2007年9月9日 さびしいところに行って、休みなさい
2007年9月9日の礼拝メッセージは「さびしいところに行って、休みなさい」と題して、マルコ6:30-32から話されました。イエスは最も優れた指導者だったので、自分の弟子たちには体、精神、そして霊を新たにする必要があるとわかりました。私個人にと教会生活にも同じです。ところが多くのクリスチャンがどのようにして自分を新たにすればよいのかわからないのです。31節を中心にして、前後には重大な出来事が二つずつあります。前に、弟子たちの非常に成功した奉仕とバプテスマのヨハネの死刑があって、後には5000人に食べさせた奇跡と海上の嵐があります。一つは非常にめでたいことで、もう一つは大変な悲劇でした。このように精神的に渦巻きに回らされたような私たちがどのようにして信仰を守って、魂を回復させるでしょうか。その秘訣は後に起こった出来事にあるのです。一つは教訓のためのことで、もう一つは試練(試験〕のことでした。第一に、一歩下がって、イエスに目を付けて、イエス様が働いているのを注目すること。哀れみと慈愛を持った羊飼いとして御言葉を教えられたイエスです。自分を再び、その愛と牧飼いと御言葉の権威にゆだねなさい。第二に、自分にはあるだけのものをイエスに捧げること。そうすれば、イエスがそれを祝福して、増やし、あなたに返して、そしてあなたが立ち上がって、再び、奉仕が出来るようになるのです。第三にイエスが誰であるか再び確認すること。弟子たちは嵐の真ん中にイエスだとわからなかったし、またイエスは5000人の奇跡を行うことが出来たのが神の御子であったからということもわからなかったのです。日々の生活と信仰生活の中でさまざまな事柄に巻き込まれている時に、イエスの偉大さと神性を見失うことがあるでしょう。そこでわざとさびしいところを作る必要があります。それは実際の場所、あるいは、事情を変え、態度、決心するようなことかもしれません。先日、テレビでAPECの会議に来られた中国の大統領が「ゴールドコーストに来たら純粋な酸素を吸い込んでいるような気がします」と言いました。わたくしたちは魂を新たにするため、天国の新鮮な空気を吸いましょう。