2007年11月4日 むなしい生き方からの購い
2007年11月4日の礼拝メッセージは1ペテロ1:18-21から「むなしい生き方からの購い」と題して話されました。今回は、「聖書の中の重大な言葉」シリーズの中、「購い」と言う言葉について話しました。今まで話した言葉は、それぞれ、救いの祝福を示しています。購いと言う言葉は救いの代価を強調しています。18,19節に3つの重大点があります。1.キリストの血は金と銀に対して、品物の価値を比較しています。2.キリストの尊い血とは、道徳的な価値を強調しています。3.傷もなく汚れもない子羊とは、宗教的な価値を指摘して、旧約聖書にある贖罪の日をさしています。ですから購いの本来はユダヤ人の社会行事にあるのです。格50年目を「ユベルの年、解放の年という意味と読んで、売った土地、と家、と奴隷生活に売った人が買い戻されるようになった。このために2者の持ち主は損するので彼に買い戻し金を払った。(レビ25章、民3:49)ルツ記の中にボアヅが買い戻しの権利のある親族の義務をはたしてルツをお嫁に迎えるためにこの法定を守った。聖書の中に神はわが購い主と呼ばれています。救いに関しては、イエス様が究極の犠牲(代価)を払ってくださいました。それはご自分の血でした。それで、信者は買い取られた者であり、キリストの所有物となった。1コリン6;19,20.購いの結果には、罪の許しと儀と認められること(ロ3:23,24)清めとよい行いに対する熱心(テト2:14)永遠の救い(ヘ9:12)むなしい生き方からの救い(1ペ1:18」王と祭司とせられることがある。(黙5:9)そして最終的の購いのために聖霊様を保証として心の中に送ってくださいました。(エペ1“14;4:30)この金で買えないほどの購いをいただくためにイエス様が最高の値段を払ってくださいました。それゆえに、神様はわたくしたちに救いを値なしにくださるのです。ただ、イエスの十字架の元でへりくだって自分には救われる必要があると告白するだけです。(ロ3:23、イザ55:1,2)このような尊い購いはキリストの尊い血によったものなので(黙12:10,11)価値のあるものとして考えるべきではないでしょうか。聖餐式はこのために行われるのです。