2007年7月8日 礼拝シリーズ その1              朝の9時の礼拝

2007年7月8日の礼拝メッセージは使徒の働き2:1-18から「朝の9時の礼拝」と題して話されました。今日から「礼拝」について新しいシリーズをはじめます。このシリーズでは礼拝の初歩をアダムから始まって、ノア、アブラハム、モーセの天幕そしてイエス様ご自身と新約聖書が教える神への個人的また合同的礼拝について学びます。キリスト教の中心には神と人間との相互作用があります。神はいつも人に働きかけています。人はキリストを信じる時その作用によって、はじめて力ある次元に入ります。神様の現実を親密な関係の中で味わって、人の側から言えばこの親しみは「礼拝」と言っています。使徒2章は教会の1番最初の礼拝集会を記録しています。この箇所とルカ24:49-53と使徒1:13、14がその集会の内閣を示しています。祈り、神を祝福すること、そして神の偉大な業を語ることはその特徴です。その礼拝は聖霊の臨在によって満ちていて、年寄りと青年、男と女が身分差別なしに意義あるものを寄せているのです。その礼拝は今までかつてないほどに人の興味を起こされると同時に反対の反発も起こさせました。ペテロがこれはきっと神の働きのはずで、「今は9時になったばかりですから」-酒屋がまだ開いてないので酒を飲んで酔う時間ではありません。ですから「朝の9時の礼拝」とは新約聖書時代ばかりではなく、すべての時代にある真の礼拝の同意語となっているでしょう。ヨハ4:23にイエス様は真の礼拝と礼拝者について、「霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です」といわれました。その礼拝の中に礼拝者はよろこびをもって、神の偉大な業を語り、賛美し、御霊様が自由にはたらいているのなら、来会者がする「どうしたことか」という求道の質問が救いを求めて、「どうしたらよいでしょうか」とかわるでしょう。そのような礼拝によって信者と不信者の人生と永遠性が良いほうにかえられるでしょう。