2000年5月18日 その5 取り成ししておられる大祭司なるイエス

2000年5月18日の礼拝メッセージは「昇天と信仰生活の関連性」のシリーズとしてヘブル7:22-28から「取り成ししておられる大祭司なるイエス」と題して話されました。この話題は天ではイエス様とサタンの活動に窓を開きます。聖書の中で「取り成しを意味して次の言葉が用いられています。調停者、弁護者、仲裁者、仲介者。辞書によると「争いの間に入って和解をさせること。両者の間に立って便宜をはかること。中立とどっちつかずの立場」と言う意味ですが聖書では、特にイエスの取り成しは中立の立場ではなく、えこひいきの立場でもありません。イエスは神の御前で私たちの側に立ってくださいます。このような取り成しの例はヨブ記9:33審判、弁論;ルツ記3:2,12,13親族、親戚ボアズ;ロマ8:26.27聖霊にあります。ではなぜこのような取り成しが必要でしょうか。①未信者が悔い改めて罪の許しを受ける為です。1テモ2:5,6.イエスは十字架の上で一度だけ罪のために死んで、今、天でその死の結果、罪の許しにかかわった取り成し、を行ってくださっています。ヘブ7:24,27;イザヤ53:12;ルカ23:34.②信者が罪を犯した場合あわれみときよめを受ける為にです。1ヨハ1:8,9;2:1,2。ロマ書の7,8章がこの問題をとりあげています。信者の中の霊肉の戦いと言うことです。そしてイエス様の〔取り成し〕お陰で、罪に定められることはありません。③サタンの訴えにたいして弁論してもらう為にです。黙示12:10.このサタンは兄弟たちの告白者と呼ばれています。わたしたちは世の中では不完全でまだまだ過ちや、不従順や罪などを犯します。そこでサタンは申し立てて訴えます。ヨブ1:6-22.ヨハネ8:10を例。このような取り成しによって完全な救いを受けるのです。