2007年7月22日 礼拝シリーズ その3             神を礼拝することと人間の堕落

2007年7月22日の礼拝メッセージはローマ1:18-25から礼拝についてのシリーズ、第三で、「神を礼拝することと人間の堕落」と題して話されました。福音の中心には人がイエスキリストを信じることによって永遠の滅びと滅亡から救われて、神を礼拝するものに変えられると言うことがあります。ヨハ4:23.今日、社会が悪行に落ちていく原因は神を神として拝まないことです。クリスチャンは神が神であられるから拝んでいるがもう一つの動機はわたくしたちのキリストによる購いです。ロマ1:21、25節を中心に、人間の堕落とそれに伴ってくる神の裁き、そして救いにたどって行きます。18節に、人は神の真理を阻んでいることから始まって、28節に神を否定することに終わってしまうので。ですから人は神が罰せられるのに対して、「弁明の余地がない」。しがって、神は人を偽りの礼拝をする結果に任せてしまうのです。24-32節。ところが、神は人間にそのような生活から出て、ご自分に立ち返るように慈愛と忍耐と恵みを与えてくださいます。2:1-4.これこそ購いと救いです。そして以前に、果たすべきものにささげた自分の体を、今度は、なすべき礼拝(奉仕)で、神に生きる供え物としてささげて、神の御心を生活の中で行う礼拝者になるのです。12:1,2.聖書のどの箇所に礼拝集会の式次第は書いてありません。福音の目的は礼拝者を作ることです。このシリーズの目的もそうです。礼拝者は教会の集会にいる時だけのものではありあません。礼拝は生き方です。「続く」