<?xml version='1.0' encoding='UTF-8'?><?xml-stylesheet href="http://www.blogger.com/styles/atom.css" type="text/css"?><feed xmlns='http://www.w3.org/2005/Atom' xmlns:openSearch='http://a9.com/-/spec/opensearchrss/1.0/' xmlns:georss='http://www.georss.org/georss' xmlns:gd='http://schemas.google.com/g/2005' xmlns:thr='http://purl.org/syndication/thread/1.0'><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676</id><updated>2012-01-25T19:36:30.512+08:00</updated><title type='text'>礼拝メッセージ</title><subtitle type='html'>一つ前のページに戻るには、ブラウザーの「戻る」ボタンをクリックしてください。</subtitle><link rel='http://schemas.google.com/g/2005#feed' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/posts/default'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default?max-results=100'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/'/><link rel='hub' href='http://pubsubhubbub.appspot.com/'/><link rel='next' 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type='html'>2012年1月22日の礼拝メッセージは使徒3：1－16から「生活をする為の信仰」と題して話されました。使徒3章では、聖霊降臨の出来事の後、使徒たちの通常の生活が始まったのが見て取れます。足のきかない人が癒されたことは、初代教会の中で使徒たちによって行われた最初の奇跡です。それは驚くべき出来事に違いありませんが、今回のメッセージの中心は使徒たちの信仰についてです。ペンテコステの聖霊によるバプテスマを受けることで、復活され、生きておられ、そして、共に働かれているイエスへの信仰にあふれたこの二人は、足のきかない人に信仰を受けさせ、人生を180度変えることができるようになりました。16節にある「完全な体にした」とは、原語ではベニヤ板を造る製造産業用語で「幾つかの薄板を組み合わせ、さらに強い板を造る」という意味を持っています。この言葉はまさに、彼の変えられた人生を言い表しています。ここで聖書の中に見られる信仰の種類を考えましょう。①救われる為の信仰（エペソ2：8、9）。これは悔い改めた上で頂く贈り物としての信仰です。②特別な奉仕をする為の信仰（１コリ12：9）。これは聖霊によるバプテスマを受けた上で頂く賜物としての信仰です。③クリスチャン生活をする為の信仰（マコ16：17、18）。これは全ての信者が持っている一般的な信仰です。イエスは、行った３８の奇跡の中で、よく人々に信仰を要求されました（マコ9：22、23；マタ9：27－29；マコ2：5；マコ5：34－36）。また、信仰がない人を非難されました（ルカ8：25；マコ6：6）。聖書では信仰の量りと割合について書かれています（ロマ12：3、6）。これは一人一人に与えられた信仰の量が違うという意味ではありません。皆が同じ量の信仰を受けるのです。ところが信仰には成長する段階があります。信仰がないように見える段階から始まって（マコ4：40）うすい信仰（マタ6：30）からし種ほどの信仰（マタ17：20）限られた信仰（マコ9：24）りっぱな信仰（マタ15：28）珍しい信仰（マタ8：10）の段階を通り、完全な信仰（１コリ13：2）に達します。信仰の目的は、神のわざを現わすためにと（ヨハ9：3）神の栄光ためにです（ヨハ11：4、40）。生活する為の信仰の出所と力は、４つの事柄との関わり合いにあります。神（マコ11：22）、キリスト（ガラ2：20）、御言葉（ロマ10：17）、そして私たちの内に生きて、働いてくださっているイエスキリストです（マコ16：20）。この方があなたの内に生きておられるでしょうか。&lt;div 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type='html'>2012年1月15日の礼拝メッセージは使徒2：36－41から「新約聖書における教会の福音」と題して話されました。もし、初期の教会の中で各時代にあるべき礼拝の根本的な内容「神の偉大なみわざを語ること」（先週のメッセージ参照）を見ることが出来るなら、初代教会の中にも同じ福音の根本を見ることが出来ます。この礼拝の現象を説明しながら、使徒ペテロはイエスの生涯、十字架と復活を語り、群衆に人生を変える応答をするよう哀願しました。では、福音の根本とそれに対する応答とは何でしょうか。①イエスの人なる神の性質のこと（2：22、36）。イエスは、大使館が正当な資格をもって外国においての天皇の国事行為を定める権威を授けられたのと同じく、地上で神の代表者として神に信任されました。その証拠は、ヨハ5：36－39によると、奇跡、父ご自身、聖書というものでした。②キリストのはりつけ（十字架）のこと（2：23）。十字架を二つの角度から見ることが出来ます。神の側からは、イザヤ53：4－11によると、神ご自身がイエスを打たれたとあります。人間の側からは罪ある者がキリストを十字架にはりつけました。そしてイエスは神の御心に自分をゆだねられました。③キリストの復活（2：24－32）。復活は贖いの働きを完了するためになくてはならないことでした。④賜物としての聖霊（2：33）。ペテロがペンテコステの日に起ったばかりの聖霊降臨を語っています。もちろん聖霊は不信者の回心の働きもしますが、ここでは、信者が受けている信仰生活のために力を与えてくださる聖霊の経験（聖霊のバプテスマ）を意味しています（使徒11：17、19：1－6）。この4つは新約聖書における教会の福音です。その福音に対してなすべき応答は①悔い改め（2：37、38）。②主のみ名を呼び求めること（2：21）。③信者としての洗礼を受けること（2：38）。「洗礼は不信者に罪の許しを受けさせる手段ではない。それなら、十字架は無意味です。むしろ、不信者で悔い改めて、主を呼び求める上で与えられる罪の赦しを受けた証言の行事です」。④賜物としての聖霊を受けること（2：38）。⑤イエスを人生の主とすること（2：36）。こうして曲がった世から逃れることができます。もしあなたがこれらのものの中でいずれかの応答をしていないなら、今すぐにしてください。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-5421827886194323787?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/5421827886194323787/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=5421827886194323787' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/5421827886194323787'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/5421827886194323787'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2012/01/2012115.html' title='2012年1月15日 「新約聖書における教会の福音」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image 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type='html'>2012年1月8日の礼拝メッセージでは使徒2：1-12から「生活のための礼拝の力」と題して、11、12節の「神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。いったどうしたことか」という部分を中心に、合同礼拝集会がどのように生活に影響するのかを話しました。礼拝は神に向かって行う活動でありながら、信徒と不信者の生活に影響する力あるものです（エペ5：18、19）。その活動の具体的な内容はキリストについてのことばを語ることです（コロ3：16）。聖霊降臨日（ペンテコステ）が教会の誕生日を記しているとすれば、使徒2：11、12が初代教会の最初の合同礼拝集会において無くてはならない内容を描写しています。聖霊降臨日以前の礼拝集会の活動の様子はルカ24：53と使1：14に記されています。ところがペンテコステの聖霊の力によってもう一つの次元が追加されました。それは神の偉大なみわざを語るということです。この「偉大なみわざ」とは原語では「メガレィア」という語で、偉大、素晴らしい、力、大きい、技、栄光、輝き、尊厳、威厳、威光、神性などの日本語に当たります。聖霊降臨日に語られた言葉の内容は神の本質の働きを宣言していたものです。しかも、大声で口に出された言葉としてきちんと聞き取れたものでした。新約聖書における合同礼拝集会は、信者が聖霊の力によって神の「メガレィア」を語り、御言葉を聞く集会です。そのような神のみわざを何処から学ぶべきでしょうか。聖書の記録、自己の体験、他の人からの証、賛美曲の歌詞、超自然的な力による働きや聖霊の賜物による働きからです。神の偉大なわざを経験することは合同礼拝集会のフォーカス（中心部）と目的です。神の偉大なわざを語る結果は、①神の働きに対する信仰と期待を強化すること。②人生の中で働いている悪の力を破ること。③不信者をキリストへ引きつけること。兄弟たち。あなたがたが集まるときに（合同礼拝集会）、そのすべてのことは、生活のために、あなたがたを造り上げるようにしなさい（１コリ14：26）。神の偉大なみわざを語る礼拝者でありましょう。&lt;br /&gt;（このメッセージの内容を私達の日本人教会の合同礼拝集会に当てはめた実践的な応用が別紙にありますので、ほしい方がいましたら牧師まで申し出てください）。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-2545017334369966617?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/2545017334369966617/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=2545017334369966617' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2545017334369966617'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2545017334369966617'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2012/01/201218.html' title='2012年1月8日 「生活のための礼拝の力」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image 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type='html'>2012年1月1日のメッセージは使徒2：41-47から「献身することの必要性」と題して話されました。テキスト中の「～していた」という表現は連続時制動詞で、生活上の習慣を示しています（ルカ24：53参）。この習慣は神に対する献身を例証しています。この献身は、まず主に（使徒5：14）、そして教会に（使徒2：47）ということでした。初代教会の活動は全ての時代における教会活動の規範です。教会活動にどの程度携わっているかによって、私達の主に対する献身がどの程度のものであるか分かります。使徒2：41-47から言えば、教会活動は、世における福音宣教とそれに対する悔い改めと信仰の応答によって教会に加えられることから始まります。信者と教会生活の活躍の舞台には三つあります。第一の舞台は「宮」、すなわち合同集会です。その合同集会の内容には御言葉の学び、信仰を強化する霊的な交わり、主の食卓、そして祈りがあります。この「祈り」とは「礼拝」という意味で、神の臨在に対する恐れ（敬う）、御霊の賜物を用いて神を称えることです。このような「祈り」は「主に仕える」ことです。第二の舞台は「家々」です。そこでの活躍は少数による交わりを通して、皆が仲良くなり、日常生活の交流をし、具体的にお互いのニーズに応える形でなされます。また、少人数で聖餐も行います。第三の舞台は、社会の中で模範的な市民として生きながら、キリストを証することです。キリスト教辞典によると、聖書における献身とは「神の召命に応えて、神の御心のままに生きるべく、自らの意志を明け渡して、その身をささげること」と定義されています。特徴としては、誰かを助けるために大きな犠牲を払うこと以上に、神の召命に応えるという点に強調点が置かれています。この献身は「伝道献身」と「一般献身」に分けることができ、「伝道献身」は何かの職業、立場から離れて、伝道者として神の家である教会と御言葉への奉仕にその生涯を捧げることです。また「一般献身」は、直接そのような働きに携わらないとしても、今自分が置かれている場にあって、神の御心に生きるべく、その身をささげることです（引用終）。日本語のある辞書には「献身する」の例として「自らの属する集団に自発的に献身する「集団主義」が、日本人同士のつながり方を特徴づける」とありますが、この「集団主義」の例はキリスト信者と教会のあるべき姿にぴったり合っています。イザヤ書6：1-8では献身の動力を見ることができます。①神の聖さを拝見すること（1-4）。②神による聖別する油注ぎを頂くこと（5-7）。③神の召命に応えて献身すること（8）。「私たちの期待以上に、神の御心に従って、まず自分自身を主にささげ、また、私たちにもゆだねてくれました」（2コリ8：5）。この一年間に、今まで以上に、まず主に、そして教会生活と活動に、また、自分自身の信仰生活の成長に全力を尽くして献身しましょう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-4586235830900943789?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/4586235830900943789/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=4586235830900943789' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/4586235830900943789'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/4586235830900943789'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2012/01/201211.html' title='2012年1月1日 「献身することの必要性」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image 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type='html'>2011年12月25日の礼拝メッセージは「2011年クリスマスシリーズ」で、ヨハネ1：46－51から「ヨハネの福音書によるクリスマス物語－汚名を返上すること」と題して話されました。ベツレヘムの星、飼い葉おけの中で眠る幼子イエス、博士たちの訪問、野宿した羊飼いたちに現れた天使などはクリスマス物語の通常の場面ですが、そこには一つの暗い面があります。それはイエスの生まれ故郷、ナザレという町に関することで、1章46節でナタナエルが言った「ナザレの町から良いものが出るだろうか」という言葉に表現されています。ヨハネによる福音書の中ではクリスマス物語は書かれていませんが、それに関連するのがこのナザレについての言及です。聖書の中ではナザレの町はヨセフとマリヤの生まれ故郷、エジプトに避難した後に聖家族が住んだ町、イエスが育って、父の大工の仕事に加わり、教育された会堂のある街です。ところが、当時のその社会の歴史からいえば、ナザレは人口300人ほどの山奥の谷間に隠れた農業の町で、ローマ守備隊が宿営し、言葉と道徳は乱れ、洞穴に周りの町の腐りかけた死体を置く部落民のような評判でした。これはナザレの汚名です。メッセージの要点は①イエスに着せられた生まれ故郷の汚名について。私生児の噂（ヨハ9：34）、長老たちや住民たちに認識されずに追放され（ルカ4：28、29；イザ53：2‐8）、ついに神に退けられ（詩22：6－13；マコ15：34）、そして、最終的に十字架で処刑されました。十字架の罪状書きに「ナザレのイエスと記した」とあります。②イエスが汚名を名誉に変えること。「ナザレのイエス」とは、イエスの優れた教えと奇跡によって拡大するイエスの名誉を示す名称となり（ルカ4：14、37；使10：38）、悪霊も認め（ルカ4：33－36）、復活のイエスにつながり（マコ16：6；使2：22－24）、初代教会の祈りの規範となりました（使3、4章）。③自己の汚名を取り扱うこと。多くの人が過去に起こった事柄によって縛られています。クリスマスのメッセージとは、その汚名は返上できるということ、自分に対しての神の計画によって解放され自由にされる可能性があるということです。汚名には肉体的、精神的、社会的、霊的な種類があります。それぞれに対して癒し、健康、和解、赦しがあるのです。④汚名を返上すること。次の方法によります。言葉（ヨハ1：45）、奇跡的な新生（ルカ1：26；ヨハ３：1－3）、神にゆだねること（ルカ１：35－38）、聖霊の油注ぎ（ルカ４：18）、イエス様との親密さ（ヨハ1：39、46）、十字架につける（ヨハ19：19）。そうすれば開かれた天を経験します（ヨハ1：51）。ナザレのイエスに来て、見て、信じませんか。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-8214542068841140878?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/8214542068841140878/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=8214542068841140878' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/8214542068841140878'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/8214542068841140878'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2012/01/20111225-2011-4.html' title='2011年12月25日 「ヨハネの福音書によるクリスマス物語－汚名を返上すること」 2011年クリスマスシリーズ その4'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-3449887351369251787</id><published>2011-12-26T16:27:00.001+08:00</published><updated>2011-12-26T16:29:50.450+08:00</updated><title type='text'>2011年12月18日「ルカの福音書によるクリスマス物語－事実に基づいた信仰」2011年クリスマスシリーズ その3</title><content type='html'>2011年12月18日の礼拝メッセージは「2011年クリスマスシリーズ」で、ルカ1：1-4から「ルカの福音書によるクリスマス物語－事実に基づいた信仰」と題して話されました。（ルカの福音書のクリスマス物語に関する出来事の目録が別紙にありますので、ほしい方は申し込んでください）。着物用の織物を織るのと同じように、これらの出来事を織り上げていくと、クリスマス物語の模様が現れます。その柄はクリスマスのキリストによる神の愛、平安、喜びを描き出しています。キリスト教の教理は、記録にある歴史的な事実から確実性と力を得ています。それは旧約聖書に記されたイスラエル人の歴史と、新約聖書に書かれたイエスキリストの生涯と教え、そして、その後に続く使徒たちの著書に表されています。今日のメッセージの重要点は３つあります。①事実は神の愛についてのメッセージを真実のものとします。ルカの福音書は、テオピロに宛てて書かれました。テオピロはローマの大臣だったようですが、その名前には「神を愛する人」または、「神に愛されている人」という意味があり、神の愛に触れた人を代表しています。②事実は真理についての教えを確信させます。「正確な事実」とありますが、原語では「躓（つまず）かないようにする」という意味です。ルカは、新聞記者が事故の目撃者から証言を集めているように記しています（使徒1：1-3；2ペテ1：16－19参考）。これらの出来事には神の聖なる計画と目的があります。③事実は生活のための信仰を確固たるものにします。ルカがこれらの事柄を記録する目的は信仰の確信のためです。事実に基づいた信仰ならば、その真理に対して確信を持って立つことができます。ルカによる福音書の目的に注目すべきです。神殿の中で起こった出来事に始まり、また神殿で終わっています（1章と24章；使徒1章）。神殿は神と交わる場です。人間が生きる目的は、神を拝み、永久に神を楽しむことです。神殿の中でザカリヤが抱く不満足、絶望感、無力さは、私たちの抱える問題が同じであることを語っています。それは神の前で解決を得て、喜びと力に代わります。ルカの福音書は全ての「テオピロ、すなわち神を愛し、神に愛されている人」に捧げられています。あなたの信仰が事実に基づいた信仰であるならば、どんな状況の中にいても大丈夫です（ユダ1：24、25）。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-3449887351369251787?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/3449887351369251787/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=3449887351369251787' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/3449887351369251787'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/3449887351369251787'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/12/20111218-3.html' title='2011年12月18日「ルカの福音書によるクリスマス物語－事実に基づいた信仰」2011年クリスマスシリーズ その3'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-6597474816724450324</id><published>2011-12-15T14:36:00.000+08:00</published><updated>2011-12-15T14:37:26.410+08:00</updated><title type='text'>2011年12月11日「マルコの福音書によるクリスマス物語ー神のために道を整える者」2011年クリスマスシリーズ その2</title><content type='html'>2011年12月11日の礼拝メッセージは「2011年クリスマスシリーズ」で「マルコの福音書によるクリスマス物語ー神のために道を整える者」と題して話されました。マルコの中にマタイとルカにあるようにクリスマス物語は明らかではないが短縮な系図が見えます。「神の子イエス」と（1：1）。この系図はルカ３章にあるのと同じように遡ってイエスからアダム、そして神に終わって、イエスを神の子であることを示しています。カルコはその後にすぐ、自分の福音書のテーマに飛び込むのです。それは「キリストの福音のはじめ」ということです。そのテーマは旧約聖書にある預言に繋がっています。１-３節は１つの文書です。福音のはじめと言う言葉に重要な意味があります。「初め」は ギリシャ語で、発音アーチェーと言いなすが、日本語では起源、源、出所、根本、力、権威 と言う意味です。ギリシャ人哲学者の「アーチェー」という語の使い方は次の通りです。&lt;br /&gt;もし、あるものが設立され、創立されるのであれば、その出発点は「アーチェー」です。 出発点である「アーチェー」は、 不滅、不変、永遠の神において確かなものと されなくてはなりません。 「アーチェー」は、 そのものが存在する状態だけではなく、そのものの最終状態をも 表すのです。 ですから福音の初めはイエスは誰であるかと言うことに始まって、その力と権威が預言の言葉に見い出せるのです。この予言はマタ3：1-3　マコ1：1-3　ルカ3：2-6　ヨハ1：19、23　イザ40：1：5　マラ3：1 に書いてあります。（この６つの聖書から合成文書がありますのでほしい方なら申し込んでください）。整えるとは１．歴史的に世にキリストの福音を伝えるために、２．霊的に生活にキリストの福音を受けるために と言う意味です。では道を整える者はどうすれべよいでしょか。①神の発表を聞く（マラキ3：1）。二人の使者がいる。契約のメッセンジャーキリストのと、キリストのために道を整えるバプテズマのヨハネです。神を求めている者の心の神殿に来てくださいます。②契約のお知らせを受ける（イザヤ40：1, 2）。それは神の国民、すなわち教会のことと十字架を通して罪に対し神の恵みが受けられることです。③契約の使者のために準備する（マタイ3：2；イザヤ40：3 ）。その準備は悔い改め（大路を平らに）（マコ1：4、8）のことと信仰、すなわち神の到来を望む（40：3）ことです。④契約メッセージに生活を調和させる（イザヤ40：4, 5 ）。神の働きと協力すれば神の栄光と救いを見る。マコの福音書のメッセージは①クリスマスの物語と福音は絡み合わされている。②クリスマスの喜び、平安、希望に満たされた生活が神において始まって、そして終わる。③キリストは福音による契約の使者です。④私たちは福の道を整える者です。あなたの心に神のために大路がありますか。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-6597474816724450324?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/6597474816724450324/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=6597474816724450324' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6597474816724450324'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6597474816724450324'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/12/201112112011-2.html' title='2011年12月11日「マルコの福音書によるクリスマス物語ー神のために道を整える者」2011年クリスマスシリーズ その2'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-2883288414038189772</id><published>2011-12-09T07:18:00.000+08:00</published><updated>2011-12-09T07:19:07.596+08:00</updated><title type='text'>2011年12月4日「マタイによるクリスマス、王なるイエス」クリスマスシリーズ その1</title><content type='html'>2011年12月4日の礼拝メッセージは2011年クリスマスシリーズで、マタイによる福音書2：1-8から「マタイによるクリスマス、王なるイエス」と題して話されました。聖書の中でのクリスマスの物語には、イエスが生まれてから最初の２年間に起こった出来事が記されています。&lt;br /&gt;マタイでは4つの事柄が述べられています。これらはイエス様の歴史的事実性を証明すると同時に、信者の信仰生活に教訓を与えてくれています。①イエスキリストの系図（1：1-17）。この系図は正確ではなく、宗教的、信仰的な目的を持っています。原語では「イエスキリストの初めの書」とあります（参イザヤ53：8（彼の時代）；コロ1：18）。教会の父たちは新約聖書を編集した時に、イエスがユダヤ人および「信仰の父」と呼ばれるアブラハムの血統につながりがあることを記録するマタイの福音書をはじめの方に置きました。アブラハムからキリストまでの42代を3つの14代ずつに分けたことは、興味深いことです。14の数字は解放、救いを意味しています。3の数字は「三位一体の神」を意味し、42の数字はイスラエルがエジプトで送った奴隷生活の圧制を意味しています。民数記33章には、イスラエル民族がエジプトからカナンまで42回「旅立って、宿営した」と記録されています。エジプトは罪の奴隷生活、カナンは神の祝福ある生活を象徴しています。この系図はキリストを信じる者が得る新生を意味しています。ヨハネ1：12、13は、信者の『出生証明書』であると言えるでしょう。②聖霊による無原罪懐胎（1：18-25）。系図が、ダビデの血統によって、イエスの国籍をユダヤ人と確定するのだとすれば、聖霊による無原罪懐胎は、イエスが「神の子」であると確定するものになります。マタイとルカは共に、イエスの誕生に聖霊の働きを断言しています（ルカ1：34-38）。これは信者の中で起こる聖霊の働きによる新生を語っています（ヨハ3：3-6；ガラ4：19）。そして、生活のすべての状況の中で神が共におられることを約束しています（マタ1：23）。③博士たちの訪れ（2：1-23）。彼らが信仰した者であったかどうかは分かりませんが、神の啓示に対して受容性のある人たちで、その啓示に従順であったことが分かります。そしてイエスを王として認め、拝みに来ました。私たちも同じようにすべきです。生活の中でキリストに服従して全ての事情の中で従順であるべきです（ロマ5：8；16：25、26；2コリ10：4、5）。④ヘロデ王による殺害の企み（2：1-23）。ヘロデはサタンの比喩です（ヨハ10：10）。サタンは神がなさる全ての働きに対して対抗しています（マタ4章；1ペテ5：7、8；マタ13：22）。エジプトは、聖家族のための神による避難場所の備えでした（1コリ10：13）。真心から王なるイエスを拝む者になりましょう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-2883288414038189772?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/2883288414038189772/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=2883288414038189772' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2883288414038189772'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2883288414038189772'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/12/2011124-1.html' title='2011年12月4日「マタイによるクリスマス、王なるイエス」クリスマスシリーズ その1'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-1692394629286081069</id><published>2011-12-05T10:07:00.000+08:00</published><updated>2011-12-05T10:08:53.523+08:00</updated><title type='text'>2011年11月27日 「全ての宝より勝るイエス」 何より偉大な者シリーズ8</title><content type='html'>2011年11月27日の礼拝メッセージは「何より大きい者」シリーズで、ヘブ11：23-28から「全ての宝より勝るイエス」と題して話されました。26節を中心に、この聖句では幾つの選択がなされます。これらと同じ選択をすることによって、イエスが最も偉大な宝であることを知ることができます。選択には動機が必要です。そして、選択に行動が伴い、結果が出ます。モーセが考えるキリストとは、預言された「メシヤ」であり、イスラエルを解放する支配者でした。この預言は、福音の中で示される救い主なるイエスキリストに成就するようになります（ヨハ5：46）。では、キリストを全ての宝より勝るものとして知るには、どうすればよいでしょうか。①自分の人生に対して神の運命を見ること（23節）。この聖句の「美しい」と言う言葉に、神の運命が示唆されています（使7：20、出2：2-４、エレ1：5）。その運命を「見る」のなら、全ての状況の中で神に信頼することができます。②自分の人生について神の権威を選ぶこと（24節）。王女の息子となったモーセですが、自分の母に育てられました（出2：9、10、使7：22、23）。大人になった彼は、エジプトよりヘブル人の国籍を選びました。これは洗礼によってイエスキリストを主と告白して、主の主権のもとに生活をする決心と同じです（ロマ10：9、10；1コリ10：2-４）。③神の民と交わること（25節）。イスラエル人は信仰と義による契約の民です（出2：23ー25）。キリストの十字架と等しくなり、教会の根本的な真理に立つ生活をする決心をすることを意味しています（マタ16：24-26；ヘブ6：1，2）。④キリストについて価値判断をすること（26節）。後にエジプトに起こる10の疫病とユダヤ人の出国による労働力の喪失の責任を追及されることに対し、モーセはアブラハムによる契約（創12：2、3）；カナンの予見（申34：1-4）；天国（マタ17：3）を選びました。同様に、私たちはキリストの救い、信仰生活、天国を、患難より選びます（2コリ4：16-18）。⑤信仰のフォーカスを換えること（27節）。ここにモーセと神様の密接な関係が見えます（出３章燃える芝；出33：11天幕の中；出33：17-23野原の岩）。信仰生活の動力は、キリストの栄光を見ることです（ヨハ1：14；２コリ3：17、18）。⑥キリストの十字架による贖いを祝うこと（28節）。イスラエルの長子が過ぎ越しの血によって無事だったのと同じように、真の過ぎ越しなるイエスの血によって私たちも救われています（１コリ5：7）。これは日々生活の中での十字架を意味します（ガラ2：20；ピリ1：21）。上記の６つの選択をすることによって全ての宝より勝るキリストを知ることができます（ヨハ5：45–　47）。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-1692394629286081069?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/1692394629286081069/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=1692394629286081069' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/1692394629286081069'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/1692394629286081069'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/12/20111127-8.html' title='2011年11月27日 「全ての宝より勝るイエス」 何より偉大な者シリーズ8'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-1228945983427777537</id><published>2011-12-05T10:05:00.001+08:00</published><updated>2011-12-05T10:07:13.650+08:00</updated><title type='text'>2011年11月20日「モーセより偉大な者、イエス」 何より偉大な者 シリーズ7</title><content type='html'>2011年11月20日の礼拝メッセージは「何より大きい者」シリーズで、ヘブ3：1-6から「モーセより偉大な者、イエス」と題して話されました。「イエスを考えなさい」という箇所の「考える」という語句は、天文学用語で「星を観測するように、じっと見て不思議に思う」という意味です。そうすればイエスの偉大さに驚くことでしょう。この聖句の中で、神の家について二つの違う面が見えます。モーセがしもべとして語られている家は、イスラエル民族です。イエスが御子として治めている家は教会です。このため、イエスはモーセよりも栄光を受けるのにふさわしい者です。ここで、教会を考えなければなりません。教会はイエス様が世に来てからではなく、また、ペンテコステの後から始まったのでもありません。世の始まる前から（エペ3：9-11）、そして、荒野でのイスラエルの集会から始まりました（使徒７：３８）。ここで、教会とイエスの関わりを聖書から考えましょう。マタ16：16-18。ご自分の教会を建てられます。地上で天国の力を放ちます。ヘブ12：23。天に登録されている長子たちの教会「全構成員集会」。コロ1：18。御子はそのからだである教会のかしらです 。エペ1：19-23。神の満ち満ちているところで、満ちている教会です。エペ3：14、15。天上と地上で家族と呼ばれる教会です。使徒20：28。ご自身の血をもって買い取られた神の教会。エペ5：21-32。教会は、キリストと「夫と妻」の関係にあります。ヘブ2：12。キリストが教会の中で賛美しています。では、教会と信者の関わりを見てみましょう。使徒2：46、47。主が毎日救われる人々を仲間に加えてくださいました。マタ16：18、19。御国のかぎを持って、神の力を放ちます。マタ24：45。教会が治療センターです（マラ3：10-12）。ヤコ5：14、15。全身にいやしを施します。ガラ6：10。信仰の家族たちに助けを与えます。エペ3：15、16。霊的な励ましを与えます。１テモ3：15。真理を守って語ります。エペ5：21-32。人間関係の規準を示します。イエスを感嘆をもって見つめながら、救いの確信と望みを誇りとすれば、教会とイエスの偉大さから祝福を得るようになります。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img 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rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-5062898804939866559</id><published>2011-11-18T14:26:00.002+08:00</published><updated>2011-11-18T14:28:13.830+08:00</updated><title type='text'>2011年11月13日 「ヤコブより偉大な者―イエス」何より偉大なもの シリーズ6</title><content type='html'>2011年11月13日の礼拝メッセージは「何より大きいもの」シリーズで、ヨハ４：１-１５から「ヤコブより偉大な者―イエス」と題して話されました。今回のメッセージでは、霊的なものと自然のものとを比較して調べます。クリスチャンは、自然のものではない、霊的な生命力によって生きています。聖句の中でこの生命力は、生ける水、内にある井戸、泉、わき水、渇きを満たす水、永遠の命という言葉で示されています。イエスとサマリヤの女の物語を通して、次の原理を学ぶことができます。イエスをメシヤ、すなわち世の救い主として信じ改心すること、神を礼拝することの特質性、全世界中における福音宣教の必要性、です。そして人間は神の性質が受けられます。この性質は神の賜物としての永遠の命です。ヤコブの偉大さは、その名で呼ばれた井戸の記録は聖書の何処にもありませんが、ユダヤ、イスラム、キリスト教徒が、皆その井戸のヤコブの所有権を伝えていることに表わされます。ヤコブの井戸は、２０００年もの間、生命を支えました。井戸を持てた人は、裕福で影響力を持つ者や、身分の高い人です。イエスの偉大さは、人間に永遠の命を与えることです。女との会話の中で、自然なものと霊的なものの違いが見えます。女は「あなたの井戸はどこ、汲む物はどこ、何の水なの？」と言って、自然なもののことだけを考えています。イエスは「わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命への水がわき出ます」と答えて、霊的なものを話しています。永遠の命とは、時間の尺度だけではなく、イエスキリストを知ることによって、神が賜物としてくださる、私の内にある神の性質です。そして、内住の聖霊の力によって、日々生活に示される霊的な生命力です。永遠の命は神の本質です。また、御子イエスの性質です。永遠の命と生活の関連性は、神に立ち帰り、救いの喜びを持つことから始まります（イザヤ３５：１０）。困難の中で勇気を与えます（２コリ４：１６ー５：７）。信仰生活を充実したものにします（１テモ６：１１、１２）。試練に対して忍耐を強化します（２テモ２：１０）。生活における永遠の命の実践は、霊的な人となること（１コリ２：１１－１４）、新生な人となること（ヨハ３：３ー１６）、悔い改めていない罪を取り扱い、キリストの言葉に従って、永遠の命の賜物を求めること（ヨハ４：２８－４２）、聖霊との関係を深めること（ガラ６：８）です。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-5062898804939866559?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/5062898804939866559/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=5062898804939866559' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/5062898804939866559'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/5062898804939866559'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/11/7.html' title='2011年11月13日 「ヤコブより偉大な者―イエス」何より偉大なもの シリーズ6'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-6778465054499540079</id><published>2011-11-08T14:13:00.001+08:00</published><updated>2011-11-08T14:16:14.177+08:00</updated><title type='text'>2011年11月6日 「世の中にいる者より偉大な者」 何より偉大なものシリーズ5</title><content type='html'>2011年11月6日の礼拝メッセージは「何より大きいもの」シリーズで、Ⅰヨハネの手紙４章１－６から「世の中にいる者より偉大な者」と題して話されました。この聖句のトピックは、世の中で働いている霊的な力と信者の中で働いている霊的な力の対立です。「世」とは、神の教会以外のものの働きや力、知恵、霊的な効力という意味です。イエスは「世に属しているが、世のものではない」と言っています。そして使徒パウロも、「戦いは世と肉と悪魔に対する戦いです」と言いました。これは、真理と偽りの対立のことです（６）。そして結果は真理が勝ちます。結果は勝負が始まる前から決まっています。信者の内に優れた力があるからです（４）。勝つ力は外からの力ではなく、信者の内にある生命力Life Forceです。１ヨハ５：４，５に信者の定義があります。本日の聖句における議論の内容を考えると、次のようになります。①偽預言者。預言者は神に選ばれ、神ご自身の口として、民たちに生きるための知恵を語るように用いられている人です。偽預言者はそうではない者です。②神の知恵なるキリスト・イエス様が、肉体における神の知恵です（１コリ１：３０）。③信者の内にいる力ある者。この方が信者を勝利から勝利へ導いてくださいます。聖句によれば、この方がキリストの霊、神の霊、聖霊です。では、信者の内においての聖霊の働きを考えましょう。①三位一体の神における関係を反映しています（ヨハ１４：２０ ）。②新生を実際にします（ロマ８：９，１０；２コリ１３：５；ヨハ１４：１７）。③礼拝の中で、神と親密になることを可能にします（１コリ３：１６；１コリ６：１９ ）。④肉体の健康を生かします（ロマ８：１１）。⑤生活のために真理を教えます（１ヨハ２：２０，２７ ）。⑥救いを確認します（２コリ１：２１，２２；２コリ５：５；エペ１：１３，１４ ）。⑦将来に受ける完全な贖いを保証します（コロ１：２７；エペ１：１３；４：３０；２コリ１：２１）。⑧生活のために力付けます（エペ３：１６，１７、２０ ）。この内住の聖霊の実践は、どのようにして経験できるでしょうか。①聖霊の内住は事実であると認めること。②内住の聖霊と会話をすること。③内住の聖霊の知恵が示す言葉を覚えること。④聖霊の内住を口に出し告白すること。あなたの内にいる、力がある者は誰でしょうか。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-6778465054499540079?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/6778465054499540079/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=6778465054499540079' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6778465054499540079'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6778465054499540079'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/11/2011116-5.html' title='2011年11月6日 「世の中にいる者より偉大な者」 何より偉大なものシリーズ5'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' 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。②　アブラハムは義とみなされましたが、キリストが義そのものだからです（ロマ４：３，９）。ヤコブ２：２１－２３によると、イサクの物語とつながっています（創２２：１から）。その山はイエスが十字架にかかった山と同じ山です。アブラハムは、息子イサクをささげることによって義とみなされました。やぶにひっかかっていた羊は罪を取り除く神の子羊イエスを象徴しています。こうしてアブラハムはイエスの日を見ました。③　アブラハムは神の御国に入りましたが、キリストが御国を建てられた者だからです （マタ８：１１；ルカ１３：２８，２９）。御国の建設は、世界福音宣教を通して成功します。④　アブラハムは死にましたが、キリストは生きていて、命を与えられるからです （ヨハ８：５８）。これはイエスの神性を示しています。「私はいる」と言う言葉は、出３：１４にある言葉と同じで、神の名称です。キリストは誰でしょうか。購い主、義なる者、御国の建設者、生を与える者です。アブラハムはキリストの日を見て喜びました。あなたもそれを見ていませんか 。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-7599205416073246352?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/7599205416073246352/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=7599205416073246352' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/7599205416073246352'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/7599205416073246352'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/11/20111030-4.html' title='2011年10月30日 アブラハムより偉大な者、イエス」 何より偉大なもの シリーズ4'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-2413148689708967948</id><published>2011-10-28T15:01:00.000+08:00</published><updated>2011-10-28T15:03:07.606+08:00</updated><title type='text'>2011年10月23日「ソロモンよりまさった者」 何より偉大なものシリーズ3</title><content type='html'>2011年10月23日の礼拝メッセージは「何より偉大なもの」シリースで、マタイ１２：４２から「ソロモンよりまさった者」と題して話されました。（１列王記１０：１－１３参考）。キリストがまさった者であることがわからなければ、招いてくださっている生活の規準に即して生きることは可能ではありません。「まさる」とは質と数が超過し一定の限度を超える、 祝福が豊かにあふれ出る、という意味です。このことばは、パリサイ人たちが、イエス様が神に使わされた者としての証拠を要求したことに対しての、イエスの答えの二番目の部分になります。説教の要点は、①　キリストのことばにどのように答えるかによって、 罪に定められるかどうかが決まっています。②　救いは、罪が赦されていることだけではなく、キリストの知恵に立った生活です。メッセージの重大なポイントは、①ソロモン王の栄華（１列３：３－１５；１歴２９：２５；マタ６：２９参考）。文学に関しては箴言、伝道の書、雅歌、３０００句の諺、１５００首の歌を書きました。信仰に関しては神殿の建築、宮の奉仕を行いました。栄華に関しては宮殿の建物と国の繁栄を築きました。ソロモンの知恵はことばによるものだけではなく、政治、社会、商業、商船、国の豊かさを築き上げる所にまで及びました。②シェバの女王の訪問（１列王10:1-13; ２歴代9:1-12; 詩72:10,15；イザ60:6; エレ6:20; マタ12:42; ルカ11:31. 参考）。これらの聖句を読み、彼女が好奇心から信仰に入るまでの過程を見てください。③まさった者、キリスト。ソロモン王と比較して、キリストは、神の栄光の完全な現れであること（ヘブ１：３）；神の御国を建てられたこと（ ヨハ18:36; 1テサ2:12; 2ペテ1:11;黙11:15;ルカ1:33 ）；信仰と生活のための神の知恵であること（１コリ1:17-25, 30 ）。キリスト信者の型であるシェバの女王と比較して、私たちは、知性からではなく心から求めること；見て信じるのではなく、見ずに信じること；悔い改め、信仰、礼拝、奉仕をささげること；生活のためにキリストの豊かさから得ること。ソロモンよりまさった者イエスが、王国の栄華に関してまさり、知恵のことばに関してまさり、与えるものに関してまさっています。ストーリから学んだ教訓を生活に適用しましょう。キリストに応答することによって自分の永遠の運命が定まり、キリストの知恵に応答することによって生活の質が定まります（マタイ１２：４３－４５）。 生活の全ての面において、キリストの知恵と力によって、御名のために生きるのです（１列１０：１）。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-2413148689708967948?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/2413148689708967948/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=2413148689708967948' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2413148689708967948'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2413148689708967948'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/10/20111023-3.html' title='2011年10月23日「ソロモンよりまさった者」 何より偉大なものシリーズ3'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-3451769466775668530</id><published>2011-10-28T14:58:00.002+08:00</published><updated>2011-10-28T15:05:31.487+08:00</updated><title type='text'>2011年10月16日   「ヨナよりまさった者」何より偉大なもの　シリーズ2</title><content type='html'>2011年10月16日の礼拝メッセージは、マタイ１２：３８－４１から「ヨナよりまさった者」と題して話されました。「まさる」と言う言葉は、質と量が豊かである、祝福があふれ出ることを意味します。原語には「者」と言う意味はありません。キリストはヨナ自身だけでなく、ヨナ書に記されたヨナと神様との間に起こった事柄よりもまさっているのです。今日の箇所で、イエスに「しるし」を求めているが、証拠としての奇跡は信仰を生じさせるのではなく、「しるし」は信仰と共に働き、その信仰が真実であることを証明します。ここに三つの「しるし」を見ることが出来ます。ヨナとニネベの人、キリスト、今の時代の信者です。①ヨナのしるし。ヨナの使命、不従順、嵐、クジラに飲み込まれ、吐き出された後、ニネベの町に現れた様子と船員たちの証しなどの一連の話は、神の恵みは、特別な国民ユダヤ人だけではなく、キリストを通して全ての人に差し出されている事を、ヨナの宣教を通して教えています。②キリストのしるし。ヨナが三日三晩クジラの腹にいたことは、キリストの死と復活を指しています。復活は、神から遣わされた者の証拠です。(使徒２：２２）。そして、キリストの福音による世界的な救いを語っています。③信者のしるし。ニネベの人の悔い改めと神を信じたことは、福音を受け入れる者の祝福を示しています。キリスト信者もしるしです。(ヘブ２：１３－１５、イザ８：１８)。数百年の時を隔てたヨナとキリストの出来事は、深い繋がりがありました。神様はご自分の計画を成就するために、ずっと前から私たちの生活の中に御業がなる為、必要な状況を用意してくださっています。それは、私達がキリストのまさる(質と量が豊かである)こと、あふれ出る祝福の中に生きるようになるためです(１ペテ１：３)。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-3451769466775668530?