2007年8月5日 礼拝シリーズ その5 受け入れられる礼拝の報い
2007年8月5日の礼拝メッセージは「礼拝」のシリーズの第5、創世記4:1-6から「受け入れられる礼拝の報い」と題して話されました。前回に引き続いて、神様に喜ばれる礼拝を捧げるなら報いが伴います。(ヘブ11:6)カインのささげ物は受け入れられなかったので悪い報いを受けました。受け入れられる礼拝を捧げるならその報いが良いと見ていいでしょう。その報いは①神の前で自分の価値を知ること。カインは顔を伏せた。絶望、恥、役に立たない、用はないと言う意味。(ヨブ22:2,29;詩42:6-11.)②神に自分は受け入れられる。正しく行うなら顔を上げる。別訳にまっすぐ立ち上げる、最高のものを受ける(長男としての身分と権威。ヘブル語では火をたくと言う意味。アベルのささげ物は受け入れられた証明として神が奇跡的に火を落として燃やしてしまった。(ヘブ11:4)③誘惑に打ち勝つ力を受ける。カインの神に対する怒りとアベルに対するうらやみをきっかけに罪を犯す可能性が生じました。しかしそれに打ち勝たなければなりません。1ペテ5:6-9;2テモ2:25、26;ロ6:12-14.④職業に神の祝福がある。カインの仕事はのろわれたが義人は祝福される。詩1:1,3.⑤神の哀れみと罪の許しを得る。カインは自分の罪を認めようとはせず、ただ、神の罰(淵、許されないでしょう)はあまりにひどいと考えるばかりでした。⑥神の臨在を知ること。アダムと同じように(3:23,24.)カインは神の顔の前からおい出されました。⑦平和のある安定した生活。カインはさまよい、ついにノデ(さすらい人、追放者と言う意味)に住むようになり、その生活は不安定ばかりでした。イエスの身代わりの死と血は礼拝の土台であり、これを主の食卓(聖餐式)を行うたびに覚えましょう。