2008年5月11日 その4 魂の錨
2008年5月11日の礼拝メッセージは「昇天と信仰生活の関連性」のシリーズとしてヘブル6:11-20から「魂の錨」と題して話されました。聖書では希望と言うものは人間に始まるのではなく神に始まるのです。したがって、希望はほしいこと、願うこと、慕い求めることではありあません。この聖句に希望について7つのことが記されています。希望を切望する、前に置かれる、希望を捕らえる、魂の錨です、垂れ幕の内にある、希望はイエスご自身です、大祭司イエスにかかわっている。ようするに天にある至聖所に入られたイエスです。この希望があるからこそ次のことについて励まされます。①希望は勤勉なクリスチャン生活をする動機となっている(11,12)。6:1,2に信仰生活の初歩的なことが書いてある。そして9節に救いに伴うこととある。希望が信仰生活にチャレンジを与えるものには、熱心、確信、怠けず、信仰と忍耐、にならうものとなることがある。②希望は神のご計画に預かるように励まされる(17)これは神様が私たちと契約を結ぶ方法を通してできる(13-17)ご自分を指して誓われました。次のことに注目、かわらない計画、変わらない方法―約束と誓い、かわらない本質。③希望は捕らえるように励まされる(18)すなわちイエスと密接な交わりをするように幕の内に入り行かせる「口語訳」まず世を逃れて救いときよめを受ける(2ペテロ1:4)そして信仰生活のために魂の錨としてイエスを捕らえる。④この希望によって安全にして不動になる(19)船の錨が海の底に確りつけてあると荒海や風などに動かされないようにまだ地上にいるわたしたちは天にある錨、イエスに確り結び付けられているなら安全な信仰生活ができるのです。