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/3451769466775668530/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=3451769466775668530' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/3451769466775668530'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/3451769466775668530'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/10/blog-post_28.html' title='2011年10月16日   「ヨナよりまさった者」何より偉大なもの　シリーズ2'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-2710523159616492540</id><published>2011-10-18T11:41:00.004+08:00</published><updated>2011-11-07T11:15:37.156+08:00</updated><title type='text'>2011年10月9日 「宮より大きい者」　何より偉大なもの　シリーズ1</title><content type='html'>２０１１年１０月９日の礼拝メッセージは、マタイ１２：１－９から「宮より大きい者」と題して話されました。もし、この言葉が真実であれば、私達の信仰生活と日々の生活に重大な意味が生じてきます。それは、イエスが招いてくださる生活は、何より大きなもので、最も満足いく生活であるはずです。それは招いて下さる者が、誰よりも大きい方だからです。イエス様が断言されたのは、安息日のおきてとの衝突が発端です。安息日に仕事をしてはいけないという言い伝えに対して、イエス様は、言い伝えを犯したにもかかわらず罪にならなかった例を挙げられました。[１]．ダビデの事（１サム記２１：１－７）。[２]．祭司達の務め。宮が全ての行いを聖なるものにしたと言う原理を表しています。ユダヤ人の生活に宮がどのような存在であったかをまず考えて見ましょう。①宮が、目で見える形で神の臨在を象徴していた。神の臨在は、至聖所の中にあった。それによって、宮と中にある全ての物が、象徴的に聖なるものと定められた。象徴だけである神の臨在は、イエスによって、実際となった。（ヨハ１：１４－１６、コロ２：９、２コリ５：１９）。②宮が神に関わる真理を表した。宮の建築、道具、儀式、捧げ物の動物の全ては、救いと購いによる神と人間の関係を示しています。その実際は、キリストです。（コロ２：１６，１７、ヘブ１０：１－１０）。③宮が神を礼拝する中心的な場所でした。しかし、その礼拝は、特権を持った数人だけの組織的ものでした。キリストが真実の宮で（ヘブ８：２)、真の礼拝を捧げる対象です（ヘブ９：２３，１０：１９－２３，１３：１５）。④宮が生活になくてはならないものを象徴していました。ユダヤ人の住居は、宮の周りにありました。朝、昼、晩に宮を見ながら一日の生活をしました。ところが次第次第に宮と中の物がなくなってしまいました。キリストはいつもおられるので、生活の安定を図るようにされます（ヘブ７：２２，２５、９：９－１４）。では、これらの真理を実践するにはどうしたら良いでしょうか。①生活に優れた律法と規則を当てはめていく。②義務的ではなく、自分の意思に従って、神との交わりを可能にする。③救い、永遠の命と希望を手に入れる道を見出す。ここに宮より大きな者がいる。言い換えるとキリストが宮の主なのです。イエス様があなたの生活の中で、最も大きな者でしょうか、主でしょうか。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-2710523159616492540?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/2710523159616492540/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=2710523159616492540' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2710523159616492540'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2710523159616492540'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/10/2011109.html' title='2011年10月9日 「宮より大きい者」　何より偉大なもの　シリーズ1'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-6905755651734816981</id><published>2011-10-11T14:13:00.001+08:00</published><updated>2011-10-28T15:06:36.810+08:00</updated><title type='text'>2011年10月2日 「人生を変える問答」</title><content type='html'>&lt;p style="MARGIN: 0cm 0cm 0pt; mso-line-height-alt: 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;２０１１年１０月２日の礼拝メッセージは、ヨハネ５：１－９から「人生を変える問答」と題して話されました。毎日、その日に起こる事柄をどのように選択するかによって、結果に影響が出てきます。「今日、あなたが自分にした質問にどう答えるかによって、将来が決まることになります。」と言われています。今日、あなたにどのような質問がされているのでしょうか。その質問にどう答えるかによって、あなたの将来は決まることになります。ベテスダの池で、癒された男の物語の中に、２つ大きな質問があります。「良くなりたいか」&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;(&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;６&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;)&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;と、「（取り上げて歩けと）言った人は誰だ」（１２）です。一番目の質問は、個人に関わり、２番目は、イエスに関わっています。物語は３つの部分から成っています。イエスに出会って癒されたこと（１－９）。男に起こった変化（１６－４７）。イエスは誰かの啓示（１６－４７）。①イエスとの出会いを通して望みとチャレンジを与えられた（１－９）。「なおりたいか」という質問は、肉体的な健康が対象ではなく、目的と満足な人生、志を持って社会に加わり、神の国に対して使命を全うしたいかどうか、と言う意味の質問です。その望みが、どれほど大きいのかという質問です。そこで、イエスは伝説（迷信）にチャレンジして、天の国の力を持って彼の信仰に挑戦しました。「あなたはなおりたいのか。」と。②イエスとの出会いを通して、人生に新しい権威が入った（９－１５）。「取り上げて歩け」という言葉は、信仰に権限（力）を与える言葉です。その結果、神を礼拝する新しい考えと実行、神の心にかなう人生に献身、イエスを証しする熱心が生じた。③イエスとの出会いを通してイエスについて啓示が与えられた（１６－４７）。神と全ての経験を通して、神、イエス、そして聖霊がどのような方か、関係と知識を深めるようになります。ベテスダと言う名前の意味は、「憐みの家」です。私達の憐みの家は、十字架です。「なおりたいか。取り上げて歩け。」と言う、イエス様の言葉を聞いていますか。&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;&lt;?xml:namespace prefix = o ns = "urn:schemas-microsoft-com:office:office" /&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p style="MARGIN: 0cm 0cm 0pt; mso-line-height-alt: 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-6905755651734816981?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/6905755651734816981/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=6905755651734816981' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6905755651734816981'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6905755651734816981'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/10/blog-post.html' title='2011年10月2日 「人生を変える問答」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-1264557457935672602</id><published>2011-09-29T13:19:00.002+08:00</published><updated>2011-09-30T14:29:53.506+08:00</updated><title type='text'>2011年9月25日 [神の言葉を崇めるもの]</title><content type='html'>&lt;p style="MARGIN: 0cm 0cm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="font-family:arial;"&gt;2011&lt;span lang="JA"&gt;年&lt;/span&gt;9&lt;span lang="JA"&gt;月&lt;/span&gt;25&lt;span lang="JA"&gt;日の礼拝メッセージは、&lt;/span&gt;2&lt;span lang="JA"&gt;テサロニケ&lt;/span&gt;3&lt;span lang="JA"&gt;：&lt;/span&gt;1&lt;span lang="JA"&gt;－&lt;/span&gt;8&lt;span lang="JA"&gt;から&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;[&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;神の言葉を崇めるもの&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;]&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;と題して話されました。。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;[&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;あがめる&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;] &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;と言うのは、言語から言えば、パウロの命令を実行することにより、主の言葉が大いなる勝利を得ると言う意味です。パウロは、&lt;/span&gt;4&lt;span lang="JA"&gt;つの事の為に祈っています。①神の言葉が、個々の生活の中で勝利を得て、崇められるように。②主の真実を通して悪から守れるように。③自分への訓戒に対して、積極的に喜んで答えるように。④主キリストの来臨を期待しつつ、もっと深く神の愛へ進むように。これらのことは、信者の生活の中で実践されているべきです。この&lt;/span&gt;3&lt;span lang="JA"&gt;章では、主の再臨がすでに起こったという間違った教えを聞いて、社会を離れ仕事をやめてしまった人がいると言う大きな問題があるので、パウロは優しくお願いするより、厳しい態度を表しています。ここで、行動について次のことが考えられます。①労働の神聖さとその義務と報い（&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;6&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;，&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;10&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;－&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;15&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;）。仕事は創造の働き、イエスの生涯、そして多くの聖書の言葉によって聖なるものだと定められいます。②パウロの模範（&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;7&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;－&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;9&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;）、パウロはテントを作っていました（使徒&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;18&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;3&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;）。これを通して自分の生活に関して自分で責任を取らなければいけないことを教えています。③労働と教会による訓戒（&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;6&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;，&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;14&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;，&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;15&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;）。働きたくないものは、「締りのない者」と呼ばれています。これは規則のない、不従順、しつけを受けないと言う意味です。教会はこのような人を兄弟と認めて、勧めをしながらも従わない時には、この人から離れ（&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;6&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;）、注意を払いながら、交際しないように勧めています（&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;14&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;）。それは、その人が恥じ入り、変わることが出来るためです。社会におけるクリスチャンの活動を考えて見ましょう。その活動を通して①神の受肉の真理と真実を示す。②福音を伝える機会を作る。③キリスト教信徒の価値観を通して、社会に影響を与える。④（給与を伴い）その収入により自分の必要に備え、教会と神の御国の発展を支える。労働の動機は、①人生の中にある神の働きに感謝すること。②キリストの来臨に対する期待を持つこと（&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;5&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;）。本当にキリストの来臨を期待しているなら主の言葉が崇められうように、社会の中で活動するべきです。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"&gt;&lt;?xml:namespace prefix = o ns = "urn:schemas-microsoft-com:office:office" /&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p style="MARGIN: 0cm 0cm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span lang="EN-US"  style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-1264557457935672602?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/1264557457935672602/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=1264557457935672602' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/1264557457935672602'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/1264557457935672602'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/09/2011925.html' title='2011年9月25日 [神の言葉を崇めるもの]'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-1032143908846292935</id><published>2011-09-22T12:37:00.002+08:00</published><updated>2011-09-29T13:13:44.175+08:00</updated><title type='text'>2011年9月18日 「救いに選ばれた者」</title><content type='html'>&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt; &lt;br /&gt;&lt;p style="MARGIN: 0cm 0cm 0pt; mso-line-height-alt: 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;2011&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;年&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;9&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;月&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;18&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;日の礼拝メッセージは、第&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;2&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;テサロニケ人への手紙&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;2&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;章から「救いに選ばれた者」と題して話されました。救いの門を外から見るとその鴨居には、「誰でも信じる者なら」と書いてありますが、中に入って振り向くと「選ばれた者」と書いてあります。テサロニケ人への第&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;1&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;，&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;2&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;の手紙では、救いの意味を、キリストの来臨を迎えてその栄光に預かることと捉えています。そして、この出来事から今の生活に役立つ教訓を、沢山学ぶことが出来ます。この箇所は、&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;3&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;つの重大なポイントに分けられています。①　キリストの来臨と教会の携挙（けいきょ）&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;1&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;3&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;．使徒パウロのテサロニケの町での伝道は、使徒の働き&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;17&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;章に記されています。わずか&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;2&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;週間の間に、救いとキリストの来臨について教えましたが、その後、ある者が入って来て、その来臨がもうすでに起こったのだと教えてしまったので、信者たちが不安に陥り、通常の生活を離れて、仕事を止めてしまいました。その考えを正す為に、キリストの来臨について再び教えたのです。（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;1&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;テサ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;4&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;16&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;18&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;）。しかし、（当時の時代では）これはすぐに起こることではないと教えました。②　信仰の背教と不法の人の到来（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;4&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;12&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;）。背教と言うのは、ただ一時的にバックスライド（逆戻り）することではなく、キリスト教の根本的な真理を否定することです。すなわち、キリストの神性、、十字架による購い、聖霊の働き、キリストの来臨、天国における永遠性、地獄における永遠の滅亡の真理を否定します。不法の人については、別名、罪の男、滅びの子、悪しき者、反キリスト、あの獣とも呼ばれ、人に自分を礼拝することを要求し、奇跡を行い、人を惑わします。ところが、今は引き止めるものがあります。それは、教会の中で働いている聖霊様だという考えがあります。キリストの来臨によって、彼と不信者が滅びます。パウロは信者が、③　信仰の落ち着きを失わないように、次の原理を進めています。&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;[&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;１&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;]&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;教えと懲らしめる受ける&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;(&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;5&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;)&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;。&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;[&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;２&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;]&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;救いを受ける原理を理解する（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;13&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;，&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;14&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;）。&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;[&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;３&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;]&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;教会の教えと習慣を守る。（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;15&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;）。&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;[&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;４&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;] &lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;神のなさるであろう事を理解し、ゆるがない信仰生活を築く為の材料として取り入れていく。&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;16&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;，&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;17&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;）。キリストの来臨は、まず空中来臨があります（使徒&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;1&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;9&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;11&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;）。&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="EN-US"&gt;2000&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt" lang="JA"&gt;年も経った今日、一世紀の信者が期待したキリスト来臨は、もっと近くなっています。もうまもなくで、「不法の人」が現れるでしょう。ある人は、この男はすでに生まれていると信じています。キリストによる神の愛を受けないものは、惑わしを受けて、真理を信じないで「不法の人」と一緒に滅ばされるでしょう。クリスチャンの人は、神の国の真理の言葉と、働きに励むべきだと思います。&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 11pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;&lt;?xml:namespace prefix = o ns = "urn:schemas-microsoft-com:office:office" /&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;/span&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-1032143908846292935?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/1032143908846292935/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=1032143908846292935' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/1032143908846292935'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/1032143908846292935'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/09/2011918.html' title='2011年9月18日 「救いに選ばれた者」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-4756090718452052316</id><published>2011-09-21T09:14:00.000+08:00</published><updated>2011-09-21T09:15:24.901+08:00</updated><title type='text'>2011年9月11日 「御国にふさわしい者とされる神」</title><content type='html'>&lt;p style="MARGIN: 0cm 0cm 0pt; mso-line-height-alt: 0pt" class="MsoPlainText"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt"&gt;2011&lt;span lang="JA"&gt;年&lt;/span&gt;9&lt;span lang="JA"&gt;月&lt;/span&gt;11&lt;span lang="JA"&gt;日の礼拝メッセージは、第&lt;/span&gt;2&lt;span lang="JA"&gt;テサロニケ人の手紙&lt;/span&gt;1&lt;span lang="JA"&gt;：&lt;/span&gt;1&lt;span lang="JA"&gt;－&lt;/span&gt;12&lt;span lang="JA"&gt;から「御国にふさわしい者とされる神」と題して話されました。クリスチャンとして生活するのは、神に認められるように努力することではなく、むしろ、神がよしとされることを受け止め、神に喜ばれる生活をすることです。神様は行うことより、どのような人であるかを喜んでくださいます。一章には、「神」と言うことばが&lt;/span&gt;10&lt;span lang="JA"&gt;回出てきます。これは神学的な言葉ではなく、神が私の中でどれほど働いて下さっているかを示しています。「御国にふさわしい」と言う言葉の意味は、神の国は何かを知った上で、その御国の全ての物に預かると言う意味だと思います（&lt;/span&gt;1&lt;span lang="JA"&gt;ペテ&lt;/span&gt;1&lt;span lang="JA"&gt;：&lt;/span&gt;3&lt;span lang="JA"&gt;，&lt;/span&gt;4&lt;span lang="JA"&gt;）。未来には永遠の祝福と、現在には一時的な祝福があります。御国にふさわしい者にする神は、、①艱難の中で信仰を育てられる神です（&lt;/span&gt;1&lt;span lang="JA"&gt;ー&lt;/span&gt;5&lt;span lang="JA"&gt;）。その信仰が与えられているのに対して、感謝、誇り、祈りを持って応答し、信徒同士間では、愛と従順を育てます。そうすることによって、神様は私を救った裁き（判断）は、正しいことだと確証しておられます。そして、その信仰は、心の平安をもたらします。②正しい裁きをされる神です（&lt;/span&gt;6&lt;span lang="JA"&gt;－&lt;/span&gt;10&lt;span lang="JA"&gt;）。神は正義の方で憐れみを持って人を救う一方、他方では、怒りをもって人を裁かれます。神を知らずキリストの福音を信じない決心をする人への裁きは、イエスの来臨の時に神の栄光から退けられ永遠の滅びの裁きを受けることです。反対に、信者はその栄光を受け、イエスを礼拝します。③働きを全うされる神です（&lt;/span&gt;11&lt;span lang="JA"&gt;，&lt;/span&gt;12&lt;span lang="JA"&gt;）。神は私を神の傑作として、全ての創られたものに見せる為に、福音を通して招いてくださいました。神ご自身の願いと私の信仰によって、人生を最高に生きる者として下さいます。ここに二通りの人間を見ることが出来ます。（&lt;/span&gt;1&lt;span lang="JA"&gt;）、信者と交わりをしながら、お互いに信仰を励ましあい、神に従順に従っていく御国にふさわしい者と（&lt;/span&gt;2&lt;span lang="JA"&gt;）信じないで永遠の滅びの裁きを受ける御国にふさわしくない者。あなたはどちらでしょうか？&lt;/span&gt;&lt;?xml:namespace prefix = o ns = "urn:schemas-microsoft-com:office:office" /&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;p style="MARGIN: 0cm 0cm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="mso-bidi-font-size: 11.0pt" lang="EN-US"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;span style="font-family:Century;"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-4756090718452052316?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/4756090718452052316/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=4756090718452052316' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/4756090718452052316'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/4756090718452052316'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/09/2011911.html' title='2011年9月11日 「御国にふさわしい者とされる神」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-2953684719248968612</id><published>2011-09-08T12:13:00.001+08:00</published><updated>2011-09-08T12:15:43.787+08:00</updated><title type='text'>2011年9月4日 「心から流れ出る川」 「神の井戸」シリーズ14</title><content type='html'>&lt;p style="MARGIN: 0cm 0cm 0pt; mso-line-height-alt: 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="mso-ansi-language: EN-AU;font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"  &gt;2011&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;年&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-ansi-language: EN-AU;font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"  &gt;9&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;月&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-ansi-language: EN-AU;font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"  &gt;4&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;日は、「神の井戸」シリーズの最後のメッセージで、ヨハネ&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-ansi-language: EN-AU;font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"  &gt;7&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-ansi-language: EN-AU;font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"  &gt;37&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-ansi-language: EN-AU;font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"  &gt;39&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;から「心から流れ出る川」と題して話されました。この聖句には、次のような問答をする必要があります。「川は何か？」、答え「聖霊」。「誰から出るのか？」答え「乾いて、信じる者」。「どんな聖句か？」イザヤ&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-ansi-language: EN-AU;font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"  &gt;12&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-ansi-language: EN-AU;font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"  &gt;3&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;、&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-ansi-language: EN-AU;font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"  &gt;44&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-ansi-language: EN-AU;font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"  &gt;3&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;，&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-ansi-language: EN-AU;font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"  &gt;55&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-ansi-language: EN-AU;font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"  &gt;1&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;，&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-ansi-language: EN-AU;font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"  &gt;58&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-ansi-language: EN-AU;font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"  &gt;11&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;にあるものに似てはいますが、違います。答え「聖書全体のメッセージは、すべての信者から生ける水の川が流れ出るはずです」。刈り入れの祭り&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;(&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-ansi-language: EN-AU;font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"  &gt;7&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-ansi-language: EN-AU;font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"  &gt;1&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;)&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;でした。この祭りはエジプトから出て荒野の旅を終えた後、カナンの地で最初の収穫を祝う催し物で、大祭司は、シロアムの池から水を汲み、宮の中の祭壇の横に注ぐ所で、イエス様がこの言葉を叫ばれました。「罪の許し、救いの基本的祝福にもう一つの恵みがあります」と。それは、信じ受ける者の内で、神の賜物であるキリストが、井戸のように永遠の命に至らせる泉となります（ヨハネ&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-ansi-language: EN-AU;font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"  &gt;4&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-ansi-language: EN-AU;font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"  &gt;10&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;、&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-ansi-language: EN-AU;font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"  &gt;14&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;）。そして、その泉は、聖霊経験によって、救いの祝福を広める川となる（&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-ansi-language: EN-AU;font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"  &gt;7&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-ansi-language: EN-AU;font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"  &gt;38&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;）。この二つの聖句に聖霊による内住のキリストと外側の聖霊経験の違いが見られます。この外側の聖霊は、使&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-ansi-language: EN-AU;font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;" lang="JA"  &gt;徒&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;の働きの書によると異言、称賛、賛美、預言などが最初の証拠として現れ、川を押し出す力と勢いとなります。この川（複数）の種類の祝福は、何でしょう。①過去の祝福を取り戻すこと。ヨブ&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;29&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;1&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;－&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;6&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;。②繁栄と成功を示すこと。詩&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;1&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;1&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;－&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;3&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;。③感情と精神の健康を回復すること。詩&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;23&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;1&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;－&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;3&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;。④神の前で喜びと安心を受けること。詩&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;46&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;1&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;－&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;5&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;。⑤神との個人的な経験を公で証しすること。箴言&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;5&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;16&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;。⑥収穫を受ける為に種を蒔くこと。イザヤ&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;32&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;20&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;。⑦弱い者を励まし強めること。イザヤ&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;35&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;3&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;－&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;6&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;。⑧神の新しい業を期待すること。イザヤ&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;43&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;19&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;。⑨福音による祝福を伝えること。イザヤ&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;55&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;1&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;－&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;3&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;。⑩聖所から出る癒しを運ぶこと。エゼ&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;47&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;1&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;－&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;12&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;。⑪養い、成長、元気付けること。黙&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;7&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;17&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;。⑫神を称える礼拝を捧げること。黙&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;14&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;2&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;－&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;7&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;。⑬呪いに替えて主に仕えること。黙&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;22&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;1&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;－&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;3&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;。キリストの中から罪と汚れを清める泉の水が、私達のほうへ流れるように、私達の心から救いの祝福が聖霊を通して流れるようになる。そうなるように、乾いた心で、イエスの所に来て、飲んで信じる。どこでも「神の井戸」を見つけると、その井戸にはイエス様が座っておられるのを見つけ出します。（ヨハ&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;4&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;6&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;）。乾いていますか。そうなら、「神の井戸」に来て、飲みなさい。