2010年4月18日 「計り知れない恵み」
2010年4月18日の礼拝メッセージは2010年のイースターのシリーズとして第一コリント15:1-11から「計り知れない恵み」と題して話されました。恵みというのは、神が人に施しを与えるようなものではなく、神ご自身の性質です。地上ではキリストを通してあらわしました。(ヨハ1:14-17)使徒パウロがキリストによる神の恵みを熱烈している理由は、① その恵みは自分に大きな影響を及ぼした、② 使途としての務めに成功したのは恵みのおかげ、③ その恵みは今に至るまで自分と共にある。からです。それだけでなく、月足らずで生まれたものと同様な、自分とキリストとの出会いであったからです。彼は教会を迫害し、ほかの使徒たちがしたようなイエスとの生活もなかった。物足りない、知恵不足、経験が浅いにもかかわらず、恵みを受けるのもふさわしくないのに “今の自分”になりました。その「今のわたし」とはどんな者でしょうか。①神の御名を運ぶ選びの器です。(使徒9:15)②聖霊に満たされた者(使徒9:17)。③罪を洗い流したもの。(使徒22:16)④神聖に入った者。(使徒26:18)恵みに取られたのは無駄ではなかった証拠は、使徒パウロが小アジアの国々を巡ってキリストの福音を伝えたことと、わたしたちが使っている新約聖書の中にある多くの手紙を書いたことです。月足らずで生まれた者という言葉には、胎児が妊娠36週以前に生まれるように、定まった時の前に生まれるという意味があります。要するに、後から生まれてくる者に先立つということです。霊的に後にキリストを信じて救われる者の模範です。ですからパウロの神の恵みの経験は私たちの経験にもなります。何という「計り知れない恵み」でしょう。