2007 年1月21日 種蒔きと初穂と収穫

2007 年1月21日の礼拝ッセージは2コリント9:6-15から「種蒔きと初穂と収穫」と題して話されました。前回の話では献金をささげることによって霊的な収 穫を刈り取るために信仰の種を蒔くことになるということを定めました。今回では種蒔き「献金」と初穂と霊的な収穫とはどんな関係があるのか見てみます。上 記の聖書から、「刈り取る」、「義の実」、「豊か」という言葉が中心です。献金は①無計画にではなく、志して、準備してしなくてはらない。②献金は惜しみ なく、喜んで、豊かにしなくてはならない。③献金は神様の約束と献金の聖書的法則を知った上でしなくてはならない。④献金は福音に対する信仰告白としてし なくてはならない。⑤献金は神のキリストという賜物のゆえにしなくてはならない。⑥献金は他人の中に良い結果を起こさせるためにしなくてはならない、と言 う事を学びます。創世8:22に種蒔きと収穫の法則は定められました。箴言6:6-11に蟻は収穫の大切さを教えます。各収穫の初穂の中に次の収穫の種が あります。収穫と初穂はお金ではなく人です。エレ2:3;1コリ16:15-18;ヤコ1:18;黙14:4.ですから収穫を見分ける必要があります。マ タ9:35にイエス様は人間の事情を知ってイエスの行かれる後に収穫に出て行きます。ルカ10:1、2にイエスの行かれる先に兄弟姉妹と共に共働者として 収穫に出て行きます。ヨハ4:35-38に収穫は事情がもっと良いようになってからではなく、収穫は今です。そして、収穫の後に、蒔くものも刈り取るもの も報いを受けます。しかし、収穫を信じないなら種を蒔かないでしょう。収穫を見ないでは収穫に働かないでしょう。そして、救われない人々はわたくしに訴え て、「刈る入れ時は過ぎた。それなのに、わたくしたちは救われない」エレ8:20.そのうめき声があなたの心の中で響きながら主のみ前で立てますか。「あ なたの全財産とすべての収穫の初物で、主を敬い(初穂)なさい」。箴言3:9.

07年1月14日

箴 言3章9,10節から「豊年の準備」と題して話されました。この聖書ではイスラエル民族の社会的に神の祝福を受ける条件が見られるのです。そしてわたくし たちも霊的祝福を受ける原理が見られます。それは「初物で、主を敬う」と言うことです。ヘブル語では敬うと言う言葉は初穂するという意味です。3ヨハネ2 に「魂が恵まれていると同じくすべての点で幸いを得、また健康であるように」これは比較ではなく条件です。心が健康であればすべても健康になる。この初穂 原理はレビ23章;民数3章と8章;申8章の中に読まれます。これらの聖書をよく調べてください。初穂で受けた恵みだけではなく、受けようとしている恵み のために信仰を表現するのです。初物は主の聖なるものですが祭司、教会の中で霊的管理をする人のものとなるのです。初穂によってわたくしたちは主が私たち の人生の中でどんな地位におられるのか証し、そして、神の約束を成就させるのです。初穂は残り物がどんなものになるかを制するのです。ロマ11:16.初 物を通して信仰と従順と感謝を示します。農業社会のイスラエル人は農産物の初物で主をうやまったがわたくしたちの収入はだいたいお金でしょう。西洋では結 婚式の披露宴で花嫁が後ろにブーケを投げる習慣があります。未婚の女性たちはそのブーケをキャッチするために一番良い立場に立つように互いに争います。同 じように初穂の献金を通して私たちがキリストとの関係の立場に置かれます。コロ1:13-18.そして教会の中で兄弟姉妹たちとの関係の立場に置かれるの です。コロ1:18;ロマ8:8:29;ヘブ2:11,12;22,23.次回は初物は収穫の種です。豊かに持っている中からの初穂は感謝と言う意味です が、まだ持っていない中からの初穂は信仰です。皆さんが良い年だけではなく、豊年を。。。どうぞ

06年12月31日

「2006 年12月31日礼拝メッセージ」は2コリント10章1-18から「信仰の成長を評価すること」と題して話されました。年末に一年間を振り替えて信仰はどれ ほど成長したかを判断するのは神様に対して釈明する義務があり、自分のクリスチャン生活はどれほど親権に考えているかを示しています。ゼカリ書2:1,2 では計り縄(物差し)をもってエルサレムの長さと幅を計りに行っている人がいます。この水平尺度の二つは目で見える教会を意味しています。「顔色は健康の 尺度である」とありますように個人と教会の霊的健康の尺度はなにで調べるでしょうか。この箇所では、限度、領域、計る、量り、の言葉の中に物差しと言う意 味が含まれています。使途パウロは四つのものを指摘しています。①信仰の目標を評価すること。(2コリン10:1-6)信者が二つの次元で生活をしていま す。歩みと戦いです。肉、目で見える世界に歩んでいますが神の力によって戦っています。そして、自分と教会、そして世界の中に神に逆らうすべてのものをと りこにして、キリストに服従させる。②兄弟関係を評価すること。(7,8節)お互いを外面によってではなく、キリストに属するもので、お互いを立てて助け 合うべきです。③神の御言葉に対する態度を評価すること。(9―14節)まず神様が定められた物差し(聖書)を持って、1.信仰以外の人々との関係と; 2.御言葉に対する個人的反応と;3.福音に対する証とを評価します。④将来に成長するための信仰を評価します。15、16節にパウロが今定まった指名の 限度を認めていますが将来、その限度内で自分の勤めはもっと広がるようになると見ています。ゼカリア書に戻ったら量りに行く人は道中で止めさせられまし た。将来、エルサレムが大きくなって量りえない状態になるからです。エペソ書5:11-16にキリスト御自身がその基準と物差しです。そして、信仰の成長 はどれほどあったか正しく判断するのはイエス様のみです。