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt; &lt;span style="mso-tab-count: 2"&gt;&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-spacerun: yes"&gt;&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-tab-count: 1"&gt;&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-spacerun: yes"&gt;&lt;/span&gt;&lt;span style="mso-tab-count: 2"&gt;&lt;/span&gt;&lt;?xml:namespace prefix = o ns = "urn:schemas-microsoft-com:office:office" /&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-2953684719248968612?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/2953684719248968612/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=2953684719248968612' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2953684719248968612'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2953684719248968612'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/09/201194-14.html' title='2011年9月4日 「心から流れ出る川」 「神の井戸」シリーズ14'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-8767201058523904407</id><published>2011-09-04T08:41:00.000+08:00</published><updated>2011-09-04T08:42:37.132+08:00</updated><title type='text'>2011年8月28日 「罪とけがれを清める泉」  「神の井戸」シリーズ13</title><content type='html'>&lt;p style="MARGIN: 0cm 0cm 0pt; mso-line-height-alt: 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;2011&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;年&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;8&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;月&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;28&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;日の礼拝メッセージは、「神の井戸」シリーズの第&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;13&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;回目として、ゼカリヤ書&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;12&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;10&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;13&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;6&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;から「罪とけがれを清める泉」と題して話されました。最近、最も話されている話題は公害問題と異常気象のことです。多くの国の政治家は、それを解決するために国民にカーボンタクックス（二酸化炭素税）を課そうと考えています。ところが、人間には公害問題よりもっと恐ろしい問題があります。それは、人の内にある罪とけがれによる汚れの問題です。幸いなことに、解決はすでに見つかっています。それは、神の泉というものです（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;13&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;1&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;）。預言者ゼカリヤは、ある日のことを語っています。この日は、アブラハム（ヨハ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;8&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;56&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;）、多くの預言者（ルカ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;10&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;24&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;、&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;1&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;ペテ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;1&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;10&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;，&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;11&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;）が見た同じ日です。キリストによる救いの日（２コリ６：２）、心の安息の日です（ヘブ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;4&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;7&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;11&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;）。また、その日はキリスト信者にとって、悔い改めと信仰を持って神に立ち返り、罪が許されたことを生活を通して証ししていくと決心する日です。その「泉」のところに達する道のりはどういうものでしょうか。①　神から注がれた恵みと哀願の霊（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;12&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;10&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;）。②　キリストの十字架の意味を理解すること（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;12&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU"&gt;10&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;）&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ; mso-ansi-language: EN-AU" lang="JA"&gt;③&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;　罪を悔い改めること（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;12&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;10&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;14&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;）。④　泉なるキリストの血潮を浴びて洗うこと（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;13&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;1&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;）。そして、確かに罪の許しときよめを得た証拠として、生活の変化による証しをすること（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;13&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;2&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;5&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;）と、自分のすべてを十字架に持って来て死なせること（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;13&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;6&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;）、（ガラ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;2&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;20&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;；&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;6&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;14&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;18&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;参）。ゼカリヤが語った泉が開かれることがキリストによって成就されました（ヨハ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;19&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;34&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="JA"&gt;）。この泉に飛び込んで行こうではありませんか。&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; FONT-SIZE: 12pt; mso-bidi-font-family: メイリオ" lang="EN-US"&gt;&lt;?xml:namespace prefix = o ns = "urn:schemas-microsoft-com:office:office" /&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-8767201058523904407?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/8767201058523904407/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=8767201058523904407' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/8767201058523904407'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/8767201058523904407'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/09/2011828-13.html' title='2011年8月28日 「罪とけがれを清める泉」  「神の井戸」シリーズ13'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-2845467849330029360</id><published>2011-08-26T12:27:00.002+08:00</published><updated>2011-09-04T08:44:43.905+08:00</updated><title type='text'>2011年8月21日 「涙の谷に掘った井戸」　「 神の井戸」 シリーズ12</title><content type='html'>&lt;p style="MARGIN: 0cm 0cm 0pt; mso-line-height-alt: 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;2011&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;年&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;8&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;月&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;21&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;日の礼拝メッセージは、『神の井戸』シリーズから詩篇&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;84&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;1&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"  style="font-family:メイリオ;"&gt;-&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;12&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;から「涙の谷に掘った井戸」と題して話されました。&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;5&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;，&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;6&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;節を中心に、自分自身の最も深い悲しみを祝福に帰ることが出来る人の幸いを考えました。「&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;涙&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;の谷」を直訳すると「バカの谷」となります。「バカ」とは、桑（くわ）の木という意味ですが、口語訳では、桑の木を「涙を流すもの」と言っています。それは、木からしみ出る樹液が、涙に見えるからです。士師記&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;2: 5&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;に「その場所の名をボキムと呼んだ」とありますが、ボキムとは、淵、「泣く」の音の語源「バカ」の派生語です。「バカ」涙の谷は、イスラエルの史実に良く出てきます。詩篇&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;84&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;は、ダビデがアブサロムから逃げていた時に書いたもので、神殿を離れた悲しみを語っています。また、年に&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;3&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;度、宮もうでをする巡礼の旅の苦しみをも示しています。比喩：信仰生活で、困難や苦闘の中、神に仕えるものの勝利を示しています。この詩篇の中に&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;3&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;つの幸いがあります（&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;4&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;，&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;6&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;，&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;12&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;）。この時ダビデには、次のような涙の原因がありました。裏切り行為（&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;2&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;サム&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;15&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;1&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"  style="font-family:メイリオ;"&gt;-&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;12&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;）、不忠義（&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;2&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;サム&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;15&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;32&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"  style="font-family:メイリオ;"&gt;-&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;37&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;）、憎しみ（&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;2&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;サム&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;16&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;5&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"  style="font-family:メイリオ;"&gt;-&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;14&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;）。そう言う中でもダビデは、民を回復させました（&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;16&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;14&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;）。聖書の中の涙の例、預言者エレミヤ「涙の預言者」（哀歌&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;1&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;1&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;，&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;2&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;、イザヤ&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;53&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;3&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;，&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;4&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;、ヨハ&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;11&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;35&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;、マタ&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;23&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;37&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;）、ナインの母（ルカ&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;7&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;13&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;）、使徒パウロ（使徒&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;20&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;19&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;，&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;31&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;、&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;2&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;コリ&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;2&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;4&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;）。どのようにして涙を泉とするか。それは、神が祝福してくださる期待を持つことによるのです。それによって、①前に礼拝の中でした神との経験を思い起こして力を受ける（&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;1&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;4&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;）②神とのかかわりを再確認する（&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;8&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;，&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;9&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;）。③神はどのような方であるかを再確認する（&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;8&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"  style="font-family:メイリオ;"&gt;-&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;12&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;）。④神に対する目的をしっかり持つ（&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;5&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"  style="font-family:メイリオ;"&gt;-&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;7&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;）。神の応答は、水を下から湧き水のように湧き上がらせるのではなく、上から雨のように注がれます（&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;6&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;）。ですから、「泉とする」と言うことは、雨水を受ける準備をすること、つまり溝やくぼみを掘ることです（マラキ&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;3&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;10&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;、イザヤ&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;35&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;6&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"  style="font-family:メイリオ;"&gt;-&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;8&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;、イザヤ&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;41&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;17&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;，&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;18&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;（参））。雨は聖霊の象徴（ヨエル&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;2&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;21&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"  style="font-family:メイリオ;"&gt;-&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;23&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;，&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;28&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;、使徒&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;2&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;17&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;）結果と祝福は、①力を増し加えられる（&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;7&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;）。別訳では、安らぎ、励まし、仲間（ルカ&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;2&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;40&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"  style="font-family:メイリオ;"&gt;-&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;52&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;）。②目的に達する（&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;7&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;）。涙とシオンにいる経験をする間に神をあがめる祈りがある。「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある」（詩篇&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;30&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;5&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"  style="font-family:メイリオ;"&gt;）。あなたの涙は、祝福に変えられる。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"  style="font-family:メイリオ;"&gt;&lt;?xml:namespace prefix = o ns = "urn:schemas-microsoft-com:office:office" /&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p style="MARGIN: 0cm 0cm 0pt; mso-line-height-alt: 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';color:#2a2a2a;"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-2845467849330029360?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/2845467849330029360/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=2845467849330029360' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2845467849330029360'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2845467849330029360'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/08/2011821-12.html' title='2011年8月21日 「涙の谷に掘った井戸」　「 神の井戸」 シリーズ12'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-2295421373670407670</id><published>2011-08-19T14:26:00.001+08:00</published><updated>2011-09-04T08:44:20.061+08:00</updated><title type='text'>2011年8月14 「閉じた源、封じた泉」　 「神の井戸」シリーズ11</title><content type='html'>&lt;p style="LINE-HEIGHT: 12.75pt; MARGIN: 0cm 0cm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;2011&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;年&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;8&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;月&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;14&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;日の礼拝メッセージは、「神の井戸シリーズ」として、雅歌&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="EN-US"  &gt;4&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="EN-US"  &gt;12&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="EN-US"  &gt;16&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;から「閉じた源、封じた泉」と題して話されました。雅歌の書は、比喩的な言葉で書かれています。多くの注解者の考えでは、雅歌はキリストと花嫁なる教会のたとえであると言う事です。したがって、一人ひとりの信者のことがたとえられているのです。今日の礼拝は、礼拝集会の中に「主に仕える」という活動を取り入れて、一年が経った記念のものです。「主に仕える」とは、エゼキエル書&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;44&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;10&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;16&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;と、使徒&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;13&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;1, 2&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;を基本に新約教会の礼拝集会の中の内容を示す、&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;1&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;コリ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;12&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;14&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;章にある聖霊の賜物、特に声であらわす賜物、すなわち、異言、異言の解き明かし、預言 、霊の歌を伴い、口に出す賛美を持って、自主的に神を褒め称え、高め、崇めることです。聖霊によるバプテスマを受けていなければ、「主に仕える」礼拝は出来ない。聖霊によるバプテスマを受けているなら、「主に仕える」礼拝をしているはずです。ではなぜしていないのでしょうか。先週の話から言えば、感謝が足りないと言うことで、今日の話から言えば、神の祝福を解き放っていないからです。&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="EN-US"  &gt;4&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="EN-US"  &gt;12&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;は、庭、源、泉を例にして、神の祝福を自分の内に閉じ込めてしまっていると教えられています。閉じた庭の「閉じる」は、閂&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="EN-US"  &gt;(&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;かんぬき）という意味、閉じた源の「閉じる」とは、鉄の棒を意味する、封じた泉の「封じる」とは、封鎖（バリケード）すると言う意味です。これらの言葉からは、自宅監禁されて、家に閉じ困っているようなイメージが与えられます。分解してみますと、&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;12&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;節は、残念そうなネガティブな状況、&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;13&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;，&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;14&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;節は、与えられた祝福（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;2&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;コリ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;9&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;8&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;、エペソ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;1&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;3&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;，&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;2&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;ペテ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;1&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;11&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;、ガラ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;5&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;22&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;）、&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;15&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;節は、その祝福が生じた影響（イザ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;12&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;3&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;、&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt; &lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;詩&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;46&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;4&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;、ヨハ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;4&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;14&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;）、&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;15&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;節の前半は変化を起こすために、新しく影響を与えるものを呼び求めること。目的に注目&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="EN-US"  &gt;(&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;2&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;コリ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;2&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;14&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;，&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;15&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;、ピリ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;4&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;18 &lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;、ヨハ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;12&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;3&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;）。風は聖書の中ではよく聖霊を象徴しています。&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="EN-US"  &gt;(&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;エゼ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;37&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;3&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;，&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;6&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;，&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;10&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;、ヨハ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;20&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;22&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;、使徒&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;2&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;2&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;4&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="EN-US"  &gt;)&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;。&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;16&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;節の後半は、聖霊の力によって起こった結果。すなわち、主と新しい関係の中に入り&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="EN-US"  &gt;(&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;4&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;16&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="EN-US"  &gt;)&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;、友&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="EN-US"  &gt;(&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;教会の兄弟姉妹たち&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="EN-US"  &gt;)&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;と一緒の祝いをし（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;5&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;1&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;）、主の仕事に預かる（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;7&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;10&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: white; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;"  &gt;13&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="EN-US"  &gt;)&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;color:#2a2a2a;" lang="JA"  &gt;。神の与える祝福は閉じた源と封じた泉のように、自分の内に閉じ込めるものではなく、広く放つためのものです。その始まりは、礼拝の中で「主に仕える」という活動ではないでしょうか。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN-US"  style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';"&gt;&lt;?xml:namespace prefix = o ns = "urn:schemas-microsoft-com:office:office" /&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p style="LINE-HEIGHT: 12.75pt; MARGIN: 0cm 0cm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; BACKGROUND: whitefont-family:メイリオ;font-size:10;color:#2a2a2a;" lang="EN-US"   &gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-2295421373670407670?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/2295421373670407670/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=2295421373670407670' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2295421373670407670'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2295421373670407670'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/08/2011814-11.html' title='2011年8月14 「閉じた源、封じた泉」　 「神の井戸」シリーズ11'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-2252470866755507181</id><published>2011-08-15T13:02:00.001+08:00</published><updated>2011-08-15T13:05:20.533+08:00</updated><title type='text'>2011年8月7日 「救いの井戸」 「神の井戸」シリーズ10</title><content type='html'>2011年8月7日の礼拝メッセージは、「神の井戸」シリーズから「救いの井戸」と題して、イザヤ12：1－6から話されました。救いは、聖書全体のテーマです。救いの特質は神の特性に関わっているので、救いを受けられるに、神との関係に入っていなければならないと言うのは当たり前です。そして。救いそのものは、生活上もっとも必要な水に例えられるているはずです。中心的な聖句は1：3です。ここでは、井戸は救い、井戸の中の水は救いの数々の祝福で、汲む物は喜びです。イスラエル人は、罪きよめて頂くために、バビロンに奴隷として連れて行かれました。70年後、ユダヤに戻り、故郷で再び、神と交わりを経験することができました。