2008年3月2日 満ち足りている恵み
2008年3月2日の礼拝メッセージは私の14年間の牧師期間を祝いして、2コリン12:1-10から「満ち足りている恵み」と題して話されました。牧師であろうとも信者であろうとも、世界や教会や自分の生活の事情などに不平を言ったり、不満な思いをしたりすることは少なくはないでしょう。その事情が変わるように主に祈って願ったこともあるかもしれないが変わらない。そこに、「私の恵みはあなたに十分です」と主がいわれるのを聞く必要があるでしょう。それはなぜでしょうか。①得た霊的な祝福があまりすばらしいからです(1-4,7)。私たちのキリストのうちにある位、天の所に上げられた祝福されたこと(エペ2:2-9)そしてその啓示の豊かさ(誇張法)の上です。その経験を口で言い表す言葉はまだない、口から流れない(原語)②そのような祝福を得るには代価があるのです。(7,8)主からあたえられるとげ、サタンの使いと言う試練のことです。(2コリン11:23-29;1ペテ1:3-9;ヘブル11:33-38).祈っても取り去らされない。(マタ26:39;ヨハ18:11)この杯は聖餐式で飲む新契約の杯です。③十分な恵みとは何でしょうか恵みとは神が私たちと一緒に住むと決心されることです。(ヨハ1:17,18)原語では、十分とは役に立つ、用が足りる、柵、障壁、障害、通れなくする、塞ぐという意味です。そして、私たちの弱さに恵みを通してキリストの力が現れるという原理が働いています。ただ。その弱さを喜ばなければならないという条件があります。このキリストの力がおおっているというのは創世記1:2に御霊が水の表をおおっていると同じです。すなわち鶏が卵の上に座って雛が生まれるように期待を持つと言う意味です。そのようなわたくしたちは自分の弱さをキリストの力と交換して強くなるのです。15年目の牧師を始めるにあたって、主の満ち足りている恵みを喜びましょう。