2008年2月17日 私こそ神の奇跡です
2008年2月17日の礼拝メッセージは詩篇71:1-14から「私こそ神の奇跡です」と題して話されました。8節に「私は多くの人にとっては奇跡と思われました」新解約。神が素晴しいことをしてくださることを奇跡だと考えても良いでしょう。しかし今の言葉によると敵対する事情の中で神に喜ばれるような反応を示すなら私は奇跡となるのです。この詩篇を書いた人は生涯の始まる前から神の奇跡的な業を経験し、人と神御自身からひどい目にあわされたことがあるのに希望を神に掛け、身を捧げ、神を信頼して、その偉大さを証し、そして神は自分の偉大さを増してくださるという信仰を告白しています。そのような人こそ「奇跡」です。その秘訣と動力はなんでしょうか。第1に、イザヤ8:18の前後を見ますと①神は共におられることを知って、その臨在を自分の住まいとしている。②神の権威ある言葉によって導かれる。③キリストの躓きの十字架と等しくなる。④ヘブ2:18キリストの体なる教会に密接なかかわりがある。第2に、1コリン4:9の前後を見ますと①見せ物となる。見せ物とはギリシャ語から直訳すれば劇場、演劇、芝居と言う意味。その舞台は野外にあって、町の広場で行う。クリスチャンと言うものは自分の生活が見せ物になって人に見られてもかまわないはずです。さまざまな事情に対してどのように反応するかが神、イエス、聖霊は生活の中でどれほど現実であるか示しているのです。ヘブ10:32-35.そして人の目の前で神の出品になります。多くに人にとっては奇跡と考えられるなら何よりでしょう。門を通って、人の為に道を備えながら、一歩踏み出して行こうではありませんか。