2007年9月2日 礼拝シリーズ その9             神の臨在を養うこと

2007年9月2日の礼拝メッセージはルカ24:28-36から「神の臨在を養うこと」と題して話されました。8週間にわたって語られた「礼拝」と言う課題についで、神を礼拝するつもりなら神の臨在について幾分か知る必要があります。聖書の中で「臨在」と言う意味のことばはほとんど「御前」と記されています。神は共におられ、働いてくださり、私たちが神の臨在に対する意識を高めるということはこの話題の一部ですが、今回は神の臨在の実習を通して信仰がどの点で成長できるか学びたいと思います。ルカ24:36に「イエスご自身が真中に立たれた」とあります。神の臨在を養うことによって、①神をもっと深く知るようになります。(15,16,30,31)聖餐式と聖書が重大な役をしています。②おそれを除いて、平安と喜びを回復するようになります。(41、ヨハ20:41)。③神の霊的と超自然的な働きに対して心地よくなります。(36-40)神聖な方の前で心配になるのは当然でしょうが、旧約聖書に契約の箱、集会の天幕で、新約聖書に肉体を持ったイエスがその具体的さだったが今は聖霊によるキリストの超自然的な業です。(マル16:20)神の臨在に対して自然な気持ちを持つまで神意識実習を養う必要があります。④キリストの訓戒の下に入って、信仰の訓練を受けるのです。(マル16:14)不信仰な弟子たちは後に聖霊のバプテスマを受けて、世界福音宣教に出て行った。ヘブ12:5-13を見てください。ある教会では修養会をします。この会で教会の教育者が奉仕の為の訓練受けて、その霊的な技術を養う。一般の信者も神の臨在の実習を通して、神意識を修養(おさめる=master;やしなう=cultivate)できるのです。そうすれば生活の中と合同集会の中で神様がどんな業をなさるか想像つかないでしょう。