした働きがあって、その働きの細かい点まで神に計画されている。②その者のすべての働きは神の業〔栄光〕を行う為です。③そのすべての働きに決まった時と場所がある。④その働きの一つを行わないなら計画のすべてが混乱させられるようになる。⑤各働きを行うべき時に感受性を持つ。盲人の運命はイエス様の生涯と絡み付いています。神から使わされてイエスとの密接な関係に入る為に、「使わされた」と言う意味、シロムの池に洗いに行かなければなりませんでした。これは実行です。盲人は神の栄光を現す生涯を生きるために次のことが重要でした。事情に目を注がない事。現状の原因を過去に調べない事。現状に対して他人に責めを負わせない事。事情は神の恵みを受ける機会と考える事。イエス様に目を注ぐ事。神が自分の栄光を現す為に自分をゆだねる事。イエスがいわれる通りにする事。(次回―キリストに弟子になる代価)