2007年4月15日 イエスご自身が共に歩いておられた

先週のイースター祝祭日に引き続いて、今日もイエスの復活に関わった課題を見てみます。
この聖書では中心的な言葉は「みち」と言う言葉です。道とは人生、または真理と考えます。この聖書箇所に出てくる2人の弟子たちは非常に大きな絶望感を持って道を歩き始めましたが最後は希望と喜びを持って終わりました。その秘訣はこのメッセージの重要点です。イエス様は自分が生きていることを500人以上の者に示されましたがその詳しくは5つの記録にだけあります。
なぜイエス様はこの2人に現れたでしょうか。それはイエスが肉体的に一緒ではなくても、聖書を信じることによって希望のある人生を送ることができるということを教えてくださるためです。
なぜ彼らは絶望に落ち込んでいたでしょうか。彼らはイエスに大きな望みを持ってはいたが女たちのよみがえりの証を信じなかったからです。そしてそれから3日も経ってしまい、イエスが望みをかなえて下さることは無理だと思ったからです。
もし希望のある人生を送りたいと思うならネガティブではなくポジティブな選択をしなければなりません。イエスは二人に近づいた時、聖書を信じなかったので叱っておられます。そして聖書全体から十字架と復活、また昇天について説明してくださいました。御言葉は2人の心の中で燃える感じ(神の臨在)がしました。(詩39:3、エレ15:16、ロマ15:4を比較)後に家の中で聖餐を通して2人はイエスだとわかりました。イエスが見えなくなったのに2人には希望と喜びが戻りました。イエス様を心の中に、(ヨハ6:51―57)聖書を信じ従うならば毎日イエスにお会いできるのです。そして希望と喜びのある毎日となります。