これはこの言葉の意味です。ここに、救いは神の怒りはなだめられたことを、私たち個人には、慰められることを意味します。そして新生し、神との親しい関係に入り、恐怖は去り、信頼、力、喜びなどを知るようになります。その新生を支えるものは、救いの井戸の中の水です。その水をくみ上げる手段は喜びです。しかしこの喜びはただの感情ではありません。口に出す賛美の事で、礼拝を通して表現するものです。それでは、救いの井戸と別の井戸を比較してみましょう。神の命が流れているエバグリーヌの信仰生活（イザ1：30；詩篇1：3）は、奉仕を支える神の助け（イザ44：12）がある、主と交わり、信仰の歩みが力付けられる（イザ40：28－31）。別の井戸は、真の信仰を飽きて、ただの宗教に頼る（エレミ2：13）。子孫に信仰の遺産を残さない（エレミ14：3）。不信仰の教師を頼みにする（2ペテ2：7）ことです。 次に、水を汲む物を持っているかどうかです（ヨハ4：11）。水を汲むものは、喜びですが、この喜びはラプソディ、熱狂的な表現、大歓喜のことです。救いを感謝する者は、口に出す賛美を持って神の御名を褒め称える。神の御名を口に出す賛美を持って褒め称えない者は、救いを感謝していない。あなた方は、ラブソディーを持って、救いの井戸から水を汲んでいますか。&lt;br /&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-2252470866755507181?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/2252470866755507181/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=2252470866755507181' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2252470866755507181'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2252470866755507181'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/08/201187.html' title='2011年8月7日 「救いの井戸」 「神の井戸」シリーズ10'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-1594472100726279561</id><published>2011-08-05T13:43:00.002+08:00</published><updated>2011-08-05T14:31:17.000+08:00</updated><title type='text'>2011年7月31日 「恐れおののきの井戸」  「神の井戸」 シリーズ9</title><content type='html'>&lt;p style="MARGIN: 0cm 0cm 0pt; mso-line-height-alt: 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;2011&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;年&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;7&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;月&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;31&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;日の礼拝メッセージは、神の井戸シリーズから「恐れおののきの井戸」と題して、士師記&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;7&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;1&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;8&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;から話されました。この物語の教訓は、神の満ち満ちた祝福を経験するため、妨げるものを取り除くことです。その祝福は、平和、裕福、神の主権のもとにある生活です（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;8&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;22&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;28&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;）。エジプトから解放後、カナンの地に導かれた神の民の信仰と従順は、完全ではなかったので、度々、神を離れてしまいました。そして、神ご自身に引き戻すために、救う者「士師たち」を立たせられました。その使命は明確でした。①　御心に達しない生活のみじめさを示すこと（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;6&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;1&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;6&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;）。②　罪を示して、悔い改めに導き、変わろうと願う望みを起こさせること（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;6&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;6&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;10&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;）。③　変化を受けるために、神ご自身（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;6&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;12&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;17&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;）と聖霊（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;6&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;34&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;）との出会いによって整えられることです。ギデオンには、神の祝福を受けたいというあこがれを見ることが出来ます（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;6&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;13&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;、&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;14&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;）。ところが、神の祝福に対して妨げるものがあります。その妨げが、ハロデの泉の意味するところです。ハロデは震える（恐れおののき）と言う意味です。おそれ、恐怖、がある限り、自分が神の祝福を受けられないばかりではなく、他人にも受けさせることができません。もう一つの妨げるものは、現状を意識していないことです。これは、&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;300&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;人だけが選ばれたことの意義です。手で水をくみ上げて、犬のようになめた者が周囲に注意することができました。そうしなかった&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;1&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;万人は周囲に無関心でした。今、自分の日々生活と教会生活の中で聖霊がして下さっていることに対して、意識していなければ、決して、次の祝福の段階に上がられないでしょう。神の満ち満ちた祝福を経験することを妨げるもの（恐怖と認識のなさ）を取り除きましょう。これが、ハロデの泉に教えられる教訓です。 &lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;&lt;?xml:namespace prefix = o ns = "urn:schemas-microsoft-com:office:office" /&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p style="MARGIN: 0cm 0cm 0pt; mso-line-height-alt: 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-1594472100726279561?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/1594472100726279561/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=1594472100726279561' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/1594472100726279561'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/1594472100726279561'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/08/2011731.html' title='2011年7月31日 「恐れおののきの井戸」  「神の井戸」 シリーズ9'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-5805981262052940013</id><published>2011-08-05T13:40:00.001+08:00</published><updated>2011-08-05T13:43:09.222+08:00</updated><title type='text'>2011年7月24日 「苦い水の井戸」 「神の井戸」シリーズ8</title><content type='html'>&lt;p style="MARGIN: 0cm 0cm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;2011&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;年&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;7&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;月&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;24&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;日の礼拝メッセージは、「神の井戸」シリーズから「苦い水の井戸」と題して、出エジプト記&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;15&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;22&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;27&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;から話されました。中心聖句は、&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;23&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;節です。イスラエル人はエジプトから救い出されて、三日後に神様を礼拝するために荒野に来ました（出&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;5&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;3&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;）。水が見つからないので、心の状態が表れて来ました。苦い心です。この状態のままでは、決してカナンの地に入っていくことはできません。マラの井戸はその苦みを反映していました。これは&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;430&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;年間に労役の生活によって、抱くようになったものです（出&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;1&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック'; mso-bidi-: EN-AUfont-family:メイリオ;font-size:11;"  &gt;11&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;14&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;；&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;2&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;22&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;；&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;3&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;7&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;）。神の救いの祝福の約束があるのに（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;3&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;8&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;）、目的を失って、肉的なものに目を付けてしまった。苦みの恐ろしさを、漢字の成り立ちで考えてみましょう。象形文字では、どくろの上に冠がついていますが、草冠に頭を書きます。　聖書の中では苦みの原因と結果を示す聖句には次の例があります。訳によれば「苦しむ」と訳されている聖句もありますが、原語では「苦さ」と言う意味です。創&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;27&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;34&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;羨みとねたみ；１サム&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;1&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;6&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;、&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;10&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;失望；イザヤ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;38&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;17&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;不健康；エレ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;2&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;19&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;信仰を失うこと；エレ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;4&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;18&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;不義な行い；エゼ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;3&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;14&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;陰険な心；ゼカ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;12&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;10&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;罪意識；使&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;8&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;18&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;23&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;権勢欲；エペ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;4&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;31&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;人間関係問題；ヘブ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;12&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;15&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;17&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;恵みから離れること；ヤコ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;3&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;11&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;汚れた生活；ヤコ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;3&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;14&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;－&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;16&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;悪霊の影響。苦み取り去るものは　①そうしてほしいと言う願い（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;25&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;）。そして「主の啓示によって示される「一本の木」（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;25&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;）。この木はキリストの十字架を示しています（使&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;10&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;39&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;；ガラ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;3&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;13&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;；１ペテ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;2&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;24&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;）。イエス様が十字架の上に私たちの苦みを味わられた（マタ&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;27&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;48&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;；詩&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;69&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;：&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;21&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;）。十字架の場所はゴルゴタ、どくろという意味、「苦い」の成り立ちの絵を思い出す）。ですから苦みを十字架に持っていきます。それで、癒しだけではなく、主と健康の契約による関係に入ります、エホバラパー、主が健康（&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;26&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="JA"  &gt;）。苦い水（心）が甘い水のように変わって、救いを喜ぶことができるようになります。&lt;/span&gt;&lt;span style="FONT-FAMILY: 'ＭＳ Ｐゴシック';font-family:メイリオ;font-size:11;" lang="EN-US"  &gt;&lt;?xml:namespace prefix = o ns = "urn:schemas-microsoft-com:office:office" /&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p style="MARGIN: 0cm 0cm 0pt" class="MsoNormal"&gt;&lt;span lang="EN-US"   style="font-family:'ＭＳ Ｐゴシック';font-size:11;"&gt;&lt;o:p&gt;&lt;/o:p&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-5805981262052940013?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/5805981262052940013/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=5805981262052940013' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/5805981262052940013'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/5805981262052940013'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/08/2011724.html' title='2011年7月24日 「苦い水の井戸」 「神の井戸」シリーズ8'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-765952944563650732</id><published>2011-07-21T10:06:00.000+08:00</published><updated>2011-07-21T10:07:15.291+08:00</updated><title type='text'>2011年7月17日 「実りの井戸」「神の井戸」シリーズ7</title><content type='html'>2011年7月17日の礼拝メッセージは「神の井戸」シリーズから「実りの井戸」と題して、創世記の49：22－26から話されました。22節を中心にして、父ヤコブがヨセフを祝福して予言した言葉の中から成功する（実を結ぶ）信仰生活の秘訣を学びました。[実りについて聖書の言葉：　詩篇1：3　何をしても栄える 、マタ　3：8　悔い改めを証明、 マタ１３：２３　100、60、30倍の実 、ヨハ　4：36　永遠の命、 ヨハ12：24　自分をなくす実、ヨハ15：5，8　キリストとの結合、ロマ6：22 聖潔に至る実、ロマ7：4　神のための実、エペ5：9　御霊による実、コロ1：6　福音の実、コロ1：10　善行の実、ヘブ12：11　懲らしめによる平安、ヘブ13：15　くちびるによる賛美］実を結ぶとは、使命を果たすこと、賜物を生かすこと、危険を避けることなどの意味がある。22節にヨセフは何ものか、（実を結ぶ若枝）；何処にあるか、（泉のほとりに）；活動の範囲は何か、（垣を超える）などを見ていきます。出30－49章に書かれたヨセフの全生涯を読むと、実を結ぶ原理を見い出せる。①逆行を生き抜くこと（23）。その時節の経験を40：15；41：52に話されている。そのような状況の中で神の助けを明らかにしている（45：5－11）。②神の力を授与されること（24）。弓とは、ヨセフ自身、使命、賜物、責任のことを意味する。彼を力付けたものは4つ。１．全能者の手、すなわち、神が共にいることを意識すること。２．岩なる牧者、すなわち、神に対する信頼と服従すること。３．神の祝福、すなわち、祝福を他者に与えるための備え。４．聖霊の内住（41：38、39）。③神に聖別されること（26）。ヨセフは、あの夢を見る者とさげすまれたが（37：5－11）、その夢（使命）をしっかり持った。そして、夢を進ませながら実現する機会を調べた（39章に「しかし主が」と言う言葉を見てください）。また、夢を生かしながら神の恵みを与える機会を見た（40：6－8）。ヨセフの名前は加えると言う意味（30：24）。これは彼の人生の特徴となった。したがって、その枝が垣を越えた（雅歌4：12－参考）。加える者の聖句を参考まで、ピレモン章1：11；使徒2：47；5：14；16：5；2ペテ1：3－11。これこそ実りの井戸という生涯です。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-765952944563650732?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/765952944563650732/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=765952944563650732' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/765952944563650732'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/765952944563650732'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/07/2011717-7.html' title='2011年7月17日 「実りの井戸」「神の井戸」シリーズ7'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-5102446410621827602</id><published>2011-07-21T09:58:00.001+08:00</published><updated>2011-07-21T10:00:08.830+08:00</updated><title type='text'>2011年7月10日「信仰と習慣の井戸」「神の井戸」シリーズ6</title><content type='html'>2011年7月10日の礼拝メッセージは、神の井戸シリーズから「信仰と習慣の井戸」と題して、創世記29：1－8の個所から話されました。8節の「そうできないのです」と言う言葉を中心にして、信仰と習慣の対立について探ってみます。ヤコブは羊の事を考えていたが、羊飼いたちは習慣の事だけを考えていた。信仰とは、クリスチャン生活が立っている聖書の真理、その教えを守りそれに従うこと、神の御心にかない、それを行うこと。2コリ10：3－6（肉、要塞は習慣のこと、習慣を破るのは、霊的戦い）はこの問題を明確に語っている。イエス様の教えを見てみてしょう。ルカ4：16－21（いつものとおり）、イエスは使命に反しない場合、真理を語る為に習慣を利用した。マタ5章（山上の垂訓）に「何々と言われてたのを聞いています。しかし、私はあなたに言います」。すなわち、神の家族として、生活の基盤を新しい原理に据える。マタ15：3－9．口先と心の違い（習慣を第1に神を第2にしている）礼拝に影響する。ヨハ4：19－24．神が求めている礼拝者、霊と真による礼拝 。ヨハ18：39．（一人の人を釈放する慣わし）習慣の故にイエスは殺された。次に、初代教会の教えを見ましょう。使15：1（割礼を受けなければ救われないと言う慣習）救いについて。1コリ8：6、7．唯一の神と偶像の教えについて。1コリ11：2、16． 教会における習慣について 。エペ3：2. 改新する前の生活について 。2コリ2：6－9．改新する後の生活について。1ペテ1：18、19. キリストの血による購いについて。次に、ストーリの中の象徴を見ましょう。カラン（荒れ地、乾いた地、燃える、怒る、と言う意味）神の命がない習慣を示す。創11：31、32．（テラの死）事の成就を見ない将来。詩篇63：1（乾いた思い）；詩篇68：6（頑固者は乾いた地に住む） ；ルカ11：24（悪霊は乾いた所をさまよう） ；イザ53：2（砂漠でも若枝のように芽生える） 。タイミング、時、季節、事情、状況について．（7，8節）。習慣は変化を受け入れない．信仰が変化を起こす． ヨハ4：35（収穫までまだ4ヶ月ある）．　福音宣教による収穫に影響する 。ヨハ5：3，4．（38年間病気だった人の癒し）キリストによる奇跡と対立している。2コリ6：2．（今は救いの日）救いを受ける時がある。井戸の口の上にある石について 。習慣は神の新しい経験を妨げる。ヤコブは聖霊による新しい権威を象徴している。。ルカ11：39，40（日々の糧を求め、開かれるまで求める）。神の栄光を見る 。マコ16：3，4（石がすでに転がしてあった）．天の力による命を知る 。信仰に反する習慣を悔い改めて 、十字架に付ける。聖霊（ヤコブ）に服従する 、キリストによる命の水を放つ、神と新しい交わりをする 。その石を井戸の口からころがして、 羊に水を飲ませて、また行って、群れをお飼いなさい。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-5102446410621827602?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/5102446410621827602/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=5102446410621827602' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/5102446410621827602'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/5102446410621827602'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/07/2011710.html' title='2011年7月10日「信仰と習慣の井戸」「神の井戸」シリーズ6'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-3860246613744793808</id><published>2011-07-21T09:57:00.000+08:00</published><updated>2011-07-21T09:58:18.888+08:00</updated><title type='text'>2011年7月3日「争いの井戸」「神の井戸」シリーズ5</title><content type='html'>2011年7月3日の礼拝メッセージは「神の井戸」シリーズから「争いの井戸」と題して、創世記26：12－22の箇所から話されました。『「ゲラルの羊飼いたちはこの水はわれわれのものだ。」と言ってイサクの羊飼いたちと争った』（20）は、メッセージの中心的な言葉です。ストーリーの中の事柄が起こった順序を、よく調べるとイサクが霊的、物質的に祝福を受けて、裕福になったのは、争いをいかにうまく処理したかにあることがわかります。ストーリーの中には、特徴的な部分が４つあります。この４つは、日々の生活と信仰生活で起こる論争の解決についての教訓を教えています。[１]．再び井戸を掘って、名前を付けたこと （18－22）。争いを引き起こす原因を探ると次のようなものがある。①祝福を失った原因を認識したこと（15）②過去の祝福を再発見したこと（18）③霊的な言葉をもって信仰を強化したこと（18）④救いの喜びに満ちた生活に戻ったこと（19）。[２]．水について争ったこと （20、21）。争いの動機は、影響力に対する恐怖である。当時の社会では、井戸水を有する者は裕福になり、勢力を得、社会に影響を及ぼした。。信仰生活では神の祝福を受けた者も同じである。争いの形はことばであった（20）。[３]．イサクの争いに対する応答（19－22）。①イサクの反応は、無言で、井戸をゆずって、そこを離れた。こうしてキリストにあるおなじ態度を示した（イザヤ53：7；マタイ 12：18，19 ；1ペテロ2：19－23 ）。神は、あなたの(物質的な）ためではなく、あなたを通してでもなく、あなたの内なる変革が最も大切と考えておられる。②神聖（神らしい）な反応は、神聖な報いが伴う（22）。広々とした所はその祝福ではなく、祝福を受けるための状況である 。広々とした場所は祝福の約束を再確認する所で、それは、礼拝を通してその約束を信じて告白するに至る。[４]．受けた祝福とそれを認めたこと（26－31）。ここに12－14節がストーリーが入る。「その地に（12、22）、種まき、百倍の収穫、祝福、富、栄、裕福、 家畜、しもべが多くなった 。またそこに住居した（25） 。アビメレクがイサクの祝福を認めた。こうしてイサクが平和の契約を結んだように、人々も私たちにある主の祝福を見てそれを求めるようになる。。また争いは人の間のことだけではなく、自分の内にもあるもの。「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょうあなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか」ヤコブ書4：1。争いの井戸は、肉と霊の争いについてのことであるが、肉に属するか、霊に属するかのことで、霊に属する者だけが祝福を得る（1コリ3：1－3）。肉なる自分をキリストの十字架に持って来て、広々としたところに 入りましょう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-3860246613744793808?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/3860246613744793808/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=3860246613744793808' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/3860246613744793808'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/3860246613744793808'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/07/2011735.html' title='2011年7月3日「争いの井戸」「神の井戸」シリーズ5'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-5482513726676964224</id><published>2011-07-21T09:56:00.002+08:00</published><updated>2011-07-21T09:57:28.041+08:00</updated><title type='text'>2011年の6月26日 「期待の井戸」「神の井戸」シリーズ4</title><content type='html'>2011年の6月26日の礼拝メッセージは、「神の井戸」シリーズから「期待の井戸」と題して、創世記24：1－14の箇所から話されました。「ご覧ください。私は泉のほとりに立っています」（13）は中心的な言葉です。無名の井戸ですから、この言葉は神の約束の言葉に対して、心の態度を示しています。要するに期待です。最も単純に考えればこのストーリーの内容は、アブラハムのしもべエリエゼルがイサクのために伴侶を求めに行くことだけですが、もっと大きことに及ぶのです。すなわち、リベカとイサクを通して生れるイスラエルの王国です（60）。そして、後に救い主イエスキリストが、その系図の子孫としてお生まれになります。要するに私たちの救いと信仰による祝福の秘訣が、このストーリーに秘められています。その秘訣は、期待があなたの人生に神の祝福を解き放す鍵だと言うことです。「敵の門を勝ち取る」（60）と言う言葉は、勢力と権威をもって町の生活の全体を支配すると言う意味です。これを私たちの信仰生活に当てはめると、キリストを信じる信仰によって天国の力が、生活の中に解き放たれるようになることです（マタ16：18、19）。期待と言うのは「ただ良いことが起こるといいですね」と考えるようなことではなく、むしろ、よいことが必ず起こると確信を持つことです。その確信は神の約束に基づいています（1コリン9：10；ロマ8：25）。期待は人生に、神の力と権威を解き放す鍵です。このストーリーに期待の意味を示す３つの重大な言葉あります。①「定め」（1－14,44 ）。神の祝福を期待することは、人生の事がらを神の定められたものだと知ることです。 神の「定め」は、契約によるもの、超自然的に導かれること、神の富と資源を受けることで、いつも神を礼拝することを通して確信するようになるのです。②「成功」（15-27）。神の祝福を期待するとは 神が与えられることが成功すると予想する事です。期待を持つ者は成功するために、正しい場所に立っていなければなりません（27、48）；人に祝福が与えられる（22、30、53）；神を礼拝する（26、27、52）。神の与える祝福は、自分のあわれみ（当たわざる者に祝福が与えられる）と神の真実が一体化されたものです。③「勝ち取る」（50-61）。神の祝福を期待するとやがて、その祝福を受けることが出来る。勝ち取るの別の意味は所有すると言うことです。勝ち取る、所有するとは、直ちに行動することによるものです。先延ばしは、一番恐ろしい敵です。勝ち取る、所有するとは、神聖な定めに服従する、ゆだねることの後に必ずついて来る。「ご覧ください。私は泉のほとりに立っています。」神の祝福を解き放つ期待と言う鍵は、どこに立っているかということだけではなく、どのような心を持って立っているかということです。神に対して大きな期待を持って天国の神の力と権威を解き放す鍵を手にしましょう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-5482513726676964224?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/5482513726676964224/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=5482513726676964224' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/5482513726676964224'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/5482513726676964224'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/07/2011626.html' title='2011年の6月26日 「期待の井戸」「神の井戸」シリーズ4'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-2494149066589408836</id><published>2011-06-27T14:07:00.000+08:00</published><updated>2011-06-27T14:09:04.122+08:00</updated><title type='text'>2011年6月19日 東金バブチスト教会の川上政孝牧師 「救いを完成される神」</title><content type='html'>2011年6月19日の礼拝では、東金バブチスト教会の川上政孝牧師に、ピリピ人への手紙1：6から「救いを完成される神」と題して説教して頂きました。　　　　　　　　　　この書簡は、パウロがローマの獄中から喜び、喜べと書いた手紙であるが、パウロの状況は、ローマの暴君ネロ皇帝から、明日は首を切られるかもしれないという誠に厳しいものであった。厳しい状況にあっても喜べる答えが、1：6にある。ピリピ人への手紙の主題は、4：4である。私たちは、創り主によっていて、その方に祈ることができ、創り主が全力で愛し、救って下さる。人間の喜びは、長続きしない。祈り、宣教していても自分の力に頼っていたら、保証は何一つないし、キリスト信仰が人間の気分や感情中心だったら何も残らない。人間主体だと、むなしさ、惨めさ、悲惨さが残るのみ。「われわれは真理を欲するが不確実を、幸いを欲するが悲惨と不幸しか見出さない/パンセ・パスカル著」と言われる通りである。&lt;br /&gt;１．信仰の創始者は神である（よき働きを始められた方は、1：6）。紫布の商人ルディアはヨーロッパで初めてのクリスチャンであるが、彼女が良い人敬虔な人と言う訳ではなく、主が彼女の心を開いて決断するように導かれた（使徒16：14）。アンティオケ（使徒13章）でも信仰に入った人もいたが、アテネでは死人の復活を語るパウロは、馬鹿にされ意気消沈していたようだ。しかし、コリントの町では、「恐れず語り続けよ」（使徒18：9）「この町には、わたしの民がたくさんいるから」（使徒18：10）と神が心の中に語りかけ、心を動かして神の業が始められていった。神が始められたと言う事が、ピリピ教会の信仰の土台となり、喜びの根拠となった。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;２．神のイニシャチブで始まった信仰であるが、中途半端に終わるのではなく完成してくださる（必ず成し遂げてくださる1：6）。神が完成に至らしめてくださり、有終の美を飾る（最後までやり通し立派な成果を挙げること）ことができる。それぞれ、働きや使命を全うして信仰の完成である。与えられている仕事（職業の招命と考えてもいい）やりたいこと、ライフワークなどあきらめてしまいそうになっても、神の栄光のために生きるもののためには、神は全ての事を導き用いて、完成させて下さる（ローマ8：28）　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;３．神への信仰、神の選び、喜びの確信（堅く信じている1：6）パウロは、神が信仰を守り抜いて下さると堅く信じ、全く疑わず確信していた。信仰の戦いを勇敢に戦って、神から「善かつ忠なるものよ」（マタイ25：21）との言葉をかけて頂くのは，口に表せないほどに嬉しい事である。信仰生活の中、不安定でびくびくしているのではなく、単に救ってくださったのでもなく、信仰を始めてくださった方だから、完成してくださると信じる。必ず信仰生活の有終の美を飾れると信じて生きましょう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-2494149066589408836?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/2494149066589408836/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=2494149066589408836' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2494149066589408836'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2494149066589408836'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/06/2011619.html' title='2011年6月19日 東金バブチスト教会の川上政孝牧師 「救いを完成される神」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-6135543632391838708</id><published>2011-06-27T14:04:00.002+08:00</published><updated>2011-06-27T14:07:18.473+08:00</updated><title type='text'>2011年6月12日 「聖霊の井戸」「神の井戸」シリーズ3</title><content type='html'>2011年6月12日はペンテコステの日で、礼拝メッセージは「神の井戸」シリーズとして、出エジプト記15:22-27から27節を中心に「聖霊の井戸」と題して話されました。エリムの泉は聖霊の真理に関連があると考えられています。特に、救いの目的、すなわち、霊と真によって神を礼拝する充実した信仰生活に至らせる目的があります（ヨハ4:24)。イスラエル民族が、エジプトから解放されたのはこのためでした（出3：18）。エリムの泉に2ヶ月半滞在した後、シナイ山（礼拝の山）に進みました（16：1）。マラの経験は、さらに祝福を受けるように前進させる神の計画です。エリムの泉には、数字に秘められた意味があります 。12の数字は天、神聖の政治と支配 を、70の数字には神聖と人間の結合を意味しています。7ｘ10で、7は神の力、10は人の弱さを意味しているからです。エリムの泉はイエスの教えの中に示されています（ヨハ4章、7：37－39）。エリムの泉は聖霊のバプテスマを受けて、神による力と権威を持って、 人間に神の祝福をもたらす事の象徴です 。聖霊のバプテスマを受けた明白な証拠があります（ 使2：33）。多くのクリスチャンはイエスを信じて洗礼を受けますが、聖霊によるバプテスマを受けるまでに至りません（使19：1－6）。異言を伴う聖霊のバプテスマは、救いの経験の一部分です。聖霊がなければ信仰生活は無力です。聖霊を受けましたか 。もし聖霊を知らないならまずイエスを信じて洗礼を受けなさい 。そして、聖霊のバプテスマを 受けるように祈って頂きませんか。今日は、あなたのペンテコステの日になります。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-6135543632391838708?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/6135543632391838708/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=6135543632391838708' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6135543632391838708'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6135543632391838708'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/06/2011612-2.html' title='2011年6月12日 「聖霊の井戸」「神の井戸」シリーズ3'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-3699492722818860137</id><published>2011-06-15T10:35:00.000+08:00</published><updated>2011-06-15T10:36:11.244+08:00</updated><title type='text'>2011年6月5日「契約の井戸」 「神の井戸」のシリーズ2</title><content type='html'>2011年6月5日の礼拝メッセージは、「神の井戸」のシリーズとして、創世記21：14－19から「契約の井戸」と題して話されました。説教の中心は、19節です。べエル．シェバとは、井戸と七つと言う意味です（30－32）。アブラハムは契約を交わした確認として、七頭の羊をアビメレク王に贈りました。従って、べエル．シェバは誓い、または、契約を意味しています。ハガルは、後に結ぶ契約を予想して、井戸の水を飲むことによって、アブラハムの契約の祝福に預かった。私達が、歴史を遡って、信仰により、キリストの契約の祝福に預かることも意味している。ベエル・シェバを歴史的観点から見ると、ヤコブがエサウの長子の権利を奪った場所であり（創27:36）、ヤコブが天に届くはしごの上を、天使が上ったり降りたりしている夢を見た所でもある（創28:12)。この意味は、キリストのことであり、神の子供として、天の力を地に呼び寄せる権利を表している。これは「契約協定」（アブラハムを祝福するとの神の約 束）によるもの。ハガルと私達に「契約の井戸」は、どんな意義があるでしょうか。①　人間にある資質の限界を認める場所（14-16)。失ってはならないものを得るために、置いていてはいけないものを、失わなければなりません。②　神に信仰の焦点を合わせ直す場所（17)。恐怖は信仰の焦点を失わせる。恐怖を克服するには、神に焦点を合わせ直すことである。③　夢を再生して養う場所（18)。天使（三位一体の神の御子なる神、受肉前のキリスト）の言葉は、「行って、青年を起こして、力付けなさい。」状況を変える前に、自分が変わらなければならない。生き返った希望は、養わなければならない。④　神の無限の資質を経験する場所（19)。子供の所に戻って、取り上げた後にだけ、目が開かれ、井戸を見つ けた。これは信仰に従順した結果である。このような契約を通して神との密接な関係を経験するようになる（33)。「契約の井戸」は、キリストの命、死、復活、福音を象徴している。キリストの中から「契約の井戸」の祝福を得る。アブラハムの七頭の贈り物は、十字架からイエスの七つの発言による救いの祝福を語っている。契約の井戸を見つけるために、主が目を開いてくださるように祈ります。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-3699492722818860137?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/3699492722818860137/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=3699492722818860137' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/3699492722818860137'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/3699492722818860137'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/06/201165-2.html' title='2011年6月5日「契約の井戸」 「神の井戸」のシリーズ2'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-7323110340413189225</id><published>2011-06-15T10:33:00.000+08:00</published><updated>2011-06-15T10:35:21.305+08:00</updated><title type='text'>2011年5月29日 「見ることの井戸」「神の井戸」シリーズ1</title><content type='html'>2011年5月29日の礼拝メッセージは、新しく「神の井戸」シリーズを始めますが、その第一回目として、創世記16：1－16から「見ることの井戸」と題して話されました。&lt;br /&gt;この井戸で起こって事を通して教えられる教訓は、①　神が私をご覧になっていること、②　わたしは神を見ることができること、そして、③　私のために神の大いなる計画を見ることができることです。この井戸は「見ること」が中心的な真理だと明確に分かります。&lt;br /&gt;ハガルがこの井戸で経験したことは、自分の人生に、調度起こっている事柄のゆえでした。&lt;br /&gt;ところが井戸で経験したことによって、人生はよい方向へ変わるようになりました。&lt;br /&gt;それを経験できるように次のステップが必要です。「見ることの井戸」は、①　過去の問題に向かい合う場所です（3－9）。ハガルは過去にいじめたり、いじめられたりすることがありました。