2007年10月14日 真の霊的回復
2007年10月14日の礼拝メッセージは使徒3:12-21から「真の霊的回復」と題して話されました。今日、聖書の中で重大な言葉の一つを見てみたいと思います。それは「回復」と言うことです。先週は「改革」と言う言葉でした。20節に「主の御前から回復の時が来る」と書いてあります。この回復の本質は霊的なものですが適用に関しては実用的なものです。原語のギリシャ語では2つの言葉から出ています。一つは今までの事情をストップさせて、違う、しかも新しい事情を取り入れると言う意味で、もう一つは以前にあったがなくなった事情をやさしく呼吸しなら取り戻すという意味です。詩者がこの2つの意味を詩42:1;63:1の各篇にある「慕いあえぐ」と「慕いこがれる」と言う言葉を通して上手に示しています。この回復の時はイエス様の御再臨が起こる前の時代、すなわち、今の福音の時代の特徴の一つです。この霊的な本来があって、でも非常に実用的な回復は神様から来るものですが人間の側ではどういう動力によって起こるか次の聖書の中で見えるでしょう。①使3:19,20に悔い改めと改心。②ロ15:32に神の民たちの中に自分は一人でいること。③1コリン16:18にそのコミュニティーの中で責任を果たすこと。④2テモ1;16に他人の不幸を恥ずかしく思わないでいること。⑤ピレ1:7に福音を伝えること。⑥1サム16;23に聖霊の油注がれた音楽を聞く事。⑦救いの根本的真理を確信すること。(この出来事が起こった町の名前バヒムは青年という意味です。伝12:1比較して)⑧イザ28:12に異言で語ること。動物は体の中から熱い空気を出して、そして同時に冷たい空気を体の中に入れるためにあえぎます。神の新鮮な空気、天国、神の御国を慕って気を失うばかりで、こがれ、あえぎましょう。そうすれば神の御前から回復の時がきます。