2008年1月6日 つまずきの十字架

2008年1月6日の礼拝メッセージはヨハ6:51-61から、「つまずきの十字架」と題して話されました。中心の言葉は60,61にあります。ここに、イエス様は十字架の死を通してご自分を信じる者に永遠の命を与えると教えておられました。しかし弟子たちはその真理を受け入れよとせず、反発してつぶやきました。そこでイエスは「これ(十字架)でつまずくのか」と答えました。新約聖書では信者の信仰生活の中の十字架と言うことは重大な真理です。弟子たちは弟子訓練中の時、イエスを十字架から救おうとしましたがイエスがその考えを邪魔(つまずき)ものと読んだのです。(マタ16:23)十字架を取り上げないでは信者は弟子になることが出来ません。イエスご自身と十字架と十字架の言葉は救いを得る道に「つまずきの石、妨げの岩」です(マル6:3;ロマ9:32,33;1ペテ2:8;1コリン1:23)では十字架でつまずかない者の特徴はなんでしょか。①物理的なものの為にではなくて、霊的な祝福を受ける為にイエスについて行く(ヨハ6:26,27)パンは一時的に満足させるでしょうが私の生活の中で神の力ある働きが永遠に残ります。②イエスは天から来られた方を認めて、その主権の下で生きる(6;27;使徒2;22)③この祝福を感謝していながら、新しい祝福を受け入れる(6:31,32,49,58)むかし、イスラエル民族が荒野でマナで祝福されました。しかしその祝福はその時の為にだけでした。モーセでさえ死んだのです。イエス様が与えてくださる祝福は永遠に残ります。今日、過去の祝福だけによって生きてはなりません。④自分の内に神の命を持っている(6:51-56)。主の食卓(聖餐式)ではこの信者の信仰生活の中の十字架をお祝いします。これでつまずくのか。