その状況から逃げようとしたが、その問題が解決しない限り決して祝福へ進むことはできませんでした。彼女に現れた者は、旧約時代における三身一体の神の第二番目の方で、主イエス・キリストでした。彼女はこの方をエルロイ「ご覧になる方」と呼びました。&lt;br /&gt;②　「見ることの井戸」は、将来の新しいビジョンが生じる場所です（10－13）。主の御使いは将来に対して約束を与えた。ハガルは苦い思い出ではなく、大きい希望を持って戻った。神を見たからです。③「見ることの井戸」は、神に対して新しい理解力を持っていると告白する場所です（14)。後にその井戸はエルラハイロイと呼ばれました。一つの意味はご覧になる神の目的と、計画を見たということです。すなわち、神が自分に対して計画を持っていて、どんなことが起こってもそれを成就してくださると言う意味です。このストーリーが起こった場所は、エジプトへの道の途中のシュル（壁）と言う町の付近、カデシュ（聖域）とベレデ（さ迷う）の間でした。エジプトは世、シュルは神が注意をされるのを受けるために使う状況、カデシュは神と共にいる生活、ベレデは、無目的な生活を象徴しています。「見ることの井戸」は、新約聖書の真理を描いています。キリストとの出会いを通して、与えられる祝福に満ちた人生を意味しています。この井戸は聖書の中で一番最初に出る井戸です。経験上からいえばこの「見ることの井戸」の真理を受けないなら、次の「神の井戸」の真理による経験に進むのは困難です。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-7323110340413189225?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/7323110340413189225/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' 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type='text'>2011年5月22日「突き抜ける者の名誉」　押し破る信仰シリーズ3</title><content type='html'>2011年5月22日の礼拝メッセージは、「押し破る」シリーズとして1歴代誌11：15－19から「突き抜ける者の名誉」と題して話されました。突き抜ける人は特別な人で、例外的なことを行い、驚くべき結果を生じ、神から大きい祝福を受ける。皆が同じ信仰を頂いているので、誰でも突き抜ける者になれる（ロマ12：3）。ダビデ王は、この三人が持ち帰えった水を、主の前に注ぎのいけにえとして捧げることによって、三人に最高の名誉を与えた。「ダビデの三勇士」と呼ばれるこの３人は、王がイスラエルの国の繁栄のために、定めた組織の兵士たちであった。この三勇士がしたことの意義を、理解するために、その組織について少し知る必要がある。王の支配と守りの下に入った人数は、神の陣営のようであった（黙5：11）が、その中から３０人のリーダーを選び、それぞれ３人づつの組を組織した。この３人が組になる原理は、聖書の中ではよく見られる。３０人の特質を調べてください（11，12章）。この３人が優秀な働きをしたのは個人としてではなく、グループとして活躍した時であった。この物語でのダビデの願いは、３人の行動の動機になったので、見ていく必要がある。ベツレヘムの井戸の水はダビデにとって、過去の神の祝福の経験を意味しており、同時に、先に置かれている神の祝福を、新たに経験することをも意味している。突き抜ける者は、その願いを成就することにより名誉を得る。突き抜ける者は、①．過去に得た勝利の証しを持つこと（11－23）。②．人の心の願いを聞き取ること（15－17）。③．共通した目的に人を集めること（18）。④．自己犠牲をする心構えを持つこと（18）。⑤．　全てを主のために行うこと（19）。個人や教会は、祝福を得る所を突き抜けると、その祝福が間もなく来る。これは13章の真理です。歌と音楽による「ダビデの天幕」という礼拝の新時代が始まる（参）詩篇の書。突き抜ける者になりましょう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' 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width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-1846191437344329045</id><published>2011-05-19T12:49:00.004+08:00</published><updated>2011-05-25T08:17:59.487+08:00</updated><title type='text'>2011年5月15日　「押し破る信仰」「突き破る神」の続き　押し破る信仰シリーズ２</title><content type='html'>2011年5月15日の礼拝メッセージは、先週のメッセージ「突き破る神」の続きで、マルコ2：1－５から「押し破る信仰」と題して話されました。&lt;br /&gt;2章4節を中心に、押し破る信仰は、 神から祝福を得るために必要であるのみならず、神の心に触れて、親しい関係の中で礼拝するためにも必要です 。「押し破る信仰」は驚くべき信仰です。私にはできないことを、神様は代わってしてくださるけれども、 私が出来ることを神が代わってなさることは、決してありません。旧約による「押し破る信仰」の原理が出エジプト記19章に見られます。神を迎えるために、イスラエルは山のふもとに立ち、神が彼らに臨まれた。ところが山は「立ち入り禁止」でした。それは、旧約では律法と罪の故に神を見れず、登るのも赦されませんでした（19：21、24）。 ところが、新約によれば、イエスの十字架と恵みによって、立ち入ることができるようになりました（ロマ5：2；エペ3：12）。新約による押し破る原理は、ヘブ3：17から4：1に見られます。&lt;br /&gt;イスラエルの民は、安息の地、カナンと言う国に不信仰の故に入ることができませんでした。&lt;br /&gt;詩篇95章によるとこの安息は、神との親しい関係の中で神を礼拝し、祝福された生活を意味します。マルコの中の中風の人の物語をよく調べたら、「みもとに」いることと「イエスに近づくこと」とは違います。イエスと中風の人の間には、邪魔物の群衆があった。その群集を打ち破るために「押し破る信仰」を働かせて屋根をはがし、穴をあけた。多くの人は、イエスのおられる戸口の所までは来ますが、あきらめて祝福を得ずに帰ってしまいます。「押し破る信仰」を持っていないからです。では、「押し破る信仰」の力は何か、中風の人の物語から学びましょう。①　大きい望みを持つこと。②　強く決心をすること。③　同じ目的に信仰を合わせて協力すること。④　独創性を生かすこと。⑤　月並みではない手段を用いること。詩篇27章は信仰によって押し破った者の生活を語っています。「ああ、私に、生ける者の地で主のいつくしみを見ることが信じられなかったなら。―― 待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。」（27：13）。上記の「押し破る信仰」の力の例、出19章、ヘブ3，4章マコ2章をまとめて示す聖句はマタイ11：12です。ここに激しく責めると言う言葉はそれです。キリストによる救いの祝福、聖霊が与える祝福を激しく求め押し破れ！！&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-1846191437344329045?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/1846191437344329045/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=1846191437344329045' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/1846191437344329045'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/1846191437344329045'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/05/2011515.html' title='2011年5月15日　「押し破る信仰」「突き破る神」の続き　押し破る信仰シリーズ２'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-6068298205152313341</id><published>2011-05-16T07:59:00.002+08:00</published><updated>2011-05-25T08:17:35.232+08:00</updated><title type='text'>2011年5月8日 「突き破る神」　押し破る信仰シリーズ１</title><content type='html'>2011年5月8日の礼拝メッセージは、第2サムエル記5：17－20から「突き破る神」と題して話されました。テキストは、5：20で「主は、水が破れ出るように、 私の前で私の敵を破られた。それゆえ彼は、その場所の名を バアル・ペラツィムと呼んだ （訳．突き破る神と言う意味）」バアルとは、ダビデがカナン地方の名前を借りて、イスラエルの神に当てはめたものかもしれません（使徒17：23参）。その意味は、神、主人、専門家です。ペラツィムとは、突き破ると言う意味で、突然、速やかに障害を突き破ること、敵陣を突破すること、困難などを乗り越えて進むこと、医学的研究の障害を突破することと、言うふうに使われています。歴史的状況は、ダビデが ユダとイスラエル全土の王としてエルサレムに上ったことが、ぺリシテ軍の脅威となったので彼らは攻撃してきました。この攻撃の意義は、神の御心の中で前進する時、敵であるサタンが戦ってくることを意味します。それは、以前の勝利と成功にチャレンジしてくることです。ダビデの油注ぎと王権、 そして、国民の平安が脅かされました。 レファイムの谷間で戦った意義 は、そこが以前、巨人ゴリアテに勝利した場所 でした。脅威の中にいるとき、神が私たちのために突き破ってくださいます。日常生活と霊的歩みの中でまだ解決していない問題が残っている場合、神に突き破って欲しいと願っていることでしょう。突き破って頂くまで「いつまで」この状態が続くのかということが問題です（詩篇13：2；35：17）。神が突き破って下さるその祝福を頂く為に は、①　神への賛美の生活 。神がなさる働きに対して賛美すべきです。イザヤ14：7；44；23；49：13；52：9．②　子を産む 。実の実らない過去を取り消して、豊かで安全な将来が与えられることを信じることです（イザヤ54：1、3）。③　世に福音と救いを証しする。世に積極的な態度を示していくことです（イザヤ55：12；58：8；61：11）。④　神の国の新しい目的に預かる 。神の仲間になって、神が世に働かれる時、共に動いていくことです。（イザヤ42：9；43：19）。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-6068298205152313341?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/6068298205152313341/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=6068298205152313341' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6068298205152313341'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6068298205152313341'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/05/201158.html' title='2011年5月8日 「突き破る神」　押し破る信仰シリーズ１'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-2466965812649352402</id><published>2011-05-09T09:26:00.000+08:00</published><updated>2011-05-09T09:27:06.226+08:00</updated><title type='text'>2011年5月1日 「希望の力」</title><content type='html'>2011年5月1日の礼拝メッセージはゼカリヤ書9：11，12から「希望の力」と題して話されました。希望はクリスチャンにとって、最も大切なものです。と言うのは、希望から信仰が来、信仰がなければ神を喜ばすことはできないからです。先週のメッセージからの続きですが、クリスチャンには、この世と来たるべき世で希望が約束されています　（1コリ15：19）。ところが、聖書的希望は、志望、願い、したいことなどのような意味ではありません。また恵みとか神学的な徳ではなく、いつも客観的なことで目的を達する動力となるものです。ここで、聖書的希望を学びましょう。ゼカリヤ9：12では「望みを持つ捕らわれ人」とあります。①　歴史的な環境。その当時イスラエル民族は、70年間バビロニヤに捕虜となっていました。エレミヤ、エズラ、ネヘミヤ、ゼカリヤの預言者たちは、解放と帰国を予言していました。この希望を、70年間持ち続けてきました。そして、それ以上に、イスラエルの国家につながっていました。（使1：6，7、28：6，7、28：20）。これは1948年に、イスラエルが建国されることによって、現実になりました。②　メシヤによる福音の時代を語っています（ゼカ9：9，10；コロ1：23）。キリストの到来のみならず、キリストの再臨（テト2：13）；天国（コロ1：5）；キリストの1000年王国と新しい天と地に及んでいます。③　希望へのお招き。「とりでに帰れ」ゼカ9：12．このとりでは神様ご自身です（詩27：1；63：1、箴18：10、ナホ1：7）。希望を現実にする前に、まず心の中で神に立ち返えらなければなりません。④　希望を現実にする条件。それは血による契約（ゼカ9：11）。過去のアブラハムとの契約のつながり、そして未来のイエスキリストの十字架による購いの血を語っています。この契約は聖餐を通して記念する。⑤　希望の祝福（ゼカ9：12）。「2倍の物を返す」とは祝福を豊かにという意味ですが、特定の祝福をも指しています。長子の権利（申21：17）；奉仕をするための御霊の力（2列2：9）；とこしえの喜び（イザ61：7）；そしてすべての祝福を得る信仰（ヘブ11：1）。ヘブル１１章は、信仰だけではなく希望の栄誉に預かる者の名簿とも考えられる。希望は生活に実際的な力となる例　－①　ピリピ市の牢に入れられた使徒パウロ（使16章）．②　ローマへ行く途中に難破した使徒パウロ（使27章）。このような状況の中で希望は確信を与え、魂の錨（いかり）となるものです（ヘブ6：11、18，19）。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-2466965812649352402?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/2466965812649352402/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=2466965812649352402' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2466965812649352402'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2466965812649352402'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/05/201151.html' title='2011年5月1日 「希望の力」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-1804157743847897093</id><published>2011-05-09T09:25:00.000+08:00</published><updated>2011-05-09T09:26:23.622+08:00</updated><title type='text'>2011年4月 24日「キリストの復活は悪ふざけか希望か」</title><content type='html'>2011年4月 24日の礼拝メッセージは、第１コリント15：1－10から「キリストの復活は悪ふざけか希望か」と題して話されました。テキストは、ルカ24：5、6とマコ16：6です。15世紀の終わりころに、ポルトガルからアフリカの最南端の岬を回って、往復の東アジヤの国々へ海路を発見しに、何回も船を派遣しました。地球の端にある南洋の荒海と暴風に襲われて、多くの船が沈没し、何千の水夫が水死しました。その岬は「嵐の岬」と呼ばれました。やがて1499年に一海路が発見され、アジヤの宝物を持って無事にポルトガルに戻りました。それで王は、「嵐の岬」の名前を「希望の岬」に変えました。同じようにキリストの復活が、神の祝福の富へと道を開いてくださいました。キリストの復活は「悪ふざけか希望か」裁判にかけ、証人を呼んで、証拠を取り調べて判決を出してみましょう。①　聖書の預言の成就の証人（第１コリ15：3、4）。ヨブ19：25ー27、詩16：10、使2：25－28、イザ53：10がキリストのことを予言しています。②　キリストと共生した証人（第１コリ15：5－7）。福音書の中で、少なくても生き返られたキリストに出会った人が570人います。この人達は、キリストの体に残った傷を見ました。そして、後に、殉教者ステパノ、使徒パウロ、黙示碌の著者ヨハネもお会いしました。復活は「悪ふざけ」ではなく「事実」だという判決を下さざるをえません。では、キリストの復活は私たちの日々の生活にどのような意義をもたらすのでしょうか。①　福音宣教に確実性を与える（第１コリ15：1、2、14）。ルカ1：1－４；使1：1－3参）。②　信仰に意味と力を与える（第１コリ15：2、14）。③　神の本質を示す(第１コリ15：15）。ピリ2：10；1テモ3：16参）。④　罪の問題が解決されたことを示す（第１コリ15：3）。十字架をによって贖いの犠牲を払ったが、復活によってその犠牲が神に受け入れられたとわかる（第１コリ15：3）。⑤　永遠の将来を保証する（第１コリ15：18－57）。⑥　新しい人生を設立する（第１コリ15：21、22）。イザ53：10参。復活はただの出来事ではなく、日々の生活が、復活そのものであるキリストの命に預かる経験です（ヨハ11：25、26）。キリストの復活は「悪ふざけ」ではないので、その生活が偽物ではない希望に満ちています。キリストは、本当によみがえられました。ハレルーヤー！！&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-1804157743847897093?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/1804157743847897093/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=1804157743847897093' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/1804157743847897093'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/1804157743847897093'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/05/20114-24.html' title='2011年4月 24日「キリストの復活は悪ふざけか希望か」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-5166603091417326019</id><published>2011-04-27T14:35:00.000+08:00</published><updated>2011-04-27T14:36:28.141+08:00</updated><title type='text'>2011年4月17日「日々生活におけるキリストの十字架」</title><content type='html'>2011年4月17日の礼拝メッセージは、第１コリント１：１７，１８節から「日々生活におけるキリストの十字架」と題して話されました。&lt;br /&gt;聖書のどのような所を開いても、キリストの十字架が見い出だされます。第１コリント書には、教会の中で起こった人間関係の問題を解決するために、十字架について語られています。日々の生活の問題を解決するために、キリストの十字架にある神の助けを、受けることができるのです。&lt;br /&gt;中心的な聖句を分析して見ますと、①　十字架は、生活に影響する神の効果的な道具なのです。②　十字架について私たちが話す言葉によって、その効果が無に帰するか、有益になるかが決まってきます。③　十字架そのものが私たちに語っています。④　十字架は救いを受けるために効果的であるばかりではなく、救われてからの信仰生活にも力があります。十字架が生活の上に効果的に表れるためには、十字架をどう考えるかだけではなく、何を信じているかによるのです。&lt;br /&gt;ここで、十字架の三つの点について申し上げます。①　十字架によって、人の永遠の運命が定まってきます（18）。すなわちキリストが十字架の上で、私のために何をして下さったのかと言うことです。&lt;br /&gt;それは、人間の知恵によるのではない罪の許しと、力と、永遠の生命が与えられることです。②　十字架によって、神との特殊な関係に入れられています(1－9）。それは、キリストが十字架の上で、成し遂げてくださったことですが、神の家族なる共同体（教会）の中に導いて、ご自身で聖別して、キリストの主権の下に入れて、祝福して下さいました。③　十字架によって、人生の新しい目的を示して下さいました。つまり、キリストが十字架のゆえに、私を何のために用いて下さるのかということです(26－28）。それは神がこの世で、ご自分の計画を成就されるためです。&lt;br /&gt;この三つの実践のために、十字架のキリストが私たちにとって、①知恵となる、すなわち、神、キリストによって、人間はどのように変えられていくか教えること；②義となる、それは、罪、罰、赦し、身代わりとなったキリストのことを教えること；③きよめとなる、これは、神、世、生活に対してどう生きるべきか教えること；④贖いとなる、すなわち、人生のどん底から天国の高みにまで引き上げる、神の力を教えることです（30、31）。&lt;br /&gt;キリストの十字架はイースターの一部分です。そして、私たちの日々の生活の中で力となっています。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-5166603091417326019?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/5166603091417326019/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' 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type='text'>2011年4月10日　「こちらは聖霊です。応答願います」</title><content type='html'>2011年4月10日の礼拝メッセージは、第1コリント12：1-11から「こちらは聖霊です。応答願います」と題して話されました。このメッセージが、「主に仕える賛美の時間」がもっと充実していくのに、役立つように祈っています。皆が心を一つにして捧げる礼拝で、聖霊と交わることによって、日常生活の中で、勝利するための力や助や導きなどを受けることが出来るのです。このメッセージでは、どのようにそれを実践していくかを学んでいきます。&lt;br /&gt;第1コリント12：7では「現れ」（原語：パネーロス）とは、他の個所では、公、外面、表現、形、明らか、輝くなどに訳されてます。「主に仕える賛美の時間」の重要な点は、口に出す賛美と、それに対する神の応答です。その応答は、心の中で起こる「聖霊の現れ」ということですが、その現れは、私達が具体的に形で表さなければなりません。&lt;br /&gt;それは聖霊による賜物を用いることです。聖書の中で皆が集まって礼拝する様子は、例として次の個所があります。&lt;br /&gt;出40章、２列6，7章；12章；29，30章；34章。共通点は、楽器と共に口に出す賛美と、神の民として生きるために役に立つ言葉です。新約聖書の中の例は、第1コリント10－14章とエペソ5：18、19です。&lt;br /&gt;①は、主の食卓を囲んで、愛によって用いる賜物を通して、主とお互いに口を通して出す賛美です。この口に出す賛美は、讃美歌の歌詞とは別の言葉（心に満ちる言葉で、ハレルヤ、主を賛美しますなどのもの）と言う意味です。&lt;br /&gt;②このような例を通してわかっていることは、礼拝集会は沈黙の内になされたものではないことと、その集会は会衆一同の益のためのものです。③聖霊の現れ「賜物」を用いることは、私たち自身がコントロールできるものです。私たち自身が口を通して現わすのです。12:1－3。④用いるために助けを祈る14：13。&lt;br /&gt;⑤自制を働かせ集会の礼儀、秩序を守る14：24－27。自分の霊でコントロールする14：32。&lt;br /&gt;聖霊の現れは感情によるものではなく、聖霊がしいて現わさせるものでもありません。通常の思いや考えや頭の中のイメージ（想像）を通して与えられて現わすのです。「聖霊の賜物」の顕著な現れは、聖霊によるバプテスマです（使徒19：1－6）。信仰を持って踏み出す。（ロマ12：6）。体を聖霊にゆだねること（ロマ6：13；使徒2：4－別訳では「聖霊が与えて下さった言葉を、はっきりと大声で語り出した」）。賜物を用いる目的は皆の益のため、徳を高めるため、神の臨在を現わすため、人が永続的な変化を起こすためです（12：7；14：4；24、25）。聖霊の賜物を用い実践するためには、そうしたいと言う望みを持つこと、声を上げて賛美をすること、自分の思いと頭の中のイメージを形（言葉）にして現わすこと、信仰によって最初の一歩を踏み出すことから始まる。聖霊の現れは、楽器を通してでもできる（1列25：1－3；士師6：34）。これらのものを通して、聖霊様に応答しましょう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-2349019661248469843?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/2349019661248469843/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=2349019661248469843' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2349019661248469843'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2349019661248469843'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/04/2011410.html' title='2011年4月10日　「こちらは聖霊です。応答願います」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-9217719193220801749</id><published>2011-04-21T10:41:00.001+08:00</published><updated>2011-04-21T10:45:41.990+08:00</updated><title type='text'>2011年4月3日　以前にも後にも、勝るお祝い　信仰更新のシリーズ第４</title><content type='html'>2011年4月3日の礼拝メッセージは、ヨシヤ王による信仰更新のシリーズの3回目として、第2列王記23：21－25から、「以前にも後にも、勝るお祝い」と題して話されました。メッセージで重要な点は、真の信仰の刷新は、日々の生活の中でキリストによる救いをお祝いすることです。ヨシヤ王のお祝いは、過ぎ越しの祭りと種を入れないパンの祭りです（第2歴代誌35：1－19）。参考、出エジ12：1－30．重要点は、羊を殺して食べる、羊の血を二本の門柱とかもいにつける。意義は、イスラエル人が、エジプトの奴隷生活から解放される、エジプトへの裁き、イスラエル人は守られた、羊を食べることによって、羊の死に預かる、信仰を持つ時、神の業が起こることです。&lt;br /&gt;ヨシヤ王のお祝いの動機は、書を発見した、主に立ち返った 、契約の箱を宮に据えたことです。この三つのことはそれぞれ、聖書的真理に立ち返ること、悔い改め、信仰、従順、そして、主を中心とした生活を示しています。過ぎ越しの祭りは、キリストの生涯にかかわっています。キリストが十字架の上で 私たちの過ぎ越しとなられた。&lt;br /&gt;羊、1コリ5：7、8；ヨハネ1：29；黙5：6．&lt;br /&gt;血、1ペテ1：18；1ヨハ1：7&lt;br /&gt;ヨシヤ王による過ぎ越しは イエスの十字架を示している 。&lt;br /&gt;過ぎ越し祭りは主の食卓とかかわっています。&lt;br /&gt;設立：マタ26：26－30；　マコ16：22－26； ルカ22：14－20．&lt;br /&gt;意義：パンとぶどう酒はキリストです。新契約による罪の赦し、神の王国の設立記念、&lt;br /&gt;キリスト教の聖餐式の起源。注意：食事後の杯は「救いの杯」　詩111：13「ハレルヤの杯」&lt;br /&gt;ハレルヤの賛美は詩篇113-117編。初代教会が行った主の食卓（聖餐式）は、1コリ10：16、17；&lt;br /&gt;1コリ11：23－26 。ヨシヤ王のお祝いの仕方（2歴35章 ）。国民のためのお祝いでした。&lt;br /&gt;供え物が豊富なお祝いでした。供え物を国民に配った。 喜びをもって行った。 真の信仰&lt;br /&gt;刷新は、日々の生活の中で キリストによる救いをお祝いすることです。主の食卓は礼拝集会の中で行っていますが、真のお祝いは、日々の生活の中で経験しています。キリストの恵みを豊かに受けているのですから この「勝る」お祝いをしようではありませんか 。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-9217719193220801749?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/9217719193220801749/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=9217719193220801749' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/9217719193220801749'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/9217719193220801749'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/04/2011433.html' title='2011年4月3日　以前にも後にも、勝るお祝い　信仰更新のシリーズ第４'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-2764919532766779518</id><published>2011-03-31T08:57:00.001+08:00</published><updated>2011-04-21T10:46:26.128+08:00</updated><title type='text'>2011年3月27日「信仰更新になくてはならない要塞　－忠実さ」信仰更新のシリーズ第3</title><content type='html'>2011年3月27日の礼拝メッセージは、ヨシヤ王による信仰更新のシリーズの第3回目として、２列王記22：4－7と２歴代誌34：8－14から、「信仰更新になくてはならない要塞　－忠実さ」と題して話されました。２列王記 22: 7、「彼らの手に渡した金を彼らといっしょに勘定してはならない。 彼らは忠実に働いているからである。 」を中心にして、忠実な人の特徴を考えました。 1.神から用意された物をどこから、どのようにして取り出すかを知っている 2神から与えられるものに対して責任を負う 3.生活の中に、受け入れるべきものの価値を知っている 4.神がその人の手に与えられるものを知り、認める 5.権威に服従する。 6.神の賜物を持った人を指導する 7.神の与えて下さる賜物を、最大限に活用する 8.生活能力の向上のために、信仰を適用する 9.目的に達するために、その人の持った賜物を生かしてあげる 10.神の啓示の言葉によって活動する。 上記の事柄は、あなたの信仰の刷新に必要です。忠実さと信仰心の関係は次の聖書に見れる。箴言13：17、25：13、28：20、イザヤ1：26．聖霊がキリストの忠実さを信者の内に生じさせる（ガラ5：23）。そして、キリストご自身の報いに預かる（マタ25：21）。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-2764919532766779518?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/2764919532766779518/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=2764919532766779518' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2764919532766779518'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2764919532766779518'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/03/20113273.html' title='2011年3月27日「信仰更新になくてはならない要塞　－忠実さ」信仰更新のシリーズ第3'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-3371607688004248855</id><published>2011-03-30T14:29:00.001+08:00</published><updated>2011-03-30T14:31:33.659+08:00</updated><title type='text'>2011年の3月20日 「書の発見ーしてはならないことを、してしまっていると言う問題」信仰更新シリーズ第２</title><content type='html'>2011年の3月20日の礼拝メッセージは、ヨシヤ王による信仰更新シリーズとして、第歴代誌34：14－22から「書の発見ーしてはならないことを、してしまっていると言う問題」と題して話されました。してはいけないことは、前回の怠る事（しないでおくこと）に次いで、信仰の刷新を経験しようとする時、一番邪魔になるものです。書を発見することによって、その問題を取り除くことができます。怠りによる破壊の下に、もう一つ怠る事を見い出しました。御言葉を怠る事です。宮、神への礼拝を怠る事があれば、その裏に、神の御言葉を怠ることが必ずあります。怠る事の問題を解決すれば、祝福に至る神の備えある秘訣を見い出します。ヨシヤ王が発見した書は、何の書でしたか。申命記だと考えられています。申命記は、イスラエル国民が、所有しようとするカナンでの新しい生活を語っていて、私達のクリスチャン生活と並行しています。ヨシヤ王が発見した書を読んだことの故に、次のように応答しました(2列王記22，23章を参考）。①　悔い改めました。②　神と契約を結んだ。その契約を実行するには、14の実践があります。すなわち、宮と民の中に、あってはならないものを取り除いたことです。この行いは新約聖書の真理を、物語っています。つまり、罪ある性質に打ち勝つと言うことです。それは、１．罪の力からの解放　ロマ7：15－25。２．聖めることです。聖めは、救いの一部です。1コリ1：30；1テサ4：3；2テサ2：13；1ペテ1：２．あるものから、別ものへと聖別すること。2コリ6：17－7：1；1ペテ1：2。罪ある性質の問題を取り扱うこと 。ロマ6－8章；エペ4：2；コロ3：9。非キリスト教的風習、習慣、行いを除くこと 。コロ3：8；ヤコ4：8；エゼ44；23。 ２．聖めをいただくために、十字架のわざを適用する 。ヘブ13：12；１コリ1：30；1ヨハ1：7。真理に従う。 ヨハ17：17；詩119：9；エペ5：26。罪を認めて、告白する。1ヨハ1：9；マタ23：25ー28。聖めて下さるように願い求める。詩19：12；51：2、7、10。信仰生活を刷新して保つように、御言葉を再発見しましょう。そして、心と実生活にしてはならないことがあれば、取り除きましょう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-3371607688004248855?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/3371607688004248855/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=3371607688004248855' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/3371607688004248855'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/3371607688004248855'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/03/2011320.html' title='2011年の3月20日 「書の発見ーしてはならないことを、してしまっていると言う問題」信仰更新シリーズ第２'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-5154860047345231443</id><published>2011-03-21T09:40:00.000+08:00</published><updated>2011-03-21T09:43:02.332+08:00</updated><title type='text'>2011年3月13日北浜インターナショナルバイブルチャーチの黒田禎一郎牧師 『下手ですが．．．大丈夫！』</title><content type='html'>2011年3月13日の礼拝メッセージは、出エジプト6章28節ー7章7節をテキストに『下手ですが．．．大丈夫！』と題して、北浜インターナショナルバイブルチャーチの黒田禎一郎牧師に説教していただきました。イスラエルの指導者モーセは、80歳で神に召しだされ120歳で亡くなりますが、彼の生涯の後半3分の1の期間、活躍しました。この年だと、能力、体力、知力、気力の限界を覚えますが、その彼を遣って、イスラエル民族歴史上最大の「出エジプト大作戦」を導かれました。１．モーセの始まりは、『人間的弱さ』にあった。（7：7彼らがパロに語ったとき、モーセは八十歳、兄アロンは八十三歳であった。）聖書の逆説的心理→→神はなぜ強い人を使わずに、弱い人をお使いになったのか。それは、神の栄光（神の技）があらわされるため。自分の弱さを正直、誠実に申し上げる。神様は、弱さのうちにスタートしてくださる。神様にお任せし、神のお言葉を頂いて歩むとき大丈夫です。２．モーセのハンディーは『口下手』であった。（6：30しかしモーセは主の前に申し上げた。「ご覧ください。私は口下手です。どうしてパロが私の言うことを聞くでしょう。」）聖書の逆説→→口下手の人は確かに、何を言っているか分からない様な話し方をする。そのハンディーも神様はすべてご存知で、神様が責任を持ってくださる。人間の能力は神が伴い、神が臨在してくだされば大丈夫です。「私は、22歳のとき、6年の予定で勉強をするためにドイツに行きました。勉強をして大学に戻る予定でしたが、ドイツでヨーロッパで初めての日本人教会を開き、東欧の国々に宣教し、日本に帰って語学学校、ビジネスマンのためのセミナーなどを開きながら牧会をするようになりました。私の計画と神様の計画は全然違いました。また、大学を休職して言ったのですが、ドイツにいる間12年間給料を頂くこともできました。勿論辞退を申し上げたのですが、そのまま支払われ、大学に戻らず、牧師になることも当時の学長は快諾し、給料も返済しなくても良かったのです。神様の不思議な導きですが、全ての主権は神にあります。」 ３．モーセの『決定的なポイント』は？（6：29　主はモーセに告げておおせられた。「わたしは主である。私があなたに話すことを、みな、エジプトの王パロに告げよ。」）「私が語ることをパロに告げよ。」とお言葉があった。主の言葉を素直に受け止めること、ここからが始まりである。主のお言葉を受け止める時、主の臨在がある。自分のありのままの姿で、与えられている命を精一杯生きる。自分のだけのために生きるのではなく、他者の為に生きるようにする。「北浜の教会は200名程の教会ですが、立地条件のとてもいい所の9階建てのビルの中にあります。このビルを取得するために、共同出資をしようということになりましたが、一人の人が買うのが得策だということが分かり、一人の兄弟が6億5千万円の借り入れをすることになりました。60歳手前でこのような多額の借金をすることを悩んでいましたが、毎日A4の用紙に2，3枚も神様から御言葉が来て、家族で話し合うことになりました。子供さんの、『私達の国籍は、天にあるんでしょう』との言葉で借り入れを決断しました。その返済も滞ることなく、あと9，10年ほどで返済も終わるとの事です。」神様の権威によって、困難と思えるようなことも成し遂げられていく。 まとめテーマ：「下手ですが．．．大丈夫！」１．マイナス要因は、プラスに用いられた２．神は、なぜモーセを用いられたか　　①彼の80年間の歩み．．．神の前に歩いた（正直に正道を）、神を信頼していた。　　②誰も誇ることが無いため決定的ポイント？7：3　わたしはパロの心をかたくなにし、わたしのしるしと不思議をエジプトの地で多く行おう。7：4　パロがあなた方の言うことを聞き入れないなら、わたしは、手をエジプトの上に置き、大きな　　　　さばきをよって、わたしの集団、わたしの民イスラエル人をエジプトの地から連れ出す。&lt;br /&gt;7：5　わたしが手をエジプトの上に伸ばし、イスラエル人を彼らの真ん中から連れ出すとき、エジプトはわたしが主であることを知るようになる。　　　　〈神のみことば〉&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-5154860047345231443?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/5154860047345231443/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=5154860047345231443' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/5154860047345231443'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/5154860047345231443'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/03/2011313.html' title='2011年3月13日北浜インターナショナルバイブルチャーチの黒田禎一郎牧師 『下手ですが．．．大丈夫！』'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-8723949313358964691</id><published>2011-03-09T08:03:00.001+08:00</published><updated>2011-03-09T08:05:12.659+08:00</updated><title type='text'>2011年3月6 日 「ヨシヤ王による信仰更新」シリーズ第1</title><content type='html'>2011年3月6 日の礼拝メッセージは「ヨシヤ王による信仰更新」シリーズの第1として、2列王記22：1－7から「怠る事」と題して話されました。このシリーズは、今日から私のＧＣＪＣでの牧会18年目が始まる記念となっています。「ヨシヤ王の第十八年に、王は主の宮の破損を修理させた 」22：3、5．ヨシヤ王のことは列王記と歴代誌の2つの書に記されています。2歴代誌34：10，11によるとヨシヤ王は、ユダの王たちが荒らした主の宮を繕い、修理させた。「荒らす」とは、怠ることによって乱れた状態になるという意味です。自分の生活の中で、修理しなければならないものを修理しないでおくなら、後になって、もっと大規模な修理の必要が生じてくるのは、周知の事実です。また、すぐに修理しないと、壊れた状態に慣れてしまい、放っておいてしまうでしょう。信仰生活も同じです。不注意、構わずにいる、無関心、おろそかにする、 軽視、侮る、無気力、無感動、無視している態度は危険なことです。破壊されたものに対する神の心について（イザヤ30:26；アモス9:11；詩篇 11: 3；イザヤ 58: 5－11）。聖書の中の怠ることの例、神のお招きに応答しない（マタ11：16、17）。信仰の歩みに関する重要なことに注意を向けない（マタ23：23）。言葉を聞くが実行しない（ルカ6：46-49）。神の与える祝福を受けない（ルカ13：34、35 ）。救いをなおざりにする（ヘブ2：3）。合同礼拝を守らない（ヘブ10：24、25）。神の賜物を無視する（1テモ4：14）。恵みを与える機会を生かさない（ヤコ1：22-25 ）。ヨシヤ王は、『怠る』問題をどのように取り扱ったのでしょうか。①　信心な影響を受ける（信仰を深める）人間関係に入る（2列王記22：1 ）。これらの影響によって道徳的、霊的な強い性格を作った。（2歴代誌34：2；ヘブ10：24、25）参考。②　変更するために主に求める （2歴代誌34：3 ）。こうして彼は神の心を知るようになった。（ルカ13：34、35）参考。③　決定を実行する（2列王記22：3-5）。④　材料を倉庫から取る（2列王記22：4）。信仰の刷新は正しくないものを 正しくすることから始まる 聖霊が共にいて、廃墟になったものを建て直すように助けてくださる 。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-8723949313358964691?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/8723949313358964691/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=8723949313358964691' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/8723949313358964691'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/8723949313358964691'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/03/201136-1.html' title='2011年3月6 日 「ヨシヤ王による信仰更新」シリーズ第1'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-123400591719783093</id><published>2011-03-08T11:12:00.001+08:00</published><updated>2011-03-09T08:06:04.984+08:00</updated><title type='text'>2011年2月27日 「神に愛された人の経験－第二部」</title><content type='html'>2011年2月27日の礼拝メッセージは、前回の続きで、ダニエル10：10－14から「神に愛された人の経験－その2」と題して話されました。ダニエルは、神の好意を受けている敬虔な人で、罪のない人でしたが、国民の罪のために自由が奪われました。そのような状況の中で神に忠実であり、仕え続ける心をどう守ればよいかという教訓が示されています。第2部　③　神の御心を成就させるためにと、その成就を防ぐために、 両方に霊的な力が働いている（12－21節 ）。ここに、物理的な世界に働く、霊的な世界への窓が開く 。5節、人とは天使のことで、13節、君とは悪霊のことで 、16節 , 人の姿とは前受肉のキリスト(旧聖）を表している。聖書によると3つの天がある 。この3つの天は、水平やたての面ではなく、 ただ地球と人間に関わって, 存在している。第1の天は、物理的な存在だけである。地球、空気、電離層の天のこと。 第3の天は、「場所」があるが霊的な存在。神の御座、天使の生息所 の天。第２の天は、物理的なものと霊的なものである。星、惑星、宇宙の天。詩148：4； ヘブ4：14； 黙8：13； 12: 7- 9 ；ユダ1：6。宇宙船の飛行士は宇宙がどれほど暗黒であるかを語っている 。第3の天と第1の天の間を、天使たちが神の御心を行うために移動している。悪の天使が第2の天で祈りの答えを阻もうと立ちふさがっている。 信仰の戦いにおいて、キリストの十字架と復活による勝利の故に、 あらゆる悪の力に対して、 祈りを持って、勝利を宣言し、さらに勝利を得るようになる。 ④　日常生活の中で私たちを励まし、 力づけてくださる神の臨在がある。（8－11；17－19節 ）。ダニエルに語られた言葉が成就するまで、彼は神を待ち望む必要があった。神を待ち望むことについては、１． 愛されているからこそ啓示を受ける（7節 ）。２． 語られた言葉によって、目的が成就される（9,11,19.節 ）。３． 神の臨在と力によって力づけられる（11,16,18,19 ）。幻の成就とダニエルの経験から学ぶ教訓 は次の通りである。1.　神の御心が真理の書に書かれている（10：21；12:1 ）。２．私たちに味方がある（12：1；10：21　 ）。３。生活の中の経験はわたしをきよめる（12：10）。４。御心にゆだねるなら、意味を理解する（12：10, 11）。５。安心して、歩みながら祝福に入る（12：13）。 あなたも愛されている 人である 。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-123400591719783093?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/123400591719783093/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=123400591719783093' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/123400591719783093'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/123400591719783093'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/03/2011228.html' title='2011年2月27日 「神に愛された人の経験－第二部」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-5875480657792182541</id><published>2011-02-28T08:25:00.000+08:00</published><updated>2011-02-28T08:26:05.857+08:00</updated><title type='text'>2011年2月20日 「神に愛された人の経験ー第一部」</title><content type='html'>2011年2月20日の礼拝メッセージは、ダニエル10：1－21から「神に愛された人の経験ー第一部」と題して話されました。今回の題名は、それを説明するいくつかの項目がありますがその項目をまとめる扇の要のようです。10：11、19、(9：23）を中心に、聖書の記録として、イエス様のほかに神に愛された者はダニエルだけがいます。でも、キリストにあって、全てのクリスチャンが神に愛されています。原語：憧れる、恋い慕う、愛情と言う意味。ダニエルは「バビロニヤ」に捕虜として連れられて行った一人です。神の好意を受けている敬虔な人で、無罪の人でしたが、国民の罪のために自由が奪われました。「バビロニヤ」の国でイスラエルの宗教を固く保ち、守り続ける任務が与えられました。幾つかの幻を通して、神のイスラエルに対する御計画が示されました。そのような状況の中で神に忠実であり、仕え続ける心をどう守ればよいかという教訓を伝えています。①　１．生活事情を理解するために 神の啓示が必要です。　1，7, 8節。9：23から、 ユダヤ人の70年間の捕虜と解放の預言 です。この預言は メシヤなるキリストの来臨、死を含めている 。適用：　9：22　知恵と悟り；　10：1　理解によって啓示の意義がわかる。教訓：１．御言葉を理解することによってのみ、 世に起こる事柄の意義がわかる。２．キリストにあってのみ、自分の人生は意味あるものとなる 。②　1．その啓示にどう反応するかによって,  結果と成就は決まる。　2，3、12節 ；9：23節。適用：　どのような肉体的、精神的、霊的な事情があっても、 １．神に求める。9：23． ２．霊的なことを第一にする．　10：2, 3． ３．明確な目的を立てる．10：12．（次回に続く ）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-5875480657792182541?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/5875480657792182541/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=5875480657792182541' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/5875480657792182541'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/5875480657792182541'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/02/2011220_28.html' title='2011年2月20日 「神に愛された人の経験ー第一部」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-2745900700817192085</id><published>2011-02-23T10:37:00.000+08:00</published><updated>2011-02-23T10:38:01.297+08:00</updated><title type='text'>2011年2月13日「生活に祝福を命じる」</title><content type='html'>2011年2月13日の礼拝メッセージはエゼキエル36：1－15から「生活に祝福を命じる」と題して話されました。信仰生活の聖書的原理は一般の世間の生活原理と違います。従って、その聖書的原理を表現する言葉を作る必要があるかもしれません。神様がイスラエルを祝福する働きに、エゼキエルをパートナーとして呼び出し、山（国民）に向かって祝福を語るように命令された。ここにある山、丘、谷、谷川は、国民の日々の生活、産業、経済を意味する。私たちの生活に神の祝福を命ずる（予言する）必要がある。その命令の要点は1－7節、　追放の原因の問題を取り扱う。8節、追放者の帰国と準備としての経済と産物の回復。9節、神の好意が戻る。10－15節、繁栄が奇跡的に起こる。預言の目的１．神に出会う、11，36節。 ２．御名を聖別する、22－24節。３．心をきよめる、25－33節。 祝福を命じる例。神の例。天地創造、創1；3，6，9，14。神が仰せられた。ヘブル11：3，ロマ4：17，詩107:20。預言者の例。民20：8，12。 イエスの例。マタ17：20。イエス様は32件の奇跡のほとんど全部に、この原理を利用された。マタ9：6，12：13，マコ4：39，5：41，7：34，ルカ7：14，ヨハ11：43。イエスが命令を出された時、人に行動するように勧めておられるだけではなく、実行できる力を与え、その事に神の御心を注いで下さっています。