2007年3月11日の礼拝メッセージはヨハ3:2-18から「神の御国についての門等」と題して話されました。イースタを前にして、私たちの信仰の中心的な真理を学びます。
この聖書にニコデモというイスラエルの指導者が神の御国についてイエス様のところにたずねて来ました。とあります。この時のニコデモは自分の永遠の運命を心配した求道者です。ところが心の本当の願いを隠していました。イエス様はそれを見抜いて直接にニコデモの霊的な必要を狙って、新生について語り始められるのです。イエス様がニコデモを不信仰から決心する段階まで導かれたことは、私達が人々にイエスを信じる信仰へと導く方法の教訓となります。
①1-8節、この新生は上から(天から)のもので、霊的な経験です。目には見えないがその存在は結果を通して見られるのが象徴です。②9-13節、新生は知識、経験、そして証によって証明するものです。③14節、新生は十字架なしには得られないものです。十字架によりイエスは人を代表して(人の子)罪の問題を取り去ってくださいました。④15-18節、新生は信じることによって受けるものです。信じるというのは自分をキリストにゆだねて服従することです。⑤16-18節、新生は二つの目的があります。あ)滅びから い)永遠の救いへ。ニコデモの信仰への入門は私たちと同じです。次回はニコデモは隠れクリスチャンの立場から大胆な信仰を持った信者になった道のりを調べたいと思っています。ヨハ7:45-53と19:38-42を見てください。