2007年10月28日 神と和解させていただきなさい
2007年10月28日の礼拝メエセージは2コリン5;17-21から「神と和解させていただきなさい」と題して話されました。和解と言う言葉は家庭裁判でよく用いられます。当事者が互いに譲歩して、その間にある争いをやめる義務を負う契約のことです。聖書は人間の間に仲直りが出来る前に人は神様と和解を受ける必要があると教えています。2コリン5書では人が新しく作られるためにこのような和解を通して神が私たちの罪をキリストに負わせて、私たちを義人にしてくださったと示されています。これは和解のはたらきです。それではなぜ、人間が神と和解させていただく必要があるでしょか。創3書アダムとエバは罪を犯して自分から進んで神から離れ、身を隠す決心をしました。その結果、人間とその世界に多くの変化起こり、ついにエデンの園から追放されるようになりました。ところがキリストが最後のアダム〔新しい人類〔アダム〕として世界を元の状態に戻すために来てくださいました。1コリン15:22,45.旧約聖書の中のヤコブとエサウのことはこれを例えています。ヤコブはエサウと父イサクをだまして、エサウの長男としての権威を奪ってしまいました。そして、エサウに殺されると思って逃げました。相当の年月がたった後にヤコブは自分の国に帰っていく途中で神に会って変えられました。「神の王子、神と力がある」と言う意味を示すイスラエルと言う新しい名前を授けられました。創32書。その後にエサウに会った時、エサウも変わったようでした。ヤコブがエサウの顔に神の顔を見たと言いました。和解ということは神ご自身がその働きをなさらない限り、人は自分の内が代わらない限り、人と人の間に和解は不可能です。放蕩息子も同じでした。ルカ15書。人と神に対して罪を犯してしまったと認めてください。そうすれば神のキリストによる救いの祝福と和解を受けることが出来るのです。