マタ8：8，ルカ1：38，ヨハ4：50。使徒たちの例。使徒3：6，7，9：40，41。生活に祝福を実際に命じる。１．神から御言葉を求め、頂く。エゼ35：1「主の言葉が私にあった」 。２．問題にその言葉を命じる。（上記の例） ３．御言葉成就するように神に求める。エゼ36：37（口語訳 ）。あなたの生活に神の祝福を命じなさい。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-2745900700817192085?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/2745900700817192085/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=2745900700817192085' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2745900700817192085'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2745900700817192085'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/02/2011213.html' title='2011年2月13日「生活に祝福を命じる」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-5036596069118616146</id><published>2011-02-23T10:35:00.000+08:00</published><updated>2011-02-23T10:36:55.378+08:00</updated><title type='text'>2011年2月6日　Daivd＆真子Levey 先生によるメッセージ</title><content type='html'>2011年2月6日の礼拝メッセージは、David Leveyさんが聖書箇所出エジ4：1-4から語り、奥様の真子さんが通訳してくださいました。&lt;br /&gt; １．皆さんは宣教師ですか？&lt;br /&gt;　“宣教師”とは伝道、布教をある特定のところに行って伝えることを遣わされ&lt;br /&gt;   た者です。大宣教命令（マタ28：19、20）、ヨハ20：21、にあるように私達&lt;br /&gt; 　クリスチャンはすべて宣教といえます。モーセはエジプトからの脱出という&lt;br /&gt;　ミッションを神から遣わされた宣教師でした。&lt;br /&gt;２．どんな言い訳をしますか？&lt;br /&gt;　モーセは”彼らは信じないだろう。耳を傾けないだろう。私は話すことが苦手だ。”と大きな言い訳をしました。&lt;br /&gt;　神様はあなたにどこに遣わすと言われていますか。また誰に遣わすといわれていますか。&lt;br /&gt;　あなたは遣わされたところに行かないためにどんな言い訳をしていますか。&lt;br /&gt;３．あなたの杖は何ですか？&lt;br /&gt;　主は”あなたの手にあるそれは何か。”と聞かれました。&lt;br /&gt;  杖はモーセの体の一部でした。&lt;br /&gt;　あなたに神様が下さったものは何ですか。得意なものは何ですか。&lt;br /&gt;　“それを神のために用いなさい。”&lt;br /&gt;  時に神はそのものを投げ出すように言われます。［チャレンジ］&lt;br /&gt;  しかしモーセが杖を投げたときに蛇に変わったように、自分だけのものであっ&lt;br /&gt;  たのに、それを神に明け渡したときに人のために使う奇跡のたまものに変わり&lt;br /&gt;  ます。Davidさんも、大好きなサーフィンを通して多くのサーファーを教会へと&lt;br /&gt;  導き、その後YWAMに加わり、いろいろな国で伝道活動をしました。&lt;br /&gt;  一度は神様に明け渡したサーフボードを再び手にして、今年10年目を迎えるク&lt;br /&gt;  リスチャンサーファーズジャパンを建て上げ、&lt;br /&gt;  現在日本にいる約200万人のサーファーと教会の架け橋になるために働かれて&lt;br /&gt;  います。&lt;br /&gt;  あなたにもあなたにしか働けないところがあります。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-5036596069118616146?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/5036596069118616146/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=5036596069118616146' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' 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type='html'>2011年1月30日の礼拝メッセージはヨハ19：1－7から「イエスの茨に冠」と題して話されました。イエス様の生涯に起こったことで、私たちの信仰生活に意義のないものは一つもありません。兵士たちがばか騒ぎと嫌がらせでしたことは事実であることを確証しました。イエスは確かに王であり、神の子でありました。イエスの頭にかぶった茨の冠は歴史の初めに届き、原罪、拒絶と神からの離間、そしてキリストの十字架による購い、癒し、祝福に関わっています。その意義は茨に冠が次の真理を語っています。①イエスが罪と堕落による呪いを負った。創3：17－19；ガラ　3：16。イエスは暗闇に自分の時を与えて、全ての呪い、罪、病を持って突き刺すようにゆるされました。でも購いのわざを見事に成し遂げました。雅歌2：1、2：ヘブ2：9、10；マタ11：28－30。②大祭司としての務めを果たしました。出39：30；レビ21：10－12；イエスは罪を償ういけにえになったと同時に、それを捧げた大祭司です。ヘブ3：1；4：15；7：25－27；8：1。③最終的勝利を得る主に先んずる。黙6：2；14：14；19：12－16；兵士が茨の冠をかぶらせた時、イエスは泣き声をあげたでしょうか。あげなかったとしても、天から地に響く勝利の叫び声がしました。④キリスト信者の型と比喩になりました。彼らは冗談と嫌がらせでイエスを王として拝みました。逆に、真にイエスを王として拝む者には恵みが流れます。イザ5：13；エゼ28：24；2コリ12：7。では、私たちはどんな種類の冠を受けるでしょうか。イエスの茨の冠は私たちの冠に先んずる救われた魂の冠ピリ4：1；１テモ2：19、義の冠2テモ4：8、命の冠ヤコ1：12、栄光の冠1ペテ5：4、冠を失わないように注意黙3：11。ピラトがイエスを連れ出して、「見よ、この男です」と、イエスを調べるように引渡しました。荒れ地には「茨鳥」が住んでいます。卵からかえった日から完全な茨を探します。見つけると茨に自分を突き刺して、死にかかりながら美しい歌を歌います。十字架から歌が聞こえます。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」ルカ23：34。これは茨の冠の意味です。見よ、この男が神の子です。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-4743778340074024930?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/4743778340074024930/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=4743778340074024930' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/4743778340074024930'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/4743778340074024930'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/02/2011130.html' title='2011年1月30日「イエスの茨に冠」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-7333638427276429531</id><published>2011-02-23T10:32:00.002+08:00</published><updated>2011-02-23T10:34:00.915+08:00</updated><title type='text'>2011年1月23日「救いに基礎」シリーズ「洗礼」</title><content type='html'>2011年1月23日の礼拝メッセージは救いの基礎シリースとしてロマ6：1－7から「洗礼」と題して話されました。洗礼は 信者の人生の中で最も力強い経験の一つです。洗礼は 神の重大な祝福を受けるようにします 。洗礼を通して 過去を見ているだけではなく、将来に目を向けるようになります 。主張する経験が真理の上に基づいていないなら その経験は無効です。そして、その経験による目的に到達できないようになります。 「洗う」とは洗礼の聖書的意味を限っています。 ある訳ではギリシャ語の「バプテスマ」をそのままで使っています。「バプテスマ」とは、浸す、しみ込む、浴びる、染めると言う意味です。 沈没した船は、水の中に、水が船の中にあるように、バプテスマを授けられた信者がその祝福と一つになります。バプテスマはキリスト教に唯一ではありません。残念ながらある教会では非キリスト教的行為を取り入れて、バプテスマを教会の会員式にしています。聖書ではそうする理由がありません。ここで、バプテスマについて4つのことを考えましょう。①　福音宣教とバプテスマ。（マタ28：18－20；マコ16：15、16）。ここにある救いとは、救いの完備、過去(救われた）、現在（救われつつある）、未来（救われます）を意味しています。何々から救われて、何々へと救われています。②イエスが受けられたバプテスマ。（マタ3：13ー17）。義に関するバプテスマです。イエスを義にしたのではなく、それを発表しました。バプテスマを通して悔い改めと信仰によって今、わたしは義になったことを発表する。③　バプテスマの例。１．エチオピヤ人の宦官（使8：35－38）。バプテスマを受ける条件はその先の信仰です(異訳）。２．コルネリヤ家（使10：44－48）。救いに伴う聖霊によるバプテスマを受けたとしても、水によるバプテスマを受けなければなりません。④　信者の生活におけるバプテスマの意義（ロマ6章）。5章では、悔い改めてと神の恵みの賜物なるキリストを信じることによって罪と義の問題は解決されています。そこで、信者がバプテスマを受ける。6章では、そのバプテスマの意義と意味を語っています。キリストの死に葬られて過去の自分が「終」になりました。キリストの死と復活に埋められて(原語）新生に生かされる。そして、自分を神ご自身と権威にささげ、聖潔に進む。バプテスマを受けないでは、神の自分に対する御心を拒む(別約で目的を妨げるルカ7：30）。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-7333638427276429531?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/7333638427276429531/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=7333638427276429531' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/7333638427276429531'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/7333638427276429531'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/02/2011123.html' title='2011年1月23日「救いに基礎」シリーズ「洗礼」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-7120154749612832372</id><published>2011-02-23T10:32:00.001+08:00</published><updated>2011-02-23T10:32:51.904+08:00</updated><title type='text'>2011年1月16日「救いに基礎」シリーズ「信じること」</title><content type='html'>2011年1月16日の礼拝メッセージは「救いに基礎」シリースとして、ヨハネ3：16－18から「信じること」と題して話されました。もし、悔い改めは救いの根だと考えれば、幹が信仰です。信じるとはどういう意味でしょうか。聖書では真理を知る、信頼する、ゆだねる、呼び求める、 受けることです（ロマ10：9－17）。イエスについて知っている上で イエスを信じる 。知性的知識だけではない （ヤコ2:19）。このような知識は神の啓示によってくる。啓示によるキリストについての知識 は、キリストの名称に関わっている。主－神性、だれか；イエス－人性、人間の型；キリスト－使命、神のしもべ ；神の子－いけにえ、十字架 ；復活－永遠生の保証 のことです。これらのことはイエスの地上での使命、人間の購いを語っています 。それは、人間の生活の中で働く神の御国 ；身代わりとして血の注ぎによる死 ；勝利、永遠の命への門 。イエスについてこのような事実を知っている上で イエスを信じる。その結果は、罪の赦し、暗黒から出される、救いを得る、神の子供となる、 無死 、死から命へ 、義となる 、渇きは満足する 、満足ある人生。 信じることに歴史の問題があります。歴史と言うには、その時、そこにいなかったので信じがたいでしょう。（ヨハ20：24－31）。信じることと新郎新婦がかわす誓いが並行しています。一体と結合（2コリ11：12）。従順と服従 （エペ5：24）。共生と生活 （ルツ1：14－18）。信じますか。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-7120154749612832372?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/7120154749612832372/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=7120154749612832372' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/7120154749612832372'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/7120154749612832372'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/02/2011116.html' title='2011年1月16日「救いに基礎」シリーズ「信じること」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-3056537009403485010</id><published>2011-02-23T10:31:00.000+08:00</published><updated>2011-02-23T10:32:04.495+08:00</updated><title type='text'>2011年1月9日「信仰の基礎」シリーズ「悔い改め」</title><content type='html'>2011年1月9日の礼拝メッセージは「信仰の基礎」シリーズとして使徒3：12－19から「悔い改め」と題して話されました。キリスト信仰の入門と洗礼のかかわりが昔から議論を呼ぶような問題です。真理が正しくないなら経験が正しいものにならない。種まく人のたとえ話の中に根の深くない信者は後からあきらめてしまう心配がある（マタ13：20、21）。その根となる悔い改めを考えましょう。①　福音宣教の一部分。マタ3：2；9：13；マコ1：15；6：12；使17：30、31；2テモ2：25、26；2ペテ3：9。②　神の賜物。使11：18；ロマ2：4；2テモ2：25。③　悔い改めは何ですか。精神的感情ではなく、意志による行為、 向きを変える決心、罪を立ち去る決意です。 信仰の初歩で、神に対する最初的反応 。ヘブ6：1、2。④　悔い改めに至る段階　１．罪を自覚する「コンビックション」聖霊の働きです。ヨハ16：8、9；2コリ7：9、10。 ２．罪を認める「アドミッション」 。ルカ15：17；ヨブ42：6。３．罪を告白する「コンフェッション」 。ロマ3：23；1ヨハ1：7－10。４．罪の許しを受ける「リーミッション」。使3：19；1ヨハ1：7－10。５．回心「コンバージョン」。神の働きです。使3：19；マタ18：3；マコ4：12；ヤコ5：19；使15：3。（上記の節に、神に立ち返る、悔い改めて許される、連れ戻す、引き戻す、改教のことばは別訳で回心とあって、受け身の形です）。悔い改めに導くものには、憎むべき罪 ；神の聖性、愛、慈愛 ；裁き(地獄）に対する恐怖；キリストの十字架；永遠性の約束 。悔い改めの結果は永遠の回復です（使3：20）。悔い改めをしないなら危険です（ヘブ12：17）。罪をぬぐい去っていただくために、今 、悔い改めなさい。&lt;br /&gt;悔い改めの祈り&lt;br /&gt;天のお父様、私は罪人です。 私はあなたと、人と自分に対して罪を犯しました。 その罪を認めます。 今、御前でその罪を告白いたします。 自分の罪を悔い改めます。 そして、あなたに立ち返ります。 わたしの罪を許してください。 あなたの許しをいただきます。 イエス様の名前によって感謝いたします。        アーメン&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-3056537009403485010?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/3056537009403485010/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=3056537009403485010' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/3056537009403485010'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/3056537009403485010'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/02/201119.html' title='2011年1月9日「信仰の基礎」シリーズ「悔い改め」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-2554918970387152623</id><published>2011-02-23T10:30:00.000+08:00</published><updated>2011-02-23T10:31:12.427+08:00</updated><title type='text'>2011年1月2日　「一年の人生を立てる信仰告白」</title><content type='html'>2011年1月2日の礼拝メッセージは使徒24：1－16から「一年の人生を立てる信仰告白」と題して話されました。背景は、使徒パウロが信仰のゆえに裁判にかかり、起訴の間、自己弁護をしているときに自分の信仰の根本を発言しています。これは全ての信者の人生の信仰の根本です。①.　はっきりとした信仰の規則を持つ （14）。ただ、何を信じているかを知っているだけではなく、それを口に出す［承認］ことができる。これが契約上によって神にあずかることです。②　はっきりとした生活の枠を作る（14）。［異端］は原語では選択 と言う意味、信仰が生活とその信仰の枠の内にないものとの関わりを示す。十字架は、おろか、呪い、そして、イエス様も悪霊どものかしらと呼ばれました。［道］嘲笑する呼び名でした。信仰があざけりを引きつけていないならその信仰は真の信仰ではないといえます。③　神に対する献身を見せる（14）。［仕える］ とは生活のあらゆる面が神のもので、忠誠、専念、そして、具体的に礼拝することを意味する。［先祖の父］とは歴史、伝統、風習、そして、過去に経験した神の祝福の上に立って証する礼拝を意味する。④　信用できる参照の法典を持つ（14）。［律法と預言者］とは信仰生活が立てられる霊的原理です。聖書が何を信じるべきかだけではなく、なぜ信じるべきかを教えます。律法と預言者の参考聖書、ヨハ1：45；ルカ16：29－31；ルカ24：44；ロマ3：21；使徒28：23．⑤　神に対する期待を持つ（15） 。［希望］とは将来、結果、神の計画のことで、［復活］とははっきりとした目的、報い、永世を語っています。現在の事柄を永遠の立場から見て、神の御手にゆだねて期待を持つことです。⑥　霊的と社会的に行いの高い標準を持つ（16）。良心が魂の中で神の光だと言われている。赤、黄、緑色の信号のようです。攻めるの反対は好意です（ルカ2：52）。あなたは、あなたに対してこのような起訴があれば何と発言しますか。いや、いや、そんな私じゃないと否定するか、私は有罪です。と認め、「異端と呼ばれているこの道に従って神に仕えている」と承認しますか。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-2554918970387152623?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/2554918970387152623/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=2554918970387152623' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2554918970387152623'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2554918970387152623'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/02/201112.html' title='2011年1月2日　「一年の人生を立てる信仰告白」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' 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ことです。教会活動がこの大計画の一部です。主の山にいるヤコブのような者として 感謝、献身、熱心をもって、年末を迎えましょう。あなたはあなたの領地を所有しましたか。　&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-8330992183797240617?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/8330992183797240617/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=8330992183797240617' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/8330992183797240617'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/8330992183797240617'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/02/20101226.html' title='2010年12月26日「主の山にいる者」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-2301914212488797503</id><published>2011-02-23T10:29:00.001+08:00</published><updated>2011-02-23T10:29:44.355+08:00</updated><title type='text'>2010年12月19日　「クリスマスと御使いたちが語った言葉」</title><content type='html'>2010年12月19日のクリスマス礼拝でヘブル2：1－4から「クリスマスと御使いたちが語った言葉」と題して話されました。クリスマスの物語の中で天使たちが活動しています。ザカリヤ、マリヤ、ヨセフ、羊飼いたちに語り、その言葉がキリスト教の中心的な真理となりました。そして、その言葉を受けた人の反応はわたくしたちの信仰生活のために教訓を教えています。「御使いたちを通して語られたみことば 堅く立てられて動くことがなく」（ヘブル2：3）。①ルカ1:5-20「御使いがザカリヤに 語った言葉」は、子供はないという個人的なの絶望がイスラエル人の国家的な絶望の例えです。生れてくるヨハネがメシヤなるキリストの出現のために神に対する悔い改めと希望を通して国民を整える。彼らの個人的絶望に関しては、祈りは聞き入れられたが答えが定まった時期が来れば実現するという教訓を教えています。②ルカ 1:26-38「御使いがマリヤに語った言葉 」は、イエスのお務めを示します。イエスとは、その人間性を示します。身代わりとして罪を負う。いと高き方の子とは、その神聖を示します。神の子として完全ないけにえを通して人間を購う。永続する国を治めるとは、神の国、教会を通して地上に力と権威を行う。個人的に、マリヤが不可能なことを可能にする教訓を教えています。身を神にゆだねて、聖霊とパートナーになることです。③マタイ 1:18-24「御使いがヨセフに語った言葉 」は、マリヤに語られた言葉を確実にし、メシヤに対する預言を成就する。個人的に、ヨセフが、宗教心、理性的な考えによって神の恵みを受けないという教訓を教えています。へりくだって、従順と信仰の実際的な行動によってのみ神の恵みを受けるのです。④ルカ 2:8-20「 御使いが 羊飼いたちに語った言葉 」は、キリスト正式的な名称、イエス（救い主）、キリスト（油注がれた支配者）、主（絶対者なる神）。羊飼いたちはキリストを個人的に見出す必要を示す。啓示されたことを現実にするように、急いで、行って、探す、見出する行動です。マリヤ（神の行為）、ヨセフ（成就）、幼子（救い主、王、神）を探し当てた。ヘブル 2:3,4「御使いたちより優れた言葉」は、キリストご自身の福音による救いの言葉です。それは御使いたちが語った言葉の真理に生き、神が与える聖霊の賜物をもちいなければ理解することができないことばです。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-2301914212488797503?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/2301914212488797503/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=2301914212488797503' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2301914212488797503'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2301914212488797503'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/02/20101219.html' title='2010年12月19日　「クリスマスと御使いたちが語った言葉」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-6765858003001100411</id><published>2011-02-23T10:28:00.000+08:00</published><updated>2011-02-23T10:29:05.080+08:00</updated><title type='text'>2010年12月12日　「戦いのために武装したクリスチャン」</title><content type='html'>2010年12月12日の礼拝メッセージはエペソの手紙シリーズとして、6章10－20から「戦いのために武装したクリスチャン」と題して話されました。エペソ書の中に記された真理、そして信者の信仰生活に重要な立場を示す言葉が三つあります。座る、歩む、立つ。座るは、天におられるイエス様とのかかわり、歩むは、地上での生活の中での行い、立つは、反対する霊的な力に対する戦いをそれぞれ示しています。このメッセージのポイントは、①戦いの特質。②戦いの武具。③戦いの争点。では、①戦いは明らかに霊的な敵に対するものです（10－13）。神、悪魔、血肉ではない、暗やみの世界、悪霊、邪悪ということば。敵が誰であるか知らなければ作戦が立てられません 。②武装と武具については、まず第一に、自分と主ご自身、そして、主の大能の力（聖霊）の関係から身につけられます。そして、その力を取りつけると6つの具体的な形となります（14－17）。目的は、防御することです（11，13）。普通、武具と考えるものに祈り、願い、目覚め、忍耐を付け加えてます。これらのものは武具に有効性を与えます。③戦いの争点は、救いの経験（18）と証（19）を保護することです。最も重要なことは立つことです。神のすべての武具を身につけて（成し遂げて）からのみ、立つことができるようになります。全ての武具をつけることによって、立つ勇気、神に対する信仰と確信を持つのです。あなたは立っていますか。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-6765858003001100411?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/6765858003001100411/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=6765858003001100411' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6765858003001100411'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6765858003001100411'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/02/20101212.html' title='2010年12月12日　「戦いのために武装したクリスチャン」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-2704777620996318042</id><published>2011-02-23T10:27:00.002+08:00</published><updated>2011-02-23T10:28:28.889+08:00</updated><title type='text'>2010年12月5日　「神にならう者」</title><content type='html'>2010年12月5日の礼拝メッセージはエペソ書のシリーズで4章から「神にならう者」と題して話されました。漢字の成り立ちを考えますと「倣うとは放（ほう）とイ（人）を合わせた字で、似たものを左右にならべくらべる。あるものを模範、手本にしてその通りにする」。ようするに、左右の者は区別し見分けることはできないということです。神に倣うようにと命令されるとは理解できないでしょう。購われた人はこれほど神と一致と調和できるのは神の恵みによる召しです（前回）。医学職務の基本的教育方法には、観察、実習、教える の三つの段階があるように聖書が信仰生活の成長にこの原理を前から教えています。新約教会「元代」における「倣う者」の教えの例を見ましょう。①救いを得る根本的な信仰について（ローマ4：16 ）。それは合理的な考えと反対に、神に信頼することです。②救いを示す信仰の歩みについて（1テサ1：6，7 ）。それは言葉と喜びによる生活のことです。③教会の伝統的習慣について（1テサ2：13,14；2テサ3：7ー9） 。それは神の言葉を事実として信じて、まじめな労働から受ける報いで生活することです。 ④神の永遠の計画に対する希望について（ヘブル6：11，12；13：7） 。それは、主の御名による奉仕が報いられることです。⑤祈りに対する神の応答について（1ペテ3：12－14 ）。それは、神が善を行うものに計画を成就する ことです。⑥十字架にあずかることについて（ピリ3：17－20；1コリ11：1）。これはキリストの来臨による肉体変身のことです。これらの例の上に最高の例はイエス様です（4：32－5：2）。ここに、ささげ物とは、自分に関して、自分から進んで自分をささげられたという意味。供え物とは、人間に関して、身代わりとしてささげられたという意味。香ばしい（かんばしい）かおりとは、神に関して、神によろこばれてささげられたという意味。この三つは信者がなすべき神に対するまったき献身を意味しています。これをするのは愛された子供の立場からします。神に倣う者と主の食卓の意義は、キリストのささげ物を認め、子供とする神の許しを認め、倣う者になる献身する場です。神に倣う者になりなさい。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-2704777620996318042?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/2704777620996318042/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=2704777620996318042' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2704777620996318042'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2704777620996318042'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/02/2010125.html' title='2010年12月5日　「神にならう者」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-3239892611060663408</id><published>2011-02-23T10:27:00.001+08:00</published><updated>2011-02-23T10:27:50.808+08:00</updated><title type='text'>2010年11月28日　「神のお召しというものの自覚を持つ人 」</title><content type='html'>2010年11月28日のバイリンガル礼拝メッセージは、エペソ書のシーリーズに戻り、4章から「神のお召しというものの自覚を持つ人 」と題して話されました。コ－リング「召し4：1」とは奉仕の働きに（12）そして、力量（効果的）な働きに（16）つながれて至っています。4書の中で「歩み」とは生活の実行することならば、「召し」とはその歩みの動機です。 召しを成就するために4つのものが必要です。①招待と応答。召しの聖書的定義は、キリストにある救いと購いによる利益と祝福を受けるために 神の招き（招待）のことです。本来と本質と運命は神聖で、天国のものです。福音による神の恵みの富が含まれます。 この召しの本質と目的は神と人間に聖霊による一致。「一つ」と言う言葉に注目（2，5，6）。生活のすべての部分が神に浸されていることです。②召しを指導する者。聖書では、弟子たることといい、訓練すると言うことです。 「召し」とは特殊な職業にも及びます。政界的と地方的教会に与えられたキリストの昇天の賜物。集合的にキリストの全体のお務めを現わす。これらの務めが今日の教会の中に存続します。生徒の信者の成長と全うが目的です。量り（7）、身たけ（13）、力量（16）の言葉に注目。③召しを成就するための道具。指導者は奉仕のために聖徒たちを整えます。 （12）。整える とは、 信仰、知識（経験による）成熱、安定、かしらなるキリストの権威に充実することです。 ④召しの実行 。生徒の務めは、教会全体の利益のためにみんなの者が神に与えられた霊的と実践的な召しを果たすことです。生活の中で、人との交流によって実行されます 。この実行の力は、神の命（18）、知識によって力付けられています（17－21）、新しい道徳的な生活を通して示されます（22－25，31）。4：25－6：9に召しを実行する50科目 があります。召しの自覚を持つ人は、 天職の運命を成就します。そうしないではキリストによる購いの値打ちを軽視することになります。神の召しは完全な信仰と奉仕への旅に出るように招いているのです 。次回に続く。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-3239892611060663408?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/3239892611060663408/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=3239892611060663408' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/3239892611060663408'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/3239892611060663408'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/02/20101128.html' title='2010年11月28日　「神のお召しというものの自覚を持つ人 」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' 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/&gt;先週の礼拝集会に東京バイブルチャーチの就任牧師、福田　誠先生を始め、ガッズキングダム．クリスチャンスクールの先生方6名、生徒たち19名のチームをお迎えいたしました。このグループは海外短期留学活動の一つとしてオーストラリアに2週間滞在して、三つの町を訪れて、聖書神学校や教会に賛美、あかし、舞踊、そして、メッセージをしました。福田牧師がわたくしたちのゴールドコースト日本人教会の開拓牧師であられ、1989年に19歳の青年で、神に献身してゴールドコーストの町の中で、マクドナルド店、ケンタッキー店、公園、英語語学学校、そして、エマヌエルクリスチャンカレッジで、チャプリとして、多くの日本人の青年に個人伝道をして、福音を述べ伝えられました。礼拝の中で、賛美を導き、浴衣姿の女学生達がＣＤに合わせて神への感謝の踊りをしました。男子学生達の応援団が「日本教会、頑張れ！　ゴールドコースト日本人教会、頑張れ！」と叫びながら、力強く応援してくれました。先生が「神を認めよ」と題して、生活の様々の状況の中で、神が働いてくださっていることを認めるようにだけでななく、どんな状況においても力強くお働きできることを信じ、信頼（認める）ようにと励んでくださいました。そして、最後に、青年達がＧＣＪＣの信者さんの中に入って、按手して、非常に感動的な祈りの時をもちました。集会はまだまだ続けてほしいぐらいの約2時間（？？？）の礼拝でした。愛餐会の最後に皆が輪を作って手を組みながら祈り、両方の教会が姉妹教会関係を強化してお別れいたしました。後で考えましたが、神様がこのような祝福を受ける機会を与えて下さる時は、見逃してはいけないと思いました。ＧＣＪＣの出席した人達が神の素晴らしい臨在の中で励まされ、強められ、これからも、教会生活の中、日々生活の中で「頑張れ！」全力を尽くしながら、神に仕えよとの聖霊のあつい取り扱いを受けました。神に感謝します。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-5114677196956500825?l=gcjc-message.blogspot.com' 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src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-7007693468216315256</id><published>2011-02-23T10:21:00.000+08:00</published><updated>2011-02-23T10:24:03.298+08:00</updated><title type='text'>2010年11月14日「空気を読めない男」—　神の御手の内で　</title><content type='html'>2010年11月14日の礼拝に、特別ゲストとして日本から黒田禎一郎先生をお迎えし、ヨハネ6:1〜9より「空気を読めない男」—　神の御手の内で　ーと題してお話しされました。場の空気を読むことの難しさは、アンデレもそのような一人でした。アンデレに焦点を当て「２匹の魚と５つのパン」「男だけで5千人」から　１．空気を読む大切さ　２．信仰による応答の大切さを学びました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;アンデレはどんな人物？　—ベツサイダ出身の漁師、ペテロとピリポも同じ出身。&lt;br /&gt;              ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちの一人。&lt;br /&gt;アンデレに臨んだイエスの計画　—&lt;br /&gt;  １）家族伝道の模範を示した。アンデレは、自分の兄弟シモン（ペテロ）を&lt;br /&gt;      イエスのもとに連れて来た。ヨハネ1:42&lt;br /&gt;２）異邦人伝道にも理解を示す ヨハネ12:20〜　&lt;br /&gt;アンデレにとって「空気を読む」とは？　—　ヨハネ6:5、マルコ6:37&lt;br /&gt;　　現実直視「少年がもつ5つのパンと２匹の魚」「しかし、こんなに大勢の人々&lt;br /&gt;　　では、それが何になりましょう。」&lt;br /&gt;どうすれば「空気を読める人」に？&lt;br /&gt;１）主イエスを知ること —　マルコ6:37「あなたがたで、あの人たちに何か&lt;br /&gt;　　食べる物を上げなさい。」&lt;br /&gt;２）信仰による応答　—　主を信頼する。心を静め、素直な応答をする。　&lt;br /&gt;  　マタイ19:26『イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできない&lt;br /&gt;　ことです。しかし、神にはどんなことでもできます」』&lt;br /&gt;　ヘブル11:1、２『信仰は望んでいる事がらから保証し、目に見えないものを&lt;br /&gt;　　　確信させるものです。昔の人々はこの信仰によって称賛されました。』&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;［まとめ］　　　&lt;br /&gt;　　　　　　　　　１．空気を読む大切さ　&lt;br /&gt;　　　　　　　　　２．信仰による応答の大切さ　—&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　主が導かれる場で、主への全き信頼を持つ&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-7007693468216315256?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/7007693468216315256/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=7007693468216315256' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/7007693468216315256'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/7007693468216315256'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2011/02/20101114.html' title='2010年11月14日「空気を読めない男」—　神の御手の内で　'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-993526462137459844</id><published>2010-11-13T13:43:00.001+08:00</published><updated>2010-11-13T13:45:01.379+08:00</updated><title type='text'>2010年11月7日 「神の奥義」 エペソ書シリーズ3</title><content type='html'>2010年11月7日の礼拝メッセージはエペソの手紙の「教理と実行」シリーズとして3章から「神の奥義」と題して話されました。今日と同じく、紀元後の時代にも奥義信仰は盛んであって、秘法、神秘、超自然というような言葉がはやっていましたが、聖書の中で使った「奥義」の意味は違います。聖書の奥義は神が持っておられた隠されているものと言う意味です。聖書ではこの神の奥義は教会です。エペソ3章の中に教会は5つのかたちで示されています。キリストの体、聖徒の国民、神の家族、世世に永続する共同体、個人の信者の内にいる内住のキリストです。神の奥義について大きいポイントは、①奥義の宣言（1－9）、②奥義の目的（6，10，11）、③奥義の実行（12－21）。①については、教会は目で見える存在ですが、購われていない人に理解できないので、啓示によって現わされている。人々を福音による交わりを通してキリストの富に一体とせられる。②については、キリストの体なる教会に関して、福音の祝福に至らせる。天の権力に関して神の知恵を示す。世世に永続する教会に関して、栄光ある神を世に現わす目的。③については、教理は生活に影響しないなら無意味です。神の奥義に与る意義は：１）信仰は事情によって影響されない。２）内なる人は力づけられる。３）内住のキリストを知る。４）神の愛を経験する。５）神の力をいただく。アーメンとは、同意する、その事実に献身する。ＹＥＳと言う意味です。続く。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-993526462137459844?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/993526462137459844/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=993526462137459844' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/993526462137459844'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/993526462137459844'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/11/2010117-3.html' title='2010年11月7日 「神の奥義」 エペソ書シリーズ3'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-5874016320375246619</id><published>2010-11-13T13:40:00.000+08:00</published><updated>2010-11-13T13:41:14.462+08:00</updated><title type='text'>2010年10月31日 「能力を与える心象」 エペソ書シリーズ2</title><content type='html'>2010年10月31日の礼拝メッセージはエペソ書シリーズの第2として「能力を与える心象」と題して話されました。聖書の中では心象の原理はよく見られます。（創世11：6；2コリ10：5は例です）。 御言葉と信仰をミックスしたら非常な力となります。人間は言葉を言い出す時に、頭の中でイメージを見ています(心象）。神の祝福は言葉、イメージ、聞くこと、信仰、実行の順に実現されるのです（ロマ10：17）。クリスチャン生活は神があなたをキリストにあって既になるべき者となることです。そのキリストにある自分のイメージを持つべきです。3章に三つの力強いイメージがあります。①私の人生のイメージ1－10。私の過去、私に対するキリストを通しての神の働き、そして将来の目的というイメージのことです。②砕かれた壁のイメージ11－18。一つはユダヤ人と異邦人の間にある壁は祝福を得るに隔ての壁で、キリストによって砕かれています。もう一つは人間と神の間の壁で、十字架と内住の御霊によって砕かれて、神に近づくようになる。③家なる宮のイメージ19－22．これは神とのかかわりを示しています。何ものか、そしてどのようにしてそうなるのかは、御霊による新生、旧新約聖書の使徒と預言者による神の生きた言葉、全てに形を与える礎石なるキリスト、組み立てられた骨組みの信者による共同体のです。神が自分を見ておられるように自分を心象しなさい。 そして、その人になりなさい。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-5874016320375246619?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/5874016320375246619/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=5874016320375246619' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/5874016320375246619'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/5874016320375246619'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/11/20101031-2.html' title='2010年10月31日 「能力を与える心象」 エペソ書シリーズ2'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-79845359282057183</id><published>2010-10-29T20:43:00.002+08:00</published><updated>2010-11-13T13:45:37.452+08:00</updated><title type='text'>2010年10月24日 「神の栄光を現わす者」　エペソ書シリーズ1</title><content type='html'>2010年10月24日の礼拝メッセージはエペソ1：1－12から「神の栄光を現わす者」と題して話されました。6，12，14節に、神の栄光を誉められるのは口に出して賛美することだけではなく、 生活を通して現わすものです。 美術館に展示されている作品は見る人の感賞を引き寄せ、職人を称賛させるように、信者の生活が神の栄光を現わすことです。神の栄光とは、神の本質、 個人と人類に対す神の計画です。エペソの手紙の目的は信者が神の真の子供になるための訓練を受けること、 キリスト信者は何者かという神の宣言を知ること、そして、 神が人類のために成し遂げられたことを知ることです 。実習より教理を強調しています。信者が信仰生活の実際において生きる先に、まず、キリストにあって、自分は誰であるか教理的に知る必要があります。1章に神の御心、計画、知るという言葉に注意してください。神の栄光を現わす者となるために次のことを知る必要があります。①　神の供給を知る1－3．霊的、天の品質、キリストに包まれ、信じる時に自分に納める、でも、その財源を用いなければなりません。②　神の目的を知る4－10．攻められるところの無い生活4節、とキリストにすべてのものを集めること9，10節。その目的を成就する方法は、選択、予知、養子、受諾、購いを通してです。③　神の所有（遺産）を知る11，14，18．　3つの方法、望みと信仰、聖霊の証印（聖霊によるバプテスマ）、啓示。すなわち後になる者、今ある者、今属しているもの。④　神の力を知る19－22．キリストに示された。キリストの命、位置、支配、権威のことです。⑤　神の民衆を知る22，23．　世界的と地方的教会、キリストのからだに神の充満がある（ヨハ1：16）。教理は実習を生じる、実習は生活を生じる。 キリストにある自分の身分に、実際になることです。これは神の栄光を現わす者です。 （次回エペソ2章）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-79845359282057183?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/79845359282057183/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=79845359282057183' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/79845359282057183'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/79845359282057183'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/10/20101024.html' title='2010年10月24日 「神の栄光を現わす者」　エペソ書シリーズ1'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-2638295898623575924</id><published>2010-10-29T20:42:00.002+08:00</published><updated>2010-10-29T20:43:27.272+08:00</updated><title type='text'>2010年10月17日 「あなたの家、神の家」</title><content type='html'>2010年10月17日の礼拝メッセージはマタイ26：6－13から「あなたの家、神の家」と題して話されました。「イエスは家におられると」を中心にして、一人の女がイエスに愛情と礼拝を注ぐ自由を感じました。福音書の中で イエスが人々と交際した出来事は 22件あります。新約聖書のなかで 使徒たちが人々と交際した出来事は 13件あります。このメッセージでは自分の家を祝福を受ける場にする方法を教えています。自分の家の中の雰囲気、装飾、様子が キリストの信仰を示しているか。参考：イエスは家におられることが知れ渡った（マコ2：1 ）。イエスは、家にはいられたとき、隠れていることはできなかった（マコ7：24）。キリストの信仰の特徴は 物理的なものを通して 示すことができるかYES（使徒7：48，49；ロマ1：20）。家は何のためか 。世間を離れて憩いの場、物理世界のもう一つの次元ではない天国、霊的な世界のもう一つの次元そこに、自分はだれか再確認する場、 肉体的、精神的、霊的に自分を 新たにする場です。自分の家の中の様子、飾り、雰囲気、精神意識は この目的のために なるべきです 。次のステップを考えてください。 ①. 許される限りに責任を持つ 。自家、貸家、貸アパート、貸室 はあなたを支配するのではなく あなたが家を支配する。不信仰のパートナーを考えますが、それに支配されないよう。②キリストの信仰の特質を知る。愛、喜び、平和、希望、命、 恵み、美、暖かさ、秩序、力、精神的な健康 。家の中はこれらのことを示すべきです。③神のお住まいのパターンをまねする 。参考：詩84：1；27：4，5；48：1－3；65：4；84：4．玄関の様子は家の持ち主はどのような者かの看板です。エゼキエル書44：5に「入る者を心に留めよ」、の「者」とは別約に「入れ口」とある。暖簾の意味は暖かく歓迎されるように（出35：15）。そして、ふさわしくないものを除く（2列王23：11 ）。敷居については、エゼキ10：4神の栄光(神の臨在に入る。エゼキ47：1命の川、祝福を持って出行く。 ④感覚に反応を起こさせる ものを置く 。視覚、聴覚、臭覚、触覚、味覚。