2007年3月25日のメッセージは日本語通訳付きで英語で、ヨハ19:38-42から「公に表された信仰」と題して話されました。
このシリーズではニコデモによる信仰の旅を調べています。最初は求道者、そして次は隠れクリスチャンでありましたが、今回自分は信者であることを明確に明かしています。しかし今日の聖書箇所に、もう一人アリマタヤのヨセフという人が一緒に現れています。彼は十字架につけられたイエス様のお体をもらい、自分の墓に葬りました。ヨセフのことは四つの福音書の中に書かれています。ほとんどが福音書の最後から二つ目の章にあります。この四つの箇所から、信仰を公に表すというのはどういう意味なのか調べて見たいと思います。
① 恐怖から勇気のある人になるということです。(マル15:43)隠していてはどうしても十分に喜ぶことはできません。イエス様が私達のために公に死んでくださいました。本当に信じているなら公に証しなくてはなりません。マタ10:32,33を調べて下さい。
② 自分のために取っておいたものをイエスにささげるようになるということです。その墓は家族のための墓でした。(マタ27:60)そしてニコデモも香油を100リットル持ってきました。マルコ12:41~44を参考にすれば、ささげものは量で価値判断するのではなく、ささげる動機だとわかります。
③ 同じように信じた兄弟姉妹たちと共に奉仕することです。今まで同じ議会の議員で、信仰を隠していたこの二人はイエスに奉仕をする機会をきっかけに、お互いの信仰を公にしました。箴言18:1を参考に調べて下さい。兄弟たちと交わりをすることによって満足が得られるのです。
④ 愛と献身をイエスに注ぐことです。(ヨハ19:39)、前にイエスに香油を塗った例があります。(マル14:1~、ルカ7 :36~ )これはイエスの十字架の意味を十分理解して、罪の許しに対する感謝の印です。そして、自分はイエスに従って福音を証しするために献身する決心を意味しています。あなたは信仰の道のどの点まで進みましたか。