2014年6月22日 「生涯の思い出になる旅のために詰めるべきもの」


2014622日は出エジプト記1024-26から「生涯の思い出になる旅のために詰めるべきもの」と題して話されました。

 

旅に持って行くものは、行く先でするアクティビティー、気候などの状況によって決めるでしょう。26節で言っているのは、旅の目的は何であるか大体わかっているが、目的地に到着するまで詳しいことはわからないので、必要であるかも知れない全てのものを持っていくべきだということです。「ひづめ一つも残すことはできません」の言葉がこれを表現しています。モーセとパロ王の対話の中に、個人の信仰の旅と、教会に与えられている使命を成就するための幾つかの教訓があります。

 

トランクに詰めなければならないものは、① クリスチャンとしての あなたの身分を 知っていること(3:18) 。ヘブル人とは渡った人、移民と言う意味です。世から神の国へ(使26:18);神と人に好意を受ける(3:21;12:36;ルカ2:52);区別された(9:4,7,11;10:22,23;11:7)の祝福です。

② キリストにあって授かった権能を理解していること (4:1-3)。杖は羊を導き、守り、そして、登山するためです。自然的な目的のため使われているものを神にささげるなら、超自然的な力あるものとなります(4:17,20;14:16;17:5;民20:8)。杖は神の御名(3:14,15;6:3)とイエスの御名を意味しています(使3:16)。

③ キリスト信仰の本質的なものを妥協しないこと(5:1-3)。パロ王は神の戒めに対して、イスラエルの人々に妥協させようとしました(8章ー10章)が、モーセは神への従順を守る決心をしました(10:26)。これは、個人的に私達のキリストへの全き献身、御言葉に立った生活;教会合同的に、信徒の交わり、教会活動に熱心にあずかること;そして、教派的には、日本人教会がペンテコスト系、異言の証明としての聖霊バプテスマ;御霊の賜物を強調することに関わっています。

④ 未知への神の啓示に対して期待を持つこと(あちらに行くまでは10:26)。これは、神に対する不安や絶望や混乱ではなく、むしろ、神に対する信頼、望み、信仰を持って、先にあることを期待することです。「ひづめ一つ残すことはできない」とは信仰の旅に必要な「こと」を指していると同時に、そのものは、あなた自身をも意味しています。このキリストにある思い出になるあなたの個人の信仰の旅と、これから日本人教会が出発しようとしている神への新しい奉仕の旅に残されないようにお祈りしています。