あなたは家に置く物が人の感情に触れ合う。人の精神的な必要を満たすものを備える（マラキ　3：10；ルカ　12：42 ）。⑤目的に場所を割り当てる 。2列4：10神と交わりをする場。マタイ6：6聖なる目的に場所を区別する。目的を励ます雰囲気を作る。あなたの家、神の家の特徴 は次のものです。箴言3：33祝福、9：33知恵、12：7安定、15：6宝　 、23：3，4尊い富み 。主が家を建てるのでなければ 建てる者の働きはむなしい（詩篇127：1）。「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく だれでも、わたしの声を聞いて 戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって 彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする 」黙3：20。　　　&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-2638295898623575924?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/2638295898623575924/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=2638295898623575924' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' 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type='html'>2010年10月10日の礼拝メッセージはマタイ11：1－15から「神の国の観点から生活事情を見ること」と題して話されました。多くのクリスチャンは神様が自分の生活事情に知らん顔をしていらっしゃるように見えることや祈りが自分の思うとおりに答えられないことを悩んでいます。神様は奇跡を行って、事情を変えることのできる方でありますが、もっとも大きい祝福は自分の生活事情を神の国の視点、神のもっと大きい計画の見かたによって与えられるのです。イエスはヨハネの疑いに答えをしなかったように見えますが、実は、ヨハネに自分の生活事情を神の国の観点から見させようとされました。私たちが学ぶ教訓は、①　自分の誕生は偶然ではないこと（ルカ1：1－80；マラキ書3：1）。私たちの誕生はヨハネの誕生と同様に奇跡ではないことないのです（エレ1：5；詩22：9,10；　71：6，7；　139：13,14組立てると編み物と言う意味）。②　自分に対して神の評価を受けること（マタ1：11）。ヨハネは与えられた使命を立派に成功させました（ルカ1：15、76－80；3：1－18）。ところがあっという間に砂漠から獄に進行して、自分とイエスに対して疑いを持つようになってしまいました。時々、自分の存在の意義と神の国の目的を正しく見るように、悲惨な状態の中に落ち込まないといけない必要があります。そのような時に、自分は失格者ではないと信じなければなりません。③人に拒絶された者は神に受け入れられること（マタ11：4，5）。盲人、足なえ、ライ病人、つんぼの人は当時の時代の社会の中でさげすまれた人でした。神の国の中ではこの人たちが受け入れられるのです。欠点が多く、用の無い、世に見捨てられたこのような人々はイエスの時代（家族）のものです（イザ53：3）。④死んだ者は命を持っていること（マタ11：5）。イエスの復活は信者の復活の保証です（ヨハ11：25，26）。「ある日、新聞の中に私の死亡報告を読むでしょう。しかし、それを信じないでください。その時、私は今よりもっと生きるようになっているのです」D.L.MOODY。⑤　この世の貧しい者は神の国の中で富む者になっています(マタ11：5）。その富は福音による富です。罪の許し、信仰、愛、平安、喜び、希望のことです（2コリ8：9；ヤコ5：8）。自分の生活事情を神の国の観点から見るためにイエスご自身を「飛び石」にするかどか決心する。そうしないとイエスが「躓き石」となるのです（マタ11：6；ローマ9：33；1コリ1：23；1ペテ2：8；1ヨハ2：10）。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-1688962826848280591?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/1688962826848280591/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=1688962826848280591' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/1688962826848280591'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/1688962826848280591'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/10/20101010.html' title='2010年10月10日 「神の国の観点から生活事情を見ること」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-6255061090704228637</id><published>2010-10-29T20:41:00.001+08:00</published><updated>2010-10-29T20:41:42.021+08:00</updated><title type='text'>2010年10月3日 「子どもたちのパン」</title><content type='html'>2010年10月3日の礼拝メッセージはマタイ15：21－28から「子どもたちのパン」と題して話されました。クリスチャン生活は霊的と実際的なレベルで行っています（2ペテロ1：2，3）。主の食卓にきて敬虔のため、そして命のために信仰を通して恵みと力の豊富を頂きます。主の食卓のパンは子どもたちのパンです。ツロの女が恵みと力を受ける教訓を教えています。①　機会を捕まえる。女は隠れられないイエスが近くにいると聞いて、機会を生かして、「出てきた」。②贈り物にではなく与える人に目を注ぐ。女はイエスの預言的使命を認めて、イエスの御前にひれ伏した。英語では、「worship ]　は価値と言う意味です。③謝絶に諦めなかった。女の信仰がますます強くなった道を調べましょう。問題をいい出したところから、叫び、拝み、願い、信仰告白、立派な信仰に進んだ。④豊富に通じる入口は狭い。イエスが言われた諺を垣間見て、その機会を捕まえた。⑤他人のために恵みをいただく。女は悪霊に取りつかれた娘のためにきた。これは「身代わりの信仰」とよばれている。人が患者の立場に立って自分自身のためであるように願うこと。（イエスが行われた24の奇跡の中で7つは身代わりの信仰によるものでした）。ただ、この恵みは救いに至る恵みではない。⑥恵みと力は十字架を通していただく。マルコ7：29によると「そうまでいうのですか」と言われたイエスの言葉は、女がユダヤ人じゃない異邦人の自分でさえも、十字架によって神の恵みに預からせていただくことができることを理解したと考えられています。食卓の上に置いてあるパンと、床に落ちたパンくずは同じパンです。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-6255061090704228637?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/6255061090704228637/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=6255061090704228637' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6255061090704228637'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6255061090704228637'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/10/2010103.html' title='2010年10月3日 「子どもたちのパン」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-4993734565720534718</id><published>2010-10-03T09:19:00.001+08:00</published><updated>2010-10-03T09:19:32.680+08:00</updated><title type='text'>2010年9月26日 「一生に一度だけしかない」</title><content type='html'>2010年9月26日の礼拝メッセージはヨハネ9：32，33を中心にして「一生に一度だけしかない」と題して話されました。生れ付で盲人の眼が開かれた物語を説教するのは多くの牧師が避けています。しかしこの物語と結果はヨハネ10章の中まで記録され、人類が始まって以来かつてない、初めての奇跡（三千万人の内の一人）だということだけでも私の関心を引きます。この物語を通して、神が私達の人生の中で特別な働きをなさる一生に一度だけしかない時間、場所、事情があるということが教えられています。次の教訓を考えていただきます。①9：1－5　人生の事情の中で神を探し出す。原因、非難するものを探すより、神が働いて栄光をあらわす機会だと信じるほうがよい（出4：11；ヨハ11：4）。人の命は神のためのもので、人生の事情経験はあなたを神ともっと親しい関係の中に導く。②9：6，7　神は私達が信仰によって踏み出す為に、さらにひどい事情の中に置かれることがあります。つば？、泥？ヤック！行って洗う、何？。盲人生活に慣れきった彼は信仰へと動機づけるものが必要でした。イエスの指図を受け従い、さらにひどくなった事情に刺激されて、彼は行って、洗い、見えるようになった。③9：8－34時々神は自分をもっと知らせる為に自分を隠してしまいます。奇跡を受けて後、彼は一人ぼっちになってしましました。親、隣人、指導者、イエス様まで彼を離れてしまった。そういう中で、心にイエス様と自分自身について神の啓示が与えられました。キリストは誰、自分は誰。イエス様と同じく、運命がある、弟子、礼拝者というクリスチャンの有様を示されました。後に、「神の子を信じますか」という究極の質問を受けた時、信仰生活は何であるか知った上で「信じます、崇めます」とすぐに応答できるようになりました。これこそ、一生に一度だけしかない経験です。すなわち、霊的な目が開いて、永遠の生命に入ることです。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' 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height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-7935011741742415493</id><published>2010-09-26T09:41:00.000+08:00</published><updated>2010-09-26T09:42:06.220+08:00</updated><title type='text'>2010年9月19日 「主を待ち望む者の祝福」</title><content type='html'>2010年9月19日の礼拝メッセージはイザヤ30：15－26と40：27－31から「主を待ち望む者の祝福」と題して話されました。マタイ5：1，2「山上の説教」にイエス様は群衆を見て高い山に上って、おすわりになると弟子たちが御元に来たと書いてあります。イエス様が誰に何ができるか知っていながら、この説に見えるイエス様は違う行動をとっており、群衆のニーヅを無視しているようです。お座りなるとは、ただ体の姿勢だけではなく、体、心、霊が落ち着いている態度と状態を示しています。イエス様はよく御父に祈るために山に登られました。そうしてから、最も親しい友、弟子たちと従事しました。弟子たちはイエスが上られたおなじ山に登り、御元に来ました。私たちの礼拝は、生活事情がその礼拝に対する態度を決めるか、または、礼拝が生活事情に対する態度を決めるかどちらでしょうか。主を待ち望むことは時間的なことではなく心の態度のことです。「主に仕える」ことです。イザヤ30：15－26に信仰生活を描いています。神の御前に確信を持ってこないなら、ついに生活事情が恐ろしい鬼のように見えるようになって、逃げることを決心します。ところが鬼が追ってきます。霊界において神が恵もうと待って、自分を待ち望む（神の尊厳と親密さを口に出してたたえる）ように御ことばを教える教師を通して声を呼び掛けてくださる。不聖のものを憎む強烈な態度を取れば思いがけないところから（主を待ち望む山と天、不自然的なところ）祝福が与えられます。イザヤ40：27－31に主の臨在を慕い求める者の熱情を見ています。神が私たちの事情に下りてくるように願いますが、神は私たちに自分の臨在の清い空気に上るように待っておられます。もしイザヤ30章に神がわたしたちのために超自然的に働いている姿を見ているなら40章に神はわたしたちが自分でなすべきことをするために力を与えてくださっている姿を見ることができます。主を待ち望む者になりましょう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' 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height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-297622819969756589</id><published>2010-09-26T09:40:00.000+08:00</published><updated>2010-09-26T09:41:18.726+08:00</updated><title type='text'>2010年9月12日 「確信をもって神の御前に近づこう」</title><content type='html'>2010年9月12日の礼拝メッセージはヘブル10：19－25から「確信をもって神の御前に近づこう」と題して話されました。「確信に満たされつつ（口語訳聖書）」。聖書訳はそれぞれ違うので、このために聖書単語学びは難しいものです。「確信」英語ではconfidenceコンフィデンス。日本訳聖書の中で、自信、信頼、信任、信用、確信、全き、と訳されています。信仰生活に関しては「確信」が生活のあらゆる面で心配がなくて、なすべきことから良い結果が出るように期待することです。こうして、ある程度の確信をもって神の御前に近づくなら、礼拝そのものの中に有るべき全てのものを通し、さらに神から確信を受けるようになります。この確信は「血による契約」、すなわちキリストの十字架と復活によってのみ、神の臨在の中に入る自由と大胆さを与える（19，20節）。ヘブル10：22節は礼拝のために個人の準備を語る。10：23節は確信を確実にし、さらに確信を「満たす」方法、「告白」を語る。告白は礼拝集会の中で、神の尊敬と親密さを口に出す賛美を通して示す。10:24節は礼拝集会の中でお互いを意識することを語る。個人ですることは他人に影響して良い結果をもたらすようにする。10:25節は合同礼拝集会、神の臨在の中にいたいこと、兄弟姉妹たちと交わりを持つことに対して献身と意志を語る。いつも確信、自信、信頼、などをもって神を礼拝しましょう。&lt;br /&gt;聖書の中で神に対する「確信」の参考的聖句：&lt;br /&gt;詩篇118：8，9　　　&lt;br /&gt;箴言3：26　　　箴言14：26&lt;br /&gt;イザヤ30：15，16　　　&lt;br /&gt;エペソ3：12　　&lt;br /&gt;ピリピ3：3&lt;br /&gt;ヘブル3：6　　ヘブル3：12－14　　ヘブル4：14－16　　ヘブル11：1&lt;br /&gt;ローマ4：20，21　　ローマ8：35－39&lt;br /&gt;2テモテ1：12－14　&lt;br /&gt;1ペテロ3：17，18&lt;br /&gt;1ヨハネ3：21，22　　　1ヨハネ5：24&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-297622819969756589?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/297622819969756589/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=297622819969756589' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/297622819969756589'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/297622819969756589'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/09/2010912.html' title='2010年9月12日 「確信をもって神の御前に近づこう」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-6462641415468172129</id><published>2010-09-12T08:38:00.002+08:00</published><updated>2010-09-12T08:41:00.167+08:00</updated><title type='text'>2010年9月5日 「礼拝集会の中で挙手、拍手、叫び」</title><content type='html'>2010年9月5日の礼拝よりメッセージ。「パウアーポインの要点から」&lt;br /&gt;題：　　　　礼拝集会の中で挙手、拍手、叫び&lt;br /&gt;聖書の個所：詩篇１３４：１－３；４７：１，２．&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;礼拝することは本質的に霊的なおこないと、肉体的なものも伴っています。&lt;br /&gt;聖書の中では、起立、着座、お辞儀、膝まずき、ひれ伏し、歌、踊りを示しています。&lt;br /&gt;他に三つの身振りを通して神への礼拝を示しています。挙手、拍手、叫びのことです。&lt;br /&gt;この三つは礼儀正しさを破る感情的な表現にすぎないものか、なくてはならない重大なものか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;聖書の中で、挙手、拍手、叫びの三つのジェスチャーが「契約」を結ぶことに関わっている。&lt;br /&gt;例。ダビデとヨナタンがつくった契約。１サム１８－２０章。&lt;br /&gt;結果：ダビデをヨナタンと一緒にサウ王の息子の位にした。&lt;br /&gt;王子の刀、よろい、かぶと、外衣をもらう。契約は主の前で批准する。子孫につなぐ。&lt;br /&gt;ダビデとヨナタンの契約はキリストと信者の関係の型です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;旧約聖書の時代に契約を批准する習慣　（聖書百貨辞典出所）&lt;br /&gt;手のひらか親指を切る。両者は互いに手を打って血を移す。大声で誓いをする。傷に灰を塗る。&lt;br /&gt;手を振るう。このような契約が「血による契約」と呼んでいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「血による契約」参考聖句&lt;br /&gt;申命記１４：１，２　 　禁止&lt;br /&gt;レビ記１９：２８；２１；５　　禁止&lt;br /&gt;エレミヤ記１６：６；４１：５　禁止&lt;br /&gt;エズラ１０：１９ 許す&lt;br /&gt;血による契約は主の前で行う聖なる行事なのでほかの目的にしてはいけない。&lt;br /&gt;例。神と民の間の契約。　 イザヤ４９：１４－１６&lt;br /&gt;例。キリストと信者の間に契約。　 ルカ２２：２０；ヨハ２０：２７&lt;br /&gt;例。血による契約ー信者がわの応答。　ロマ１２：１；ガラ６：１７&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;イスラエル国民は血による契約を通して、神の契約の国民とせられて、いつも礼拝をするとき、&lt;br /&gt;その契約関係を示して、確認していた。ただ、契約を批准する身振りはかわり、簡単になった。&lt;br /&gt;手のひらを切ることは、　　　動物の血を上げる行事によって示すこととなり。&lt;br /&gt;両者は互いに手を打つことは、拍手することとなり。&lt;br /&gt;大声で誓いをすることは、　　叫び となり。&lt;br /&gt;手をあげて振るうことは、　　挙手することとなり。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;挙手、拍手、叫びは個人、と合同礼拝の中で通用な身振りとなって、ほかの礼拝する行為に伴い、または、その行為を意味するジェスチャーとなりました。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;挙手ー手を挙げることの意義。&lt;br /&gt;詩篇 ２８：２　　　　　　いのり&lt;br /&gt;６３：４　　　　　　ほめたたえる&lt;br /&gt;１１９：４８　　　　従順&lt;br /&gt;１３４：２　　　　　合同礼拝&lt;br /&gt;１４１：２　　　　　犠牲&lt;br /&gt;１４３：６　　　　　うえ渇き&lt;br /&gt;エズラ　１０：１９　　　　聖別&lt;br /&gt;ヨブ　　１１：１３　　　　心の整え&lt;br /&gt;雅歌　　２：１９　　　　とりなしのいのり&lt;br /&gt;　３：４０、４１　悔い改めと礼拝&lt;br /&gt;拍手ー手をたたくことの意義&lt;br /&gt;詩篇 　４７：１　　　勝利&lt;br /&gt;　９８：５－８　喜び&lt;br /&gt;イザヤ　　５５：１２　　祝福&lt;br /&gt;ナハ 　　３：１９　　確認、ことを認める&lt;br /&gt;叫びー大声を高く上げることの意義&lt;br /&gt;叫びは口に出して、神の尊厳、本質、偉大さ、わざを告白することです。&lt;br /&gt;ヨシュア６：５－２０　１サム４：５，６　　　神の臨在を喜ぶ&lt;br /&gt;２歴代１５：１４　　　誓いをする&lt;br /&gt;詩篇　　５：１１　　　御名を愛する&lt;br /&gt;６５：１３　　　祝福を感謝する&lt;br /&gt;参考。１テサ４：１６　キリストの再臨のとき&lt;br /&gt;礼拝集会の中で挙手、拍手、叫びの重要&lt;br /&gt;神が私たちの礼拝を喜んで、受け入れて下さるが自分には何も不足することはない。&lt;br /&gt;（使徒１７：２３－３５）&lt;br /&gt;礼拝には礼拝者が神とのかかわりを強化する受け身の目的もあるでしょう。&lt;br /&gt;礼拝者が挙手、拍手、叫びによって自分にある［上記の］ことを形にして、そして、&lt;br /&gt;神と契約関係をどんなに真剣に考えているか断言しています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;このような具体的行為を通してほかの人は自分の信仰が励まれるでしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　 手を上げましょう&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　手をたたきましょう&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　叫びましょう&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　アーメン&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-6462641415468172129?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/6462641415468172129/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=6462641415468172129' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6462641415468172129'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6462641415468172129'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/09/201095.html' title='2010年9月5日 「礼拝集会の中で挙手、拍手、叫び」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-7805556590413535598</id><published>2010-09-04T20:55:00.002+08:00</published><updated>2010-09-04T20:58:33.086+08:00</updated><title type='text'>2010年8月29日　「礼拝集会の中で御霊の賜物の現れ」</title><content type='html'>2010年8月29日の礼拝よりメッセージの要約「パウアーポイントの要点から」&lt;br /&gt;今、ＧＣＪＣ　に意義ある時期。&lt;br /&gt;最近のメッセージの主題： 賛美による礼拝&lt;br /&gt;神における定めた季節&lt;br /&gt;主に仕える行為&lt;br /&gt;啓示を受ける心&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今日の主題： 礼拝集会の中で 御霊の賜物の現れ&lt;br /&gt;１コリン12：7 皆の益となるために、 おのおのに御霊の現われが与えられているのです。&lt;br /&gt;原語：　　　　　　　　皆を先へ運ぶために、 おのおのに御霊が現れています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;神が与えるすべての恵みは自分と 教会の益のためです&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;1コリ1－10章．　　個人の信仰生活について&lt;br /&gt;1コリ11－14章 合同集会 について&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;1コリン12：1、４．&lt;br /&gt;主題：　 御霊の賜物を知らずにいてもらいたくない。&lt;br /&gt;　クリスチャンとして行うすべてのことは 聖霊の力によってでなければならないが、&lt;br /&gt;　ここに語られた「聖霊の賜物」ということは ちがいます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;御霊の[現れ]？　　原語では、見えるようにする。&lt;br /&gt;何を？　　　　　　　聖霊の臨在&lt;br /&gt;どのように？　　　　賜物を通して&lt;br /&gt;聖霊が集会の中で皆の益のために賜物を用いる ようにあなたを超自然的に力づけてくださる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;1コリン12:8－10．御霊による９つの特種な賜物の目録&lt;br /&gt;知恵の言葉、知識の言葉、信仰、いやし、奇跡を行う力、&lt;br /&gt;ける力 異言 　異言を解き明かす力&lt;br /&gt;（参考。別録。ロマ12章、エペ4章、１コリ12:4－6）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;1コリン12，14章。 礼拝集会の中で３つの重要な賜物　 （11:20；14:26）&lt;br /&gt;異言、異言を解き明かす力、預言。これらのものは「口に出す賜物 」という。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;異言の種類　　　　　&lt;br /&gt;１．人類の国語。　　1コリ13:1、使徒2:４、８、11．&lt;br /&gt;２．御使い。　　　　1コリ13:１．天の言葉。&lt;br /&gt;３．異種の言葉。　　１コリ12:28（ヨブ38:７；詩19:1－3）&lt;br /&gt;４．自分の霊から。　1コリ14:2,14.&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;目的　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;１．神に奥義を話す。　　　1コリ14:2&lt;br /&gt;２．自分の徳を高める。　　1コリ14:４&lt;br /&gt;３．しるし（不信者）。　　1コリ14:22　　（イザ28:11）&lt;br /&gt;４．祈り。　　　　　　　　1コリ14;14、15（ユダ22）&lt;br /&gt;５．賛美。　　　　　　　　1コリ14:15、16（使徒2:11）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;異言を解き明かす力&lt;br /&gt;１．解釈で、翻訳ではない。14:5、7－11意味、27、28．&lt;br /&gt;２．預言と同じ結果。　　　14:５。&lt;br /&gt;３．解き明かしできるように祈る。14:13．&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;目的　　　　　　　　　&lt;br /&gt;１．意味を知らせる。&lt;br /&gt;２．「アーメン」を引き出す。14:16．行為に引きつける。&lt;br /&gt;３．徳を高める。14:17．&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;預言&lt;br /&gt;１．　人の形にある神の声。14:3．&lt;br /&gt;２．　告げ知らせること。（神の思いを告げる）&lt;br /&gt;３．　予告すること。（神は後になさることを前もって知らせる）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;目的　　　　　　　&lt;br /&gt;１．高める、すすめる、慰める。　14:3、４．&lt;br /&gt;２．信者のためのしるし。　　　　14:22．&lt;br /&gt;３．不信者、新心に罪を示す。　　14:24．&lt;br /&gt;４．神を認めさせ、礼拝させる。　14：25．&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;どうしてこのような特種な賜物が必要でしょうか。&lt;br /&gt;　神は説教を通して十分に語られないでしょうか。&lt;br /&gt;答え　　　　　劇的にあなたを驚かして、あなたの注意を引きつけるためです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;礼拝集会の中でどのようにして賜物を用いたらよいでしょうか。&lt;br /&gt;１．聖霊によりバプテスマと賜物の現れに関係がある。&lt;br /&gt;使徒 2:4、8；4:31；8:17－19；10:44－46；11:15；19:6。&lt;br /&gt;２．家で、デボーションをする時に習慣をつける。&lt;br /&gt;霊的な習慣にしては、密かでしていないことは消して公でしない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;礼拝集会の中での実習&lt;br /&gt;１．聖霊があなたを通して語るように喜ぶ。&lt;br /&gt;２．聖霊があなたを通して語るように祈り求める。&lt;br /&gt;３．聖霊の導きにすぐに応答する。&lt;br /&gt;４．聖霊と協力する。　　　使徒　2:４．&lt;br /&gt;５．信仰をもって現わす。ロマ　2:６&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;礼拝集会の中で聖霊がなされようしていることを喜んで受け入れましょう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-7805556590413535598?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/7805556590413535598/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=7805556590413535598' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/7805556590413535598'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/7805556590413535598'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/09/2010829.html' title='2010年8月29日　「礼拝集会の中で御霊の賜物の現れ」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-8578603615637881100</id><published>2010-09-04T20:53:00.001+08:00</published><updated>2010-09-04T20:54:41.332+08:00</updated><title type='text'>2010年8月22日 「啓示を受ける心」</title><content type='html'>2010年8月22日の礼拝よりメッセージの要約。「パウアーポイントの要点から」&lt;br /&gt;主題：神の啓示を受ける心 。&lt;br /&gt;聖書：ルカ１４：１５&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ルカ１４章の分解&lt;br /&gt;イエスは食事をしている内に病に患った人を癒やされた。 出席者の多くは怒りの念を生じた。&lt;br /&gt;イエスは祝宴などで取るべき態度を語られ。 １５節にある人が言葉を発言した。 まったく無関係の言葉であるように見えるが、しかも、 発言はどこからそのことばが出たか。 自分の考えからでしょうか。&lt;br /&gt;または、神による啓示だったのでしょうか。 その啓示によって彼自身が最も重大な真理を悟った。&lt;br /&gt;啓示に対して、イエスはさらにもう一つのたとえを話された。&lt;br /&gt;ここに２派の人がある&lt;br /&gt;１派は、 最初から批評な態度、神の御子の前にいる、 奇跡を目撃した。何の反応もなく、&lt;br /&gt;天の力に出会ったのにそのまま、不変で帰った。&lt;br /&gt;２派は、 １５節にある人はイエスの言葉に心を向けて 聖霊の注意を引き受け、啓示を受けるようになった&lt;br /&gt;教訓： 説教は言葉を照らす明かりです。 その明かりの中で、聖霊がほかの時に 悟れないものを啓示によって教える。説教者が話すことが一番大事なことではなく、 むしろ、あなたは心の耳で聖霊が語られることを聞くことが重要です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今日のメッセージの重大点&lt;br /&gt;１． 神の啓示とは？&lt;br /&gt;２． 神の国においての食事とは？&lt;br /&gt;３． 神の国においての盛大な宴会とは？&lt;br /&gt;１．啓示とは？ 神があなたの心に示される真理。&lt;br /&gt;　　方法： 父神、キリスト、御言葉、聖霊、教師、 預言者を通して&lt;br /&gt;　　目的：祝福を教え、積極的な行為をさせる。&lt;br /&gt;　　聖書の中の聖句：&lt;br /&gt;２．神の国においての食事とは？&lt;br /&gt;神の国には社会的と霊的な次元がある。 「食事」は、原語では「パン」　＝　主要な食糧のこと。 　&lt;br /&gt;聖書全体には「パン」は３６０回でてくる。 神の国における信仰生活に意義がある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;１． 救いと信仰生活の初歩を意味する 。神の国に有るパン。 出エジプト記３０回。&lt;br /&gt;イスラエル民族はエジェプトからの脱出がキリストの福音による救いを並行している。&lt;br /&gt;ヨハネ６：３１－５８．&lt;br /&gt;　　教訓：神による霊的な誕生、神命を成長し、ささえ、信仰の道に導く。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;２． 礼拝を通して神と神の民と交わりをする。 レビ記、民数記に３０回。&lt;br /&gt;荒れ地の道中にイスラエル人は聖所とレビ人による礼拝制度に基づいた生活。&lt;br /&gt;教会と信者の集合的な礼拝集会に並行している。&lt;br /&gt;　　教訓：神の家に「食物」を持って来て、 皆がそれによって養われる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;３．日々生活の中で神の祝福と力を経験する。 サム記；列王記、歴代誌、 預言書２００回。&lt;br /&gt;　　これらの書では地上で神が支配して、御心が行われているということを示している。&lt;br /&gt;　　イエスの教えと奇跡に並行している。&lt;br /&gt;　　教訓：神があなたの人生を支配している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;３．神の国においての盛大な宴会&lt;br /&gt;盛大な宴会のたとえ話は十字架の祝福、 すなわち、神の国に受ける祝福を語っている。&lt;br /&gt;「私の食事」イエスが主催する食事は何ですか。 過ぎ越しの食事　ルカ２２；岸辺でヨハネ２１&lt;br /&gt;主の食卓　１コリ１１：２３ ；福音の食事　黙３：２０；千年王国　黙２２ 。&lt;br /&gt;もう一つがある　ルカ２２：１６．&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;もう一つ。神の国においての食事。ルカ２２：１５、１６。&lt;br /&gt;　この食事は個人的にキリストと交わりをして、 心を養う霊の食事です。&lt;br /&gt;合同的には集合の礼拝集会での祝いです。&lt;br /&gt;イエスは男が受けた啓示に反応したことに 応じて、この盛大な宴会のたとえ話をした。&lt;br /&gt;教訓： １．心に示された啓示を認め、受けるなら、 イエスがその啓示をさらにその啓示を表明する。&lt;br /&gt;２．啓示を受けて、その祝福を喜ぶかどうかは選択によるものです。&lt;br /&gt;　　その選択はイエスと一緒にいたいという 価値判断によるものです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　　&lt;br /&gt;神が今、 あなたの心に 何の啓示を 示しているでしょうか&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-8578603615637881100?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/8578603615637881100/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=8578603615637881100' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/8578603615637881100'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/8578603615637881100'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/09/2010822.html' title='2010年8月22日 「啓示を受ける心」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-2039628626340060348</id><published>2010-08-21T14:02:00.000+08:00</published><updated>2010-08-21T14:03:03.170+08:00</updated><title type='text'>2010年8月15日 「主に仕える活動」</title><content type='html'>2010年8月15日の礼拝メッセージはエゼキエル書44:9－16から「主に仕える活動」と題して話されました。新約聖書の中で礼拝集会のパターンが明確ではありませんがあくまで形式的ではなく霊的な行為です。このパターンはまず、旧約聖書の中の礼拝の行為と新約聖書の中の真理に基づいています。エゼキ４４章に、注意： ①聖所に仕えることと神に仕えることに区別がある（11，14節）。 礼拝集会には具体的なものがあるが、（設備、歌、音楽など） これらのものは礼拝を構成しない。②聖なるものと最も聖なるものに区別がある（13ー16節） 。礼拝には幾つかの程度がある。 ③聖、俗、きよい、汚れたもの に区別がある（23節）。礼拝には神が喜ばれることと、喜ばれないことがある。旧約聖書では「主に仕える」とは 新約聖書では「主を礼拝する」と訳す （使徒13：2）。中心的なものは尊厳と親密さ。礼拝する行為には、神に対しての尊厳と 親密さを兼ね備えてあるべきです。 一方で、神の偉大さ、力、尊厳を宣言して表わすので、近寄りがたいが、 もう一方では、神と一体となり親密な関係ができ、 その抱擁の中に走り込むことができる。 尊厳は称えることによって表す。[口に出す表現]。　親密さは愛によって表す。[口に出す表現] 「主に仕える」行為は賛美、音楽、 口に出す言葉、聖霊による賜物を通して神の尊厳と親密さ表す。 1歴代25：1－3 ；2歴代7：6 ；1コリン12、14章 。ヒゼキヤ王による集会は（2歴代29章）現代教会の型となる。 自分の毎日のデボーションの時間に 尊厳と親密さをもった「主に仕える」習慣をつけて、練習をしましょう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-2039628626340060348?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/2039628626340060348/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=2039628626340060348' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2039628626340060348'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2039628626340060348'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/08/2010815.html' title='2010年8月15日 「主に仕える活動」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-4833406785249649368</id><published>2010-08-21T13:59:00.000+08:00</published><updated>2010-08-21T14:00:43.700+08:00</updated><title type='text'>2010年8月8日 「神における定めた季節」</title><content type='html'>2010年8月8日の礼拝メッセージは1ペテロ1：1－9から「神における定めた季節」と題して話されました。神の働きそのものと働く方法は自然界に見られます。毎日、私たちの生活の中で働いていますが、大きい働きは「季節」によって働かれるのです。聖書のそれぞれの模様しによって違う言葉で、時、今、しばらくの間、時期、頃、などで訳されています。今どんな季節にいるか知らなければその季節がもたらす祝福は得られません。このメッセージでは、季節の原理、目的、反応、結果を見ています。①　すべてのものに時があり、永遠性に関わっている（伝3：1，2，11）。神は人の季節を変える（ダニ2：21，22）。私の人生の中の季節を制している（使1：7；詩139：16）。今どんな季節であるか知る義務がある（1テサ5：1）。②　季節に応じて神の定めた目的を果たす（マタ21：19，41）。神の国にいる果たすべき計画と目的がある（エス4：14）。③　それぞれの季節に正しく反応する（使20：18）。その応答はまず霊的でなければなりません。ア）救いを確認する。イ）季節の必要性を認める。ウ）季節の存続期間を判断する。ヘ）信仰を持ち続ける（1ペテ1：3－8）。④　季節はすべて信仰にとって良い方向へと変化させる為に関わっている。なくてはならない季節で、恐怖、伝統、頑固、傲慢などの思いをきよめて、神の規準に至らせる結果を望まれる（1ペテ1：7）。季節をどのようにして判断できるでしょうか。生活に急な変化があるか。長く続いた状況があるか。今の時期にどんな特徴があるか見て見ます。聖書の中では、伝道の書3章が28の季節を記録しています。生活の中の季節は心に影響する（使14：17）。不自然な季節もある（1コリ15：8）。季節に場所がある（ヨハ4：4）。季節は国民、集団、個人、教会に起こる（詩24：6一族は世代と季節と言う意味もある）。私達の教会が神における定めた季節を見逃さないように祈っています（詩31：15）。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-4833406785249649368?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/4833406785249649368/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=4833406785249649368' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/4833406785249649368'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/4833406785249649368'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/08/201088.html' title='2010年8月8日 「神における定めた季節」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-3415695256538883553</id><published>2010-08-07T11:42:00.001+08:00</published><updated>2010-08-07T11:42:48.876+08:00</updated><title type='text'>2010年8月1日　「賛美礼拝」</title><content type='html'>2010年8月1日の礼拝は特別な「賛美礼拝」でした。礼拝集会にメッセージなき、全部の時間を賛美を通して神様をあがめるために用いるようにしました。大多数の信徒たちにとって、はじめての経験だったと思います。一時間半の間にほとんど立ったままで、14曲の賛美を歌うことによって、喉が渇き、足が痛くなったなどで、つらかったと思います。御言葉を聞くことを別として、このような「賛美礼拝」という合同礼拝集会の内容はわたしたち個人のデボーションの時間に有るべきことを反映するものでした。招詩はエゼキエル記44章からでした。その個所に、聖所の出入りのことと、聖所の入る者と入れない者を区別する定めが書いてあります（44：5）。ある者は、聖所にだけ仕える。ようするに、物事だけを管理して、神ご自身に近づかない（9－15）。反対に、ある者が祭司として、もっとも聖なるものに触れて、「神に仕える」ようになる（13、15，16）。この「賛美の礼拝」では聖所の物事を忘れて、神、主イエスだけに仕える機会でした。この集会を機会にして、これからも、礼拝の中で、神に対する意識を育てて、歌と口に出すことば、そして、御霊が与える霊の賜物（1コリン12，14章）を用いるように信仰を高く上げましょう。この日を素晴しく成功に導くために、奉仕をしてくださった方々に感謝しています。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-3415695256538883553?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/3415695256538883553/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=3415695256538883553' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/3415695256538883553'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/3415695256538883553'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/08/201081.html' title='2010年8月1日　「賛美礼拝」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-7758756202931499828</id><published>2010-08-07T11:38:00.003+08:00</published><updated>2010-08-07T11:42:06.854+08:00</updated><title type='text'>2010年7月25日　「失われたもの」のたとえ話。　　　　　　　　The Parable of the Lost</title><content type='html'>2010年７月２５日の礼拝は特別講師Ps． Ralph Shunkerにより　「失われたもの」のたとえ話。The Parable of the Lost を説教していただきました。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-7758756202931499828?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/7758756202931499828/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=7758756202931499828' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/7758756202931499828'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/7758756202931499828'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/08/parable-of-lost.html' title='2010年7月25日　「失われたもの」のたとえ話。　　　　　　　　The Parable of the Lost'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-4646676155806078393</id><published>2010-08-07T11:34:00.000+08:00</published><updated>2010-08-07T11:36:22.225+08:00</updated><title type='text'>2010年7月18日「賛美と礼拝を通して敵を打ち破ること」 賛美の力シリーズ その２</title><content type='html'>2010年7月18日の礼拝メッセージは｢賛美の力」シリーズとして、2歴代誌20：1－4から「賛美と礼拝を通して敵を打ち破ること」と題して話されました。前回では、声に出す賛美は神の定めた力と学びました。神のわざ（徳）を告げ知らせる方法は賛美です。これは信者の祭司としての務めです。今回では、詩篇8：2による敵を打ち破るのは賛美によるのです。3つの例。①　ヨシュア記6章　－神の御名を叫ぶ(詩68：1－4）すなわち賛美を通してエリコの町を征服しました。目的は、救いの充満を受けること。その賛美には、神の臨在（契約の箱）に目を注ぐ、神の約束を信じ受ける、神の指示を行う、神に従順と自制をすることです。②　2列20章－ヨシャパテ王は賛美を通してアモン人を打ち破りました。目的は、信仰の資産を守ること。その賛美には、神を求める、あがめる、過去の祝福を感謝する、攻撃の目的を確認する（11）信仰に満ちた賛美をたたえる。③　使16章－パウロは賛美を通して獄屋を逃避しました。目的は、使命を果たすために自分を解放すること。その賛美には人の前で辱めを持たない、自然的なものが霊的なことによって影響される。敵を打ち破る賛美は神の御名を称賛することです（詩149：6）。最善の時に、個人ではなく、合同で、戦場での強烈な心をもって御名をたたえることです。このような賛美には「叫ぶ」こともあるかもしれない2歴13：15；詩47：1。叫び声は聖霊が敵に対して掲げる旗印です（イザ59：19別約）。わたしたちの旗印はキリストの十字架による神の力です。その十字架を通してキリストがサタンを打ち破られました。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-4646676155806078393?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/4646676155806078393/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=4646676155806078393' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/4646676155806078393'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/4646676155806078393'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/08/2010718.html' title='2010年7月18日「賛美と礼拝を通して敵を打ち破ること」 賛美の力シリーズ その２'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-6019719981397761501</id><published>2010-07-18T09:16:00.001+08:00</published><updated>2010-08-07T11:37:19.080+08:00</updated><title type='text'>2010年7月11日 「賛美と礼拝による自分の信仰生活を強めること」　賛美の力シリーズ　その１</title><content type='html'>2010年7月11日の礼拝メッセージは1ペテ2:1－10から「賛美と礼拝による自分の信仰生活を強めること」と題して話されました。この聖書の前後からいえば、神の素晴らしいわざを述べ伝える方法は賛美であることが分かります。結果は、自分信仰の「家」を築く。合同的に信者は神の家、すなわち、教会の中で、清い、王なる祭司として、霊のいけにえをささげる務めをしています。霊のいけにえの内閣は神の本質、キリストによる神の力、救いの恵み、キリストに有る自分の立場のことです。これらのことは賛美によって「ささげる」なら信仰が強められる（1サム30:6）。ヘブル13：10－15によると霊のいけにえは新しい礼拝制度です。獣ではなく、キリストを通して神の御名を告白することです。賛美と礼拝には次の３つのものがあります。あがめること（神はどのような方か）；感謝すること（神がしてくださったこと）；たたえること（神ができること）です。合同集会の賛美と礼拝の例、イエス（ヘブ2：12）弟子たち（ルカ24：53、使徒1：13，14）ペンテコステの信者（使徒2：1，11）。賛美は神の力の規則です。詩8：1，2とマタ21：16を原語からいえば、神の定められた力が声に出す賛美です。このような賛美と礼拝は敵に勝利する武器となります（詩8：2）次回続く。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-6019719981397761501?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/6019719981397761501/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=6019719981397761501' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6019719981397761501'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6019719981397761501'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/07/2010711.html' title='2010年7月11日 「賛美と礼拝による自分の信仰生活を強めること」　賛美の力シリーズ　その１'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-7624570202631926490</id><published>2010-07-11T18:58:00.000+08:00</published><updated>2010-07-11T18:59:25.040+08:00</updated><title type='text'>2010年7月4日 「聖餐といやし」</title><content type='html'>2010年7月4日の礼拝メッセージはイザヤ53：3，4から「聖餐といやし」と題して話されました。聖餐(主の食卓）ではイエスの十字架を感謝するだけではなく、イエスに触れ合って、祝福をいただく機会でもあります。十字架によって罪の許されることを知っています。しかし聖書では同じ十字架を通して肉体の癒しもあると教えられています。次の聖書の重要点を見ましょう。イザ53：4に「病を負い」は持ち去るという意味。マタ8：14－16に熱や病を直すことはイザ53:5の成就です。1ペテ2:24，25にイエスの打ち傷の身のゆえにいやされた（過去形）、そして、罪も許され、健康を持って義による生活をおくるよういになります。1コリ11：27－30に聖餐にふさわしくないままで（イエスの体を正しく見分けない）弱い者や病人や、しかも、死んだものが出るとすれば、イエスの体を正しく見分けて、聖餐にふさわしく預かる者は健康をいただくことができます。医療の国際的シンボルマークはさおにからみついた蛇と鷲の翼でできています。この象徴は聖書の中から取っています。①　民数21：8，9．ここでさおは十字架、蛇は病を象徴しています（ヨハ3：14）。②　マラ4：2．この義の太陽は神の御子なるイエスを意味しています。マラキ書に見られる罪は祭壇（主の食卓）に健康でない獣のいけにえをささげた（マラ1：6－13）。主の食卓にかかわるもののすべては神性の健康を示しています。1コリ10：16は聖餐の意味を語っています。それは、イエスの血と体に預かることです。イエス血に預からせている同じ杯は、その血による祝福に預からせています。すなわち、罪の許しです。そして、イエスの体に預からせている同じパンはその体による祝福に預からせています。すなわち、肉体的な癒しです。聖餐の杯とパンは同時に神のキリストによるめぐみと祝福、そして、私たちの信仰によるキリストとの一体の目で見えるかたちの象徴です（ガラ2：20）。聖餐のところで罪をあけ渡して、許しを、そして、病をあけ渡して、健康に交換しましょう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-7624570202631926490?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/7624570202631926490/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=7624570202631926490' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/7624570202631926490'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/7624570202631926490'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/07/201074.html' title='2010年7月4日 「聖餐といやし」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-2060360955962491472</id><published>2010-07-11T18:57:00.000+08:00</published><updated>2010-07-11T18:58:15.505+08:00</updated><title type='text'>2010年6月27日 「知られない神の祭壇」</title><content type='html'>2010年6月27日の礼拝メッセージは使徒17：16－23から「知られない神の祭壇」と題して話されました。神をどれほど知っているかによってクリスチャン生活の高度が決まります。ウェストミンスターカテキズムによると人間生存の終局の目的は、神を知って、永久に仕えることです。処理、信仰、祝福、礼拝、平和、交わりなどのあらゆる点において神を親しく知る必要があります。その知らない部分は「知られない神」となるでしょうが、でも、知りうるのです。まず無知を考えましょう。①　無知識だけではなく自ら選択し、かたくなな心のゆえに不信仰となる。②　中立の状態ではない。いける神のほかにささげものをする時、悪霊にささげているのです。③　無知から出る道はもっと知識を得ることではなく悔い改めです。神の啓示を考えましょう。神は自然的創造、イスラエル民族の歴史、旧約時代の預言者、イエス様、聖書、聖霊を通して自分を示してくださっています。神を見い出す出発点は神に対する熱心、知りたいという志、出会いたい希望、真剣に探し求める、結果を期待することです。知られない神との出会いは聖書が神がどのような方か、何ができるか教えることを知ることによるのです。このメッセージでは次のことを学びました。①　神は私の弱さを自分の強さに交換してくださる方です。②　安全で守ってくださる方です。③　力づけてくださる方です。④　死の力に打ちかたらせてくださる方です。知られない神の祭壇を築くためにどうすればよいでしょうか。①　神の忠実さを再確認する。②　信仰を具体的に示す。③　神を知っている証をする。神の最も明確な啓示はイエス・キリストによるものです。（上記の点についての聖句が知りたい方は牧師に申し出てください。）&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-2060360955962491472?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/2060360955962491472/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=2060360955962491472' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2060360955962491472'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/2060360955962491472'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/07/2010627.html' title='2010年6月27日 「知られない神の祭壇」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' 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type='html'>2010年6月20日の礼拝メッセージはマルコ14:3－9から「礼拝の核心」と題して話されました。香油の入ったつぼをもった女の物語は聖書の中で最も美しい物語の一つです。イエス様は彼女のしたことを福音の一部として高められたので、私たちの注意を引いています。こうして信者とイエス様のかかわりを語っています。この物語はマタイ26章、マルコ14章、ヨハネ12章、そして、ある聖書学者の考えによるとルカ7、8章の中で出ているマリヤと言う女の物語です。これらの聖書からマリヤはどんな女かが分かります。重要なことは２つです。マリヤはイエスに触って愛撫しました。そして、割ったつぼから出た香りで家全体はいっぱいになりました。この二つのことは礼拝の中心的なこと、すなわち、礼拝の核心を語っています。では、礼拝の核心に何があるでしょうか。①　イエスの臨在に対する愛を表現することです。ただイエスと一緒にいるだけではなく、そうするのが具体的な形で示す。マリヤの生涯を調べたらいつもイエスと親しい関係を持っていた。②　受けた祝福の価値を表現することです。マリヤには愛の負債があった。売春婦、罪の生活から得た収入で買った高価な香油の値打ちはイエス様に与えられた罪の許し、救い、平安などの祝福に対しての負債を返すものに足りませんが、愛をこめてそれをイエス様にささげました。③　過去の自分を意味するものをイエスに譲ることです。つぼに入った香油の値打ちは当時、ローマ兵士の一年分の給料に当たります。汚い過去の自分を意味するそのつぼをイエス様の前で割ってしまいました。イエス様は自分の十字架の犠牲の香りと混ぜあわせて、美しい、かんばしい香りにしてくださいます（2コリ2:14、15）。④　十字架の死による力を表現することです。マリヤはイエス様が後に自分のために十字架の上で死んでくださることを見分けましした。そして、具体的な形で自分もイエス様と共に死んでいくと言うことを証した（ガラ2:20）。こうしてイエス様が彼女に永遠の記念を宣言しました。あなたの礼拝の皮（奉仕、証、賛美、音楽などのもの）を剥くと、その核心に何が残るでしょうか。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' 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type='html'>2010年6月13日の礼拝メッセージは使徒16章から「生活を規定する信仰の法令」と題して話されました。クリスチャンのライフシステム（信仰生活）は信仰を土台としていますが、その信仰に当たる行いがなければ無効です（ヤコ2:17－20）。新約教会の信仰生活は社会と対照していました（4、5，20、21）。この四つ節に注目すべき言葉があります。「規定」は守らなければならない行為の規準としての教義のこと、「してはならない」は権限のない、許可されない、存在しないという意味。「かき乱す」は原語ではテロリストの本来です（17:6）。その生活は信仰の法令によって規定されているからです。福音から人々を離れさせるどころか引き寄せるようになります。教会がしっかり立てられ、信仰が強められ、人数を増す。その信仰の法令は、①　福音の効果を増やすために適用な手段を取ること（1－3）。福音を妥協せずに発言の機会を得るためにする行為です（1コリ9:20、21）。イエス様でさえ、罪人の仲間となられました。②　聖霊の導きに感受性を持つこと（6－10）。聖霊は信仰生活をおくっている者を導く（4－7）。聖霊は行為を確信させるか否認する（6－10）。御心を行う場所と目的がある。（13）。制御できない時に神にゆだねる（16－）。③　教会と社会の中で影響できる立場に立って、霊的な経験を成長すること（14、15、40）。今あなたがしていることで、もしそれを止めるなら、その止めることによって、一人が悪影響を受けるようになることがありますか。④　状況を霊的な行為によって打ち勝こと（25－28）。外部の事情を打ち勝つ前に、内部の事情を打ち勝必要。祈りと賛美によって神とのかかわりを確信する。看守は救いを求める気になった理由は地震やとびらがあいていたからではなく、パウロと囚人たちはまだそこに残っていたからです（29）。あなたの思いがけない事情の中で「いる」ことができますか（1コリ10:13）。④　身分の権利を行うこと（35－40）。キリストを信じることによってイエス様が神様と持っておられた同じ契約関係に入っています（参考2歴16:9；イザ54:17；51:7）。私たちの中にキリストの言葉が染み込み、私たちの生活の中で御言葉が実現しているなら、世は真理に関して、現実社会の中でも有効だと認めるでしょう。これは自分の生活を規定する信仰の法令だけではなく、社会に影響を及ぼす力です。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-3617260214115152846?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/3617260214115152846/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=3617260214115152846' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/3617260214115152846'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/3617260214115152846'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/06/2010613.html' title='2010年6月13日 「生活を規定する信仰の法令」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-8155330194817915012</id><published>2010-06-19T18:34:00.000+08:00</published><updated>2010-06-19T18:35:03.367+08:00</updated><title type='text'>2010年6月6日 「聖餐と十字架による祝福の祝い」</title><content type='html'>2010年6月6日の礼拝メッセージはヘブル9：12－15から「聖餐と十字架による祝福の祝い」と題して話されました。聖餐（聖餐の中で無記録）は主の食卓、主の晩餐、パンを裂くこと、愛餐会の一部と知られ、主を十字架による死を記念して、あかしする儀式です。しかし、聖餐を通して祝福を再確認して、信仰によってその恵みが授けられます。そのために聖餐は敬虔な儀式でありながら、祭り的な祝いです。今日の聖書中で次のその祝福が見えます。①　購い。イエスが罪の要求を満たしたと同時に、自由を得るために代価（身代金）を払われた（マコ10：45；　1テモ2：6）。②　召し。したがって、神が恵みの腕を差し伸べてキリストの内に召してくださる（1コリ1：26－31）。③　新契約。愛の負債による関係に入る（エペ5：23－27）。④　清い良心。良心は人に中で'神のあかしとして考えられ。2サム24：10；ヨブ27：6。未信者の良心は死んだものです（1テモ4:2；ヘブ10：22）。良心は罪ある生活によって死んだ行いで詰まってしまう。これらのものを清める。⑤　奉仕。原語では礼拝とは献身と言う意味です。ワーシップは日曜日に教会に行くことだけではありません。全生涯を神にささげて、世と違う生活をするという意味です（ロマ12：1，2）。⑥　遺産。放蕩のむすこのたとえ話に遺産について二つの違う考えが見られる。弟は自分の分だけ（3分の1）を考えて、一時的には満足したがそれでも利口に用いなくて、失ってしまいました。兄は自分にあるものの遺産は認めないので、満足しなかった（ルカ15章）。聖餐は十字架を通して与えられるこの祝福を祭りの雰囲気の中で祝う場です（1コリ11：24，25）。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-8155330194817915012?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/8155330194817915012/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=8155330194817915012' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/8155330194817915012'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/8155330194817915012'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/06/201066.html' title='2010年6月6日 「聖餐と十字架による祝福の祝い」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' 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type='html'>2010年5月30日の礼拝メッセージは使徒2:1－21から「朝の九時ー生活における聖霊のバプテスマ」と題し話されました。聖霊の現れは経験の無い者にとって酒に酔っていると同じ様子です。水の少ないイスラエルではワインが通用の飲み物ですが、聖書の中でワインの生産は聖霊による経験を例えています。ペンテコステの聖霊はヨエル記による予言の成就です(使2:16）。失敗に終わってぶどうの生産が社会、個人、神の礼拝に影響を及ぼしましたが、神は新しいぶどう酒によるワインの宴会をもてなししてくださることは、後の時代に注ぐ聖霊のバプテスマを象徴しています（ヨエ1、2章）。ワインと聖霊のバプテスマを比較して見ます。①　祝福がある（イザ65:8；ゼカ9:17；ヨハ16:15）。②　その祝福は報復で、増加する（民18:27、30、収穫は増加の意味）。③　受けるに邪魔物がある。偏見、無望、入れ物が不適当（ルカ5:37－39）。④　聖霊バプテスマがキリストによる命の祝いをもたらしてくださいます（イザ25:6、ヨハ2:1－11）。⑤　聖霊のバプテスマが井戸、噴水、川の違いを起こしてくださいます（ヨハ4;10－14、7:37－39、エゼ47章）。⑥　地の産物のぶどう酒か聖霊によるワインかどちらを選びますか。肉か御霊かどちらによって生きるでしょか（エペ5：18、イザ55:1）。⑦　今は聖霊の時代です(使2:20）。上記の聖句をよく調べて聖霊によりバプテスマを通して、神が約束してくださった生活を喜びましょう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-379260462827061846?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' 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type='html'>2010年5月23日に礼拝メッセージは使徒19:1－8から「ペンテコステ祭と聖霊によるバプテスマ」と題して話されました。聖霊降臨日とも呼ばれるこの祝いの本来は旧約聖書の中でユダヤ教において過越祭の50日後に祝われる祭日です。穀物、大麦、小麦の収穫をおえて、七週祭（出34:22）と収穫祭です（レビ23:15）。収穫の実で一年の生活が始まる祝い。キリスト教では、キリストの十字架による祝福で生きる信仰生活の祝い。復活祭から（その日を第一日と）数えて50日後に祝われます。多くのキリスト教諸派において聖霊降臨が教会のたてられた日であるという認識がなされています。（聖霊のバプテスマと信者の生活における聖霊の働きの主題のノートがあるので欲しい方は牧師先生まで）。聖霊でバプテスマを授けるという経験は信者のなすべき経験です。使徒19:1－8から次のことを学ぶ。①　神に対する飢え渇きが必要であること（1節）。ここにいる弟子たちは経験が浅いのに神の祝福を追求していました。②　完全な救いを追求すること（2節）参考１テサ3:10；ロマ1:11；使18:24－28。③　信仰の知識を増加すること（2－4節）参考ロマ10:1－21。④　信仰の従順を示すこと（5節）参考　使10:44－48。⑤　聖霊を受けたいと申し出ること（6節）。⑥　聖霊の臨在を喜ぶこと（6節）参考　ヨハ14:16．神とさらに高度の関係と奉仕に加わること（6節）異言と予言について１コリ14章とエペ5:19。あなたは信じた時、聖霊を受けましたか。聖霊を受けるように祈った（使8：14，15）。聖霊が彼らに臨まれた（使19:4）。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-6557188367594718230?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/6557188367594718230/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=6557188367594718230' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6557188367594718230'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6557188367594718230'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/06/2010523.html' title='2010年5月23日 「ペンテコステ祭と聖霊によるバプテスマ」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' 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type='html'>2010年5月16日の礼拝メッセージは使徒1:1－11から「キリストの昇天と信仰生活」と題して話されました。昇天は復活の後40日目に起こりました。昇天についてはマルコ、ルカ、使徒の書だけが記録しています。イエスは見えない霊の形ではなく、肉体を持って、しかも、多くの目撃者の前で天に昇られました。まもなく起こる昇天を機会にイエスは40日の間に弟子たちに信仰生活に関係した15の主題を語られました。これらは、神の国、天におられるイエスの活動、イエスの来臨の主題です。①　神の国、使1－3．（ア）信者のうちに行なわれる神の主権と力、そして、社会に行なわれる教会の活動です（使1:1、ルカ1:1－4）。（イ）諸国に行なわれる神の働き（使徒6、7；ダニ4:1－4；5:21）。（ウ）世界の信者のあかし（使徒1:8；マタ28:19、20；マコ16:19、20）。（エ）神に対する信者の礼拝（ルカ24:51－53）。②　天におられるイエスの活動、使徒1:11.（ア）わたしたちのために（ヘブ9:24）。（イ）自分の神性を確証するために（1ペテ3:22；ヨハ6:58－62）。（ウ）十字架の働きを完了するために（ヘブ10:19－22；4:16；7:25）。③　イエスの来臨（再臨）1:11.（ア）この同じイエス、同じありさまで（マタ24:30；黙1:7）。（イ）私たちを迎えるために（ヨハ14;1－6）。キリスト信者の信仰は一人の聖者の収集したことばによるものではなく、人間の絶望に応じて、5つ歴史的な出来事に基づいた希望のメッセージです。その出来事は、①　イエスの誕生。神の見いだしたいという願いに応じて、キリストを通して自分を示された。②　イエスの十字架。人間の罪という道徳的、霊的な問題を解決出来ないことに応じて、キリストが身代わりとして死んで、それによって、聖なる神の要求が満足され、人間の罪を許してくださった。③　イエスの復活。人生における霊的な力との戦いに応じて、キリストが復活を通して、サタンと死に打ちかたられた。④　イエスの昇天。信仰生活をおくる挑戦に応じて、キリストが天から助けの聖霊を送ってくださいました。⑤　イエスの来臨。死後の問題、人生の中で絶望感に応じて、自分の再臨の希望を約束してくださいました。この約束の中にあなたの昇天の約束があります。それに加わる秘訣はヨハ14:6です。&lt;div 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type='html'>2010年5月9日の礼拝メッセージはガラ4;22－5:1から、母の日のメッセージで「自由の女の子どもとキリストによる自由生活の秘訣」と題して話されました。聖書の中で神と信者の関係は母と子どもの関係によく例えられています。今日の聖書の中にアブラハムの生涯の中から一枠が書かれています。（このメッセージはパワーポイントを使ってこの個所をフローチャートの流れ作業図によって説明がありました）。大事な点は、奴隷女ハガルを通して奴隷の子イシマエルが生まれ、その子どもは神の救い主イエスを認めないので奴隷となった地上のエルサレムの町に当たります。しかし、自由女、セラを通して、約束の子イサクが生まれました。このイサクのようにキリスト信者が約束の子どもで、天から下って、母なる教会に属する者となり、自由な身分を受けています。これは自由生活の秘訣です。その物語を通して学ぶ自由の原理に次のものがあります。①　悔い改めとキリストを信じ受けることで始まります。アブラハムは自分の肉によって神の祝福を得ようとしましたが結果は肉の子どもが生まれました。反対に、約束によって霊の子どもイサクが生まれました。これは霊による改新、生れ変わりです。②　信仰によって約束を抱きしめる。真の信仰は約束の上に立って、ことがまだ現実になる前から既になっているかのように信仰の発言、喜ぶのです。③　得た自由を守るために脅かし、疑いを追い出す。祝福を受けるために余地スペースを作る必要があります。邪魔もの、脅かすものを残しておけば自由における成長を妨げます。④　神の永遠の御国に対して望みを持つ。神の国は現在と将来の存在があります。ですから現在の御国に行きながら、やがて来る御国に対して期待を持つ。⑤　敵対するものにめげないで、自由から自由へ進む。お母さんが自分の子どものために満足のある人生を望むように、神様はさらに望んでいます。あなたは自由の子どもでしょうか。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' 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width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-4632511302896137973</id><published>2010-05-23T09:18:00.001+08:00</published><updated>2010-05-23T09:18:51.294+08:00</updated><title type='text'>2010年5月2日 「わたしたちを影響する者にする神の恵み」</title><content type='html'>2010年5月2日の礼拝メッセージは1テモテ:12－17から「わたしたちを影響する者にする神の恵み」と題して話されました。神が私たちの人生の中で恵みの働きをする目的の一つは、わたしたちを通して、福音の道徳をもって、世間に影響することです。これは、力付ける恵み、可能にする恵みと言っています。この恵みによってわたしたちは入力されて、影響する者となります（ヨハネ14:12；使17:6）。使徒パウロがその神の恵みの働きの見本（原紙、原板）、この影響の極度を考えます。ダニエルは当時の世界の中で最も知恵のある国バビロニアの呪文師より10倍の知恵を持った人でした（ダニ1:17－21）。ところが、バプテスマのヨハネは女から出たものの中で一番偉大な人です。でも、キリスト信者はヨハネより偉大です（マタ11:11）。ようするに、キリスト信者は世の人より偉大です。数学的に示しましょう。バビロニアの知恵ｘ10＝ダニエルです。バビロニア＋ダニエル＋ヨハネ＝人類の中でもっとも偉大ひとです。バビロニア＋ダニエル＋ヨハネ＋神の恵み＝神の御国の中の信者です(1コリ26－31）。イエスの生涯の中での神の恵みの例、母マリア（ルカ1:28－38）；ベツレヘム（ミカ5:2）；イエス自身（ルカ2:46、47）；イエスの務め（使2:22；10:38）。聖書の中のほかの例、モーセ(使7:22）；ダニエル（1：17－21）；エステル（エス4:14）；ヨセフ（使7:9－11）；ネヘミア（ネヘ1：11）；ソロモ王（2歴1:1）。第一世紀の信者は自分の世界に大きく影響を及ばした（使4:33）。神の恵みは信者がそれによって救いの祝福を得る者となるだけではなく、その同じ恵みによって入力されて、神がくださる知恵を持って、一般の世界に影響を及ぼす者として生活を送るべきです。バプテスマのヨハネの時代に人は予言者よりも偉大な人に引きつられました。神のキリストによる恵みを受けた私たちはなおさらです（ピリピ4:13）。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' 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type='html'>2010年4月25日の礼拝メッセージは2テモテ2:1-4から「キリストの兵士とANZACのこころ」と題して話されました。オーストラリアでは4月25日はアンザックデイと呼ばれる国立祝日です。オーストラリアの軍人「ANZAC」がたくさんトルコの西海岸にあるガリッポリーの浜辺で戦死したことを記念する日です。多くの社会歴史家はその時にそこでオーストラリア人の精神が生まれたと信じています。アンザックの兵卒は勇敢、大胆、どう猛、困難の中で独創性を持ち、強敵に立ち向かって勝利し、万人を平等に考える。なすべきことがあれば有志する。ヂガーズ（兵士）、メイト(仲間）オージーと言うニックネイムの本来はアンザックの伝統にあります。これはアンザックのこころです。このような精神はキリストの兵士にもあるべきです。2テモテ2:1-4の中でキリスト兵士の特徴がみえるのです。①　良いものを選択する(1節）キリストにある神のめぐみを期待して、キリストに自分を結び付ける決心をする。②　自分の事情に敗北するのではなく、それに勝利する(3節）。積極的な行動をとれない事の言い訳をしないこと。③　人生の中で重要なことに優先権を与える（4節）。毎日の生活の義務を果たしながら第一のものに配慮することです。④　自分に最高基準をつける(4節）。司令官キリストが自分を招集してくださったのなら、彼を喜ばすことを決心して応答すること。これはキリストの兵士、ANZACのこころです。私たちの戦い、策略、訓練、武器、目的、勝利などについて聖書の中にはたくさんの聖句があります。メッセージのテープを聞いてください。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-7792283811199537736?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/7792283811199537736/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=7792283811199537736' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/7792283811199537736'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/7792283811199537736'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/05/2010425-anzac.html' title='2010年4月25日 「キリストの兵士とANZACのこころ」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' 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type='html'>2010年4月18日の礼拝メッセージは2010年のイースターのシリーズとして第一コリント15：1－11から「計り知れない恵み」と題して話されました。恵みというのは、神が人に施しを与えるようなものではなく、神ご自身の性質です。地上ではキリストを通してあらわしました。（ヨハ１：14-17）使徒パウロがキリストによる神の恵みを熱烈している理由は、①　その恵みは自分に大きな影響を及ぼした、②　使途としての務めに成功したのは恵みのおかげ、③　その恵みは今に至るまで自分と共にある。からです。それだけでなく、月足らずで生まれたものと同様な、自分とキリストとの出会いであったからです。彼は教会を迫害し、ほかの使徒たちがしたようなイエスとの生活もなかった。物足りない、知恵不足、経験が浅いにもかかわらず、恵みを受けるのもふさわしくないのに　“今の自分”になりました。その「今のわたし」とはどんな者でしょうか。①神の御名を運ぶ選びの器です。（使徒9：15）②聖霊に満たされた者（使徒9：17）。③罪を洗い流したもの。（使徒22：16）④神聖に入った者。（使徒26：18）恵みに取られたのは無駄ではなかった証拠は、使徒パウロが小アジアの国々を巡ってキリストの福音を伝えたことと、わたしたちが使っている新約聖書の中にある多くの手紙を書いたことです。月足らずで生まれた者という言葉には、胎児が妊娠36週以前に生まれるように、定まった時の前に生まれるという意味があります。要するに、後から生まれてくる者に先立つということです。霊的に後にキリストを信じて救われる者の模範です。ですからパウロの神の恵みの経験は私たちの経験にもなります。何という「計り知れない恵み」でしょう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-6204250588521415017?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/6204250588521415017/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=6204250588521415017' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6204250588521415017'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6204250588521415017'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/05/2010418.html' title='2010年4月18日 「計り知れない恵み」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' 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type='html'>2010年4月11日の礼拝メッセージはピリピ3:7－14から「キリストの復活の力」（3:10）と題してお話してくださいました。多くのクリスチャンは自分の生活の中でキリストの復活の力を知らないでいます。この力を知るためにキリストに捕えられましたが、それを自分で捕えなければなりません。要するに、神の側で事実であるとされていることを、自分の生活の中で現実にする必要があるのです。（３：12、13）。そうするために、一切のものを損と思う。後ろのものを忘れる。前のものに向かって進む。の3つの行動が必要です。（３：7、8、13）キリストの復活の力とは、キリストご自身が自分の内に住み、日々の生活の中で自分を強めてくださっていることを知るという意味です。その力の祝福には次のものがあります。①　神の子供の力（ロマ1:４）。私たちと神の関係はイエスキリストと御父との関係に描かれています。それは聖霊による清めです（１ヨハ３:1－3）。②　新生の力（ローマ６：３、４）。これはキリストとの結婚によって（ロマ７:４）過去の罪から解放される力（コロ２:12－15）。③　神と聖霊の宮となる力（ヨハ2:19－22）。キリストの贖いによって肉体と精神は神にささげる力となる（1コリ3：16,17、6:15－20、ロマ12:1、2）。④　キリスト信者とで成り立った教会の力（エペ1:17－23）。教会（キリスト信者たち）は天に有る現実を地上で実現とする。⑤　自分の復活に対する希望の力（1コリ15：19－22）。これを捕まえようとしている（ピリ3:11）。これらの力の祝福は日々の生活の中で１コリ15:58にあるような結果をもたらします。もう一度この聖書箇所を読んでキリストと（彼の）復活の力を知りましょう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-3490063816528505152?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/3490063816528505152/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=3490063816528505152' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/3490063816528505152'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/3490063816528505152'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/05/2010411.html' title='2010年4月11日 「キリストの復活の力」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' 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ヨハネ５：１～５から「世に勝つ信仰」と題して、東京練馬区の桜台恵み平安教会の松山美穂子師にお証しをして頂きました。創世記１６章からアブラムとサライには子供がなく、サライの女奴隷のハガルによって子供を得ようとしハガルは妊娠した。妊娠したことによって、ハガルは女主人を見下げるようになった。それが原因でハガルはサライのもとから逃げ去ったが、主の使いによって見つけ出され、見ておられる方がおいでになることを見出し、身を低くしてサライの元に戻ったという箇所を糸口に話をされました。『第二次世界大戦で、私共一家は住んでいた北九州市から愛媛県の山奥に移りました。母がクリスチャンで私も小さい時から日曜学校に行っていたが、山奥のことで教会に行くチャンスもなかった。その頃は１５，６歳になっていたが、月に１度２kmぐらい離れたところで家庭集会があることを聞いて、それに集うようになった。反対した父に母が迫害されたが、母は「あなたはあなたの人生を歩みなさい。迫害は関係ない」と家庭集会に集えるようにちょうちん等を用意してくれた。その後私は紡績工場に就職するも体を壊し、就職を反対された実家に戻って静養することを余儀なくされた。実家の生業である農業を手伝って日を過ごすうちに、ロシアに抑留されていたおじが戻ってきて、隠居所に住むことになった。ある日、このおじのお金２万円が紛失すると言う事件が起こった。疑われた私は警察で事情聴取を３回受けた。「盗っていないものは盗っていないとしか言いようがない」と無実を主張するが誰も信じてくれない。３回目の時、朝から取調べを受け署長室にまで呼ばれて、何を話せばいいかもわからず、罪を悔い改めたときの証しをした。その所長さんはじっと聞いて「キリスト教の話を聞いたのは初めてでした。」と言い、その日はそのまま帰してくれたが、夕暮れでこれから６kmの冬道を歩いて帰らなければならない。道すがら、「自分は、あの人はそんなことをする人じゃないとかばってくれる人もなく、帰れば今日は白状したかという父やおじの責め苦が待っている、何の価値もない人間だ、八方塞でもう死ぬしかない」と思って、死ぬのを覚悟し、車に轢かれるのがいいと車のわだちの中に座り込んだ。舗装されてない道路で凍りつき始めたわだちの中から天を仰いだら、冬空にはダイヤモンドのように輝く一面の星があった。「八方塞でも上は空いていた、神様は見ておられる、全部わかっておられる」と思ったら、感謝が沸いてきて感謝した。そしたら平安がスーッと心に入ってきて、「こんなものですが、あなたが用いてくださるならあなたのためにこの身を捧げます」と献身した。まもなく、後ろからトラックが来たがそのわだちから飛びのき、警察に頼まれたと言うそのトラックに乗って、家に帰った。８年ほど前、この警察署を訪ねる機会があり、この時の事情を話すことになり話しをしたら、署長さんが「知らないとは言え、私どもの先輩が失礼なことをしました」と言われたがそれに対し、「そのとき献身し私の人生は上向きです。感謝したいぐらいです」と答えた。私たちクリスチャンは、世に生きている。世とは神を信じようとしないイエスを認めようとしない所であり、流され、欲に満ちているところである。キリストにあってとか倣ってというのは、キリストに起こったことはすべて私たちに起こるという意味である。生まれてきた良かったと価値のある人生を送るために、信仰生活を送っていきましょう。世に勝ってイエス様はよみがえられた、この信仰は世に勝つものです。』&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-6922924242635674669?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/6922924242635674669/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=6922924242635674669' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6922924242635674669'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6922924242635674669'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/05/201044_23.html' title='2010年4月4日 桜台恵み平安教会の松山美穂子師 「世に勝つ信仰」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-9091354608715899871</id><published>2010-05-23T09:06:00.000+08:00</published><updated>2010-05-23T09:07:10.605+08:00</updated><title type='text'>2010年3月21日 「イエスの威光を拝見する者」</title><content type='html'>2010年3月21日の礼拝メッセージはマタ17:1－9から「イエスの威光を拝見する者」と題して、「イエスの変貌」について話されました。イースターに近づいてイエス様の生涯の最後の数週間に起こった出来事を見てみたいと思います。聖書の記録としてはマタ16:21－；マコ:1－；ルカ9:28－；ヨハ10:40－に記されています。2ペテ1:16で弟子たちは変貌山でイエスの威光の目撃者ですと言いました。神、キリストの栄光を見るとは霊的な礼拝の重大な一部です。「六日たって」（1節）とは、何があってから六日たったのでしょう。16:13から見ると、①心の中に受けた啓示。　キリストはいける神の御子です。②教会の誕生と権威の知らせ。　教会は攻撃を受けるが勝利する。③地上にある教会の中での信者の務め。　天の力と権威を地上に放つ。これらのことがらは信者の生活と並行していて、キリストの威光を見て礼拝する基礎となります。イエスの威光を拝見する礼拝は、①（1，2節）そのような礼拝にイエスが導こうとしている。あなたはそのような礼拝に導かれやすい人でしょうか。②(3－5節)そのような礼拝はイエスのほかにだれにもささげない。「子」は「王」の意味です。民主主義に支配された現世では王に完全に降参して服従する考えはないが、これはクリスチャンがキリストに対して示すべき態度です。③(6－8）そのような礼拝の中でキリストの触れ合いを受ける。神聖の前で当然恐れるが、イエスに触れられると立ち上がって、真の礼拝、奉仕をする。④(9節）そのような礼拝はキリストの復活を通して私達の生活に影響する。山からおりなければならない。（2ペテ1:11－19を参考）とペテロが言いました。「先生。わたしたちがここにいることは、すばらしいことです。」イエスの威光を見ることのできる礼拝はこのようなものとなります。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-9091354608715899871?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/9091354608715899871/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=9091354608715899871' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/9091354608715899871'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/9091354608715899871'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/05/2010321.html' title='2010年3月21日 「イエスの威光を拝見する者」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' 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/&gt;つける事が必要です。&lt;br /&gt;3．賜物を用いて仕えることによって神の栄光を現す。（参考聖句ヤコブ1：17）&lt;br /&gt;　　賜物には生まれつき与えられている能力と霊的に神から与えられているも&lt;br /&gt;　　のがあります。与えられた賜物を他の人の益となるように用いる時に素晴ら&lt;br /&gt;しい祝福が得られます。（霊的賜物の管理について1コリント14章を参考）&lt;br /&gt;4．神の愛を伝えることによって神の栄光を現す。（参考聖句コロサイ1：27）&lt;br /&gt;　　神様は出し惜しみをされないので、私達が視野を広くして求めていけばなん&lt;br /&gt;　　でも与えることのできる方であり、神の愛と目的を秘密にはされません。&lt;br /&gt;　　神の作品である私達を愛して下さる神の愛＝真理を他の人にも伝え、1人&lt;br /&gt;でも多くの人々が人間にとっての最大の望みである天の御国に入ることが&lt;br /&gt;できるように、神様にお委ねしながら神様の愛を伝えていきましょう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-7972867545171630341?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/7972867545171630341/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=7972867545171630341' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/7972867545171630341'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/7972867545171630341'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/05/2010314.html' title='2010年3月14日 黒田禎一朗先生  「あなたは、神の作品です」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-158575688132451676.post-6321104123128943674</id><published>2010-03-13T12:15:00.000+08:00</published><updated>2010-03-13T12:16:15.062+08:00</updated><title type='text'>2010年3月7日 、「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです」</title><content type='html'>2010年3月7日の礼拝メッセージは1ペテロ2:19－25から、「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです」とのことばを中心に、「イエスの打ち傷といやし」と題して話されました。聖餐式礼拝と同時に、私のゴールドコースト日本人教会の牧師17年目をはじめるにあたる今日、福音の根本について話さなければなりません。不公平な苦しみに対して取るべき態度はなんであるかを示すためにイエス・キリストが模範となります。それによって、福音の根本を要約することになり1ペテロ2:24節から8つの最大なものが見えてくるのです。&lt;br /&gt;1．自分から、とは、              最大な模範です。&lt;br /&gt;2．十字架の上に、とは、   　最大な手段です。&lt;br /&gt;3．私たちの罪、とは、        　最大な悪です。&lt;br /&gt;4．その身に、とは、              最大な犠牲です。&lt;br /&gt;5．罪を離れ、とは、             　最大な自由です。&lt;br /&gt;6．義のために生きる、とは、最大な生きがいです。&lt;br /&gt;7．キリストの打ち傷、とは、　最大な治療です。&lt;br /&gt;8．いやされた、とは、        　最大な目的です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;いやされるというのは、完全にするという意味です。この完全とは、もとどうりにするだけではなくて、将来、キリストにあって、神が望んでおられる計画と目的に達するという意味です。これこそ、福音です。聖餐式、主の食卓の意義です。この目的のためにイエス様が神に自分をおませになりました。その足跡に従って、あなたもそうしようではありませんか。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-6321104123128943674?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://gcjc-message.blogspot.com/feeds/6321104123128943674/comments/default' title='Post Comments'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=158575688132451676&amp;postID=6321104123128943674' title='0 Comments'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6321104123128943674'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/158575688132451676/posts/default/6321104123128943674'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://gcjc-message.blogspot.com/2010/03/201037.html' title='2010年3月7日 、「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです」'/><author><name>GCJC</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' 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type='html'>2010年2月28日の礼拝メッセージは、使徒の働き3:1－11から「イエスの御名による力」と題して話されました。イエスの御名において集まる信者がその場所にイエスの御名に有る力を運んで来るのです。(使徒9:15)。初代教会はまだまだ後の時代に有るような組織ができず、信者が復活されたイエス・キリストは自分の内に住んでいて下さっていることを信じていました。その「わたしにあるもの」とは、その名とその名を信じる信仰(3:16)の力です。その名に有る力をすべての状況の中へ持ってきました。御名による力を運ぶ者はどんな人でしょうか。①　イエスの祝福を施す機会を望んでいる。この出来事は「美しの門」で起こりました。現在、エルサレムの城壁にある金の門、あわれみの門にあたります。美しいと訳された言語には「熟している、青春の時、収穫の時」との意味もあります。足なえの癒される時となりました。②　自分の内にイエス・キリストが生きておられるのを示しています（3:5）。物乞いをする者は人から何かを貰えるかどうかを上手に判断できます。エルサレムで起こったイエスの十字架、復活、そして、ペンテコステ（聖霊降臨）をよく知っていたでしょう。彼はペテロとヨハネがそれらのことの経験者であることを見分けたに違いありません。③　受ける人より与える人です(3:6)。持っている信仰の値打ちはそれをどれほど分かち合いたいかによって示しているのです。④　他人に信仰を生じさせる（3:7）。ペテロはまず彼を立たせました。それで、自分が立てると信じられようになると同時に、奇跡が起り、くるぶしに力を受けました。（先週の説教の中の、天が私たちの後についてきた状況）。⑤　礼拝の経験に導く(3:8)。この物語の中で物を運ぶ過程が3つあります。①足なえを宮に運んだ人。彼らは足なえの状態を変えることができませんでした。②イエスの御名の力を持ったペテロとヨハネ。足なえの人生にイエスの名による力を持ってきました。③足なえの人。彼はイエスの力を経験したことを通して多くの人に影響を及ぼしました。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' 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type='html'>2010年2月21日の礼拝メッセージはマタイ18:18－20から「イエスの御名において集まる力」と題して話されました。先週のメッセージの中で信仰生活に前進するために奉仕ではなく、礼拝が一番大切であることを話しました。その礼拝はイエスの御名においての礼拝でなければなりません。礼拝集会はキリストのクラブ活動のようなものではありません。しかも合同礼拝での力は他の活動にないほど偉大です。合同礼拝の成り立ち、力、信仰生活に持ち出す影響は何でしょうか。イエスの御名においての「において」とは、そこに関わるという意味です。したがって、イエスの御名において集まるというのは、イエスご自身がそこにおられて、彼の中に、彼との密接な関わりに入るという意味です。イエス様がその所の中におられる。そのような現状の中の礼拝にはどんな動力が働いているでしょうか。1．天と地が集合します。2．地上でする行動はそれにあたって、天上でも同じ行動があります。3．そのような雰囲気の中で信者に天にあるような権威の油注ぎがあります。4．イエスがそのところの中におられる合同集会の最も少数の人数は2人です。ここに上げられた4つの点を信じて、毎週、教会で行う礼拝集会に集まるなら、その礼拝集会は今までかつてないほどイエスの臨在を経験できるようになります。主の祈りの中で「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」と唱和します。というのは、地が天の後についていくようになります。でもイエスの御名においての礼拝の中では、天が地の後についていくようになります。なぜなら、そのような礼拝者の心がイエスの心と等しいからです。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/158575688132451676-6172952010595707333?l=gcjc-